「日本は古代にお世話になったので、韓国が兄のような存在」と言うのは、朝鮮総督府が日韓併合を円滑に進めるためのプロパガンダで始まったもので、そんな認識は明治以前にはなかった。
■八幡和郎(やわた・かずお) 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。徳島文理大学教授。
~~~~~~~~~~
↑これはネットで見た記事の一部。
これをネタに思いついたことを・・・と「下書き保存」にしていたら、何をどう間違ったか公開されてしまっていた。
勿論これは「コペンの傷」と一緒で、どこかで間違った操作をした自分が悪い。
・・・・・・・と言い訳をしていたら、これまた前回と同じことになるので、とにかく思いついたことを書いてしまわなければ。「思いついたこと」と言っても「いいアイデア~!」じゃなくって、思い浮かんだだけのことなんだけど。
「韓国は兄のような存在」という言い方は、ネットのニュースを見るようになった頃。ホンの十年前(!)、知ったことだった。
それも
「中国は父。日韓は子供。朝鮮から色々なものが伝わったのだから、日本は弟」
といった捉え方だった。
「いや、文化を取り入れたにしても、それを発展、進化させたのは日本じゃないか。日本こそ兄、だ」という意見もあったけども。
とにかく言い出したのは韓国で、それを見た時は「まあ、そう言われてみればそういうことになるか」としか思わなかった。
いや、それ以上に
「兄が弟に伝える、なんて。日本は朝鮮から色々伝えられた、というなら、兄弟、なんて言い方は図々しいんじゃないか。先生と生徒じゃないのか」
とさえ思っていた。
実際、朝鮮通信使が来た時は、確か近江の儒学者だったか、雨森某が教えを乞うていると以前にどこかで読んだ記憶がある。西郷隆盛だって儒教の国「朝鮮」のことを大変高く評価していた筈だ。
そんな国の人間が「日本は弟」だという。肉親、兄弟だという。
けど、現実は
「シナは大中華。朝鮮は家臣の国であって『小中華』。日本は蛮族」
と広言しているわけだから、
「日本は弟」
なんて言うわけがない。
ホントに言ったのか??
半分は分かるけど、あと半分、何か無理がある。妙にモヤモヤする。
「日本は蛮族」「日本は弟」
どっちでもいいけど、そうやって見下す割りに、とにかく何でもかんでも真似をしようとするのはどういうわけだ?
今は当たり前になってしまったけれど、あの、受験時の白バイやパトカーで会場まで送ってやる、「子供は国の宝だから」という風潮。あんなもの、昔は「全く」なかった筈だ。
あれは日本で時々見られた美談であって、社会風潮には決してならなかったものだし、学校の勉強の仕方だって、「加熱する受験戦争」にしたって日本の真似だ。以前に書いた「悪いものからしか(順番にしか)習えない。」(悪いものと良いものは対立しているのではなく、悪いものから良いものへと順番に並んでいる)
なのに彼らはいきなり良いものだけを手に入れようとする。
そこまで考えが深められていない証拠だ。
けれども、自分らは小「中華」であり、日本は蛮族だと言ってきた。
そんな国が日本を「兄弟だ。弟だ」、なんて発想自体、するか?
桁違いの発想のずれがある。
そこで
【「日本は古代にお世話になったので、韓国が兄のような存在」と言うのは、朝鮮総督府が日韓併合を円滑に進めるためのプロパガンダで始まったもので、そんな認識は明治以前にはなかった」】
という一文。
なるほど。
そうすると、
「そんな認識は明治以前にはなかった」
、というのは、一般庶民には認識以前に「朝鮮」という国を意識することすらなかった、ということだろうし、教養人にとって朝鮮は「高潔な学者」のいる国、であって、決して兄弟のような近しい関係ではなかった、のだろう。
だからこそ福沢諭吉はあれだけ朝鮮の近代化に心を砕いたのだろうし、西郷は何としてでも征韓は避けたいと思ったのだろう。
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■八幡和郎(やわた・かずお) 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。徳島文理大学教授。
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↑これはネットで見た記事の一部。
これをネタに思いついたことを・・・と「下書き保存」にしていたら、何をどう間違ったか公開されてしまっていた。
勿論これは「コペンの傷」と一緒で、どこかで間違った操作をした自分が悪い。
・・・・・・・と言い訳をしていたら、これまた前回と同じことになるので、とにかく思いついたことを書いてしまわなければ。「思いついたこと」と言っても「いいアイデア~!」じゃなくって、思い浮かんだだけのことなんだけど。
「韓国は兄のような存在」という言い方は、ネットのニュースを見るようになった頃。ホンの十年前(!)、知ったことだった。
それも
「中国は父。日韓は子供。朝鮮から色々なものが伝わったのだから、日本は弟」
といった捉え方だった。
「いや、文化を取り入れたにしても、それを発展、進化させたのは日本じゃないか。日本こそ兄、だ」という意見もあったけども。
とにかく言い出したのは韓国で、それを見た時は「まあ、そう言われてみればそういうことになるか」としか思わなかった。
いや、それ以上に
「兄が弟に伝える、なんて。日本は朝鮮から色々伝えられた、というなら、兄弟、なんて言い方は図々しいんじゃないか。先生と生徒じゃないのか」
とさえ思っていた。
実際、朝鮮通信使が来た時は、確か近江の儒学者だったか、雨森某が教えを乞うていると以前にどこかで読んだ記憶がある。西郷隆盛だって儒教の国「朝鮮」のことを大変高く評価していた筈だ。
そんな国の人間が「日本は弟」だという。肉親、兄弟だという。
けど、現実は
「シナは大中華。朝鮮は家臣の国であって『小中華』。日本は蛮族」
と広言しているわけだから、
「日本は弟」
なんて言うわけがない。
ホントに言ったのか??
半分は分かるけど、あと半分、何か無理がある。妙にモヤモヤする。
「日本は蛮族」「日本は弟」
どっちでもいいけど、そうやって見下す割りに、とにかく何でもかんでも真似をしようとするのはどういうわけだ?
今は当たり前になってしまったけれど、あの、受験時の白バイやパトカーで会場まで送ってやる、「子供は国の宝だから」という風潮。あんなもの、昔は「全く」なかった筈だ。
あれは日本で時々見られた美談であって、社会風潮には決してならなかったものだし、学校の勉強の仕方だって、「加熱する受験戦争」にしたって日本の真似だ。以前に書いた「悪いものからしか(順番にしか)習えない。」(悪いものと良いものは対立しているのではなく、悪いものから良いものへと順番に並んでいる)
なのに彼らはいきなり良いものだけを手に入れようとする。
そこまで考えが深められていない証拠だ。
けれども、自分らは小「中華」であり、日本は蛮族だと言ってきた。
そんな国が日本を「兄弟だ。弟だ」、なんて発想自体、するか?
桁違いの発想のずれがある。
そこで
【「日本は古代にお世話になったので、韓国が兄のような存在」と言うのは、朝鮮総督府が日韓併合を円滑に進めるためのプロパガンダで始まったもので、そんな認識は明治以前にはなかった」】
という一文。
なるほど。
そうすると、
「そんな認識は明治以前にはなかった」
、というのは、一般庶民には認識以前に「朝鮮」という国を意識することすらなかった、ということだろうし、教養人にとって朝鮮は「高潔な学者」のいる国、であって、決して兄弟のような近しい関係ではなかった、のだろう。
だからこそ福沢諭吉はあれだけ朝鮮の近代化に心を砕いたのだろうし、西郷は何としてでも征韓は避けたいと思ったのだろう。
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