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ただの日記

「遣い方」について

2020年04月25日 | 心の持ち様
2010.09/18 (Sat)

 尖閣諸島のことと、為替介入のこと、新しい内閣。
 何とかして書いてみようと思うんですが、どれにしても、どうにも考えがまとまらない。
 御存知のように、今度の公安委員長が、また浅はかで、思い込みの強い人らしい、とか。どうにも、焦点がない。

 とにかく、代表選のニュースばかりでみんな誤魔化され、そのくせ、代表選は、党員でない者は、何一つ発言の権利がなく、従って何の手出しもできず、指を咥えて見ているだけだったんですが、それにしても・・・・・ねえ。
 
 今回は「有言実行内閣」と言うんだそうです。「奇兵隊内閣」は、お払い箱らしい。
 「行動が早く、逃げ足も早い奇兵隊内閣」と言っていたのに、行動はしなかった。
 「逃げ足が早いのを自慢するなんて、ねえ」とからかわれていたけど、確かに、これは早かった。
 もう、隊長たるカン総理と、参謀の仙谷長官以外は、すっかり顔ぶれ、役職が変わってしまって、「逃げ足が早い」のでなく、大道具並みの「最少不幸社会」って看板が、倒されて見えなくなっただけなのかもしれません。
 細かい事は、世事に疎い私にはさっぱり分かりません。何しろ、ほぼ、「情報弱者」、です。

 というわけで、例によって、本当に僅かな知識を以ってこの辺りを我儘に見るしかない。いつもどおりやってみます。

 唐突ですが、刀と槍の話です。
 刀というものは「切る」、槍は「突く」、ものです、言うまでもなく。
 ところが、戦場では違っていて、合戦の心得としては、こう言われたそうです。

 「刀は突くもの、槍は切る(叩く)もの」

 実に、見事というか、理に適った言葉です。
 刀で切ろうにも、戦場では敵は鎧を着けている。兜に当たれば刀は折れるか曲がる。少なくとも刃こぼれがして使えなくなる。切りつけるところは殆どない。顔には以前に書いた面頬(めんぼお)を着けている。
 だから、鎧、具足の透き間を突く。大体、腕の付け根(両の脇)をねらうのだそうです。
 それで、戦場では「刀は切るより、突く」。

 槍は突くものですが、戦場での槍は集団で遣う場合が多く、こちらは、一間(いっけん)の手槍は振り回すと、味方に当たってしまう。
 それよりも、と逆転の発想で、更に長い槍を、振り回さず、密集して遣う方が良い、となりました。二間槍です。三間近いものもあったでしょう。
 これは長い。「振り回すな!」でなく「振り回せない!」。
 使用範囲を限る。使用法を限る。

 初めは前に向け、穂先を揃えて突進、と考えたのですが、二間以上もの槍となると、柄(え)も相当に太くなり、重量も手槍(一間槍)の倍以上になります。
 長くなった分、撓(しな)りますから、突くには相応の技術が必要になります。習熟していなければ思ったところを突けない。
 しかし、その分、当たった時の破壊力は凄い。
 繰り返します。破壊力はすごいけど、中る率は手槍の半分以下。
 「あちらを立てればこちらが立たず」というやつです。

 そこで、それじゃ遣い方を変えたら?となった。振り回せないけれど、石突(いしづき。穂先の反対側)を地面に着けて、重さを逃がしながら上下に打ち振るのはどうか。
 これも、やはり、逆転の発想ですね。
 「槍は突くもの」だけれど、その目的は相手を倒すこと。「相手を倒すため」、なら、別に突かなくったって良いのではないか。
 
 二間もの長さの槍で、打ち掛かって来られたら、刀で受けることはできない。刀で弾こうとすれば、却って刀の方が弾き飛ばされてしまう。
 それだけ柄の長い槍の叩く力は大きい。
 
 そんなもので打っ叩かれたらどうなるでしょう。「撓り」まで入っているのです。兜の上からでも脳震盪。運悪く肩に当たれば一撃で骨折です。

 考えてみれば、「目的は敵を倒すこと」です。武器も、はっきりしている。
 だったら、「遣い方は、こうでなければならない」と限定することもない。  投げ矢、投げ槍だってあるんですから、槍で叩いたって目的達成のためだ、かまやしない。

 ここで、初めに戻ります。
 自民党等の保守派でなければ、次善の形が菅総理、でした。
 組閣の方向は、椅子にしがみつくためになら全力を尽くす総理でなく、仙谷官房長官が、ほぼ、全権を握っている、と考えて良いでしょう。

 では、いざ、内閣が発足したら、官房長官はどれだけの指揮能力を発揮するか。
 居抜き内閣で大きな問題が起きなかったのは、「内閣の姿勢がはっきりしていたから」、ではなく、官房長官、総理の「方針」が、「はっきりしていなかったから」問題の起きようがなかったから、と考えられます。(つまらん問題はありましたが。)その分、何も「仕事を」してないわけですし。

 今回は初めての組閣、と言えます。方針の明確でないトップ二人、のままです。だから、更に、問題は起きない。
 逆に言えば、今まで以上にあまくなり、もし、叩かれ始めたら、簡単に空中分解するのではないか。(「もう少しやらせてみよう」、だけが後方支援、でしょう?)

 予想されている通り、今年度(3月末)内の総選挙の可能性は高くなりました。一刻も早く、という気持ちはありますが、まだ自民党の態勢が十分でない。
 たちあがれ日本、日本創新党との連携、民主党内の有為の人材の行動等、考えると、急げません。
 そして、何より、一般国民の自覚を促すことが大事です。
 そのもとになるべきは、普段の我々の真剣な思考と、その上での行動、なのではないでしょうか。

 「刀槍の用い方」から、こんな結論を出すのは強引過ぎますか?

 目的ははっきりしている。そして関与できるのは、内閣と国民。
 となれば、考えるべきは、その「用い方」です。
 内閣も国民も、単調に叩く(批判する)だけでは、変わらない
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