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ただの日記

「お前は熱しやすく冷めやすいから・・・」

2020年03月14日 | 心の持ち様
2018.03/12 (Mon)

 「何をやっても、一時期そればかりやってるけど、飽きてしまったら全くやらない。ホントにもう・・・」
 子供の頃、母によく言われた。

 「(だから)何もモノにならない」。
 親だから、そこまでは言わなかったけど、ホントは言いたかったんだと思う。
 代わりにそれを口うるさい姉がずっと言い続けていた。さすがにお互い60を過ぎたら言わなくなったが。
 しかし、確かに実際、この歳になっても何もモノになっていない。

 「熱しやすく冷めやすい」奴は「モノにならない」から「駄目」。
 けど最近、歳を取ってずる賢くなったのか、「これも考え方次第なんじゃないかな」と思い始めた。
 「熱しやすく冷めやすい」というのは物事の「一つの在り方」、でしかないんじゃないか。この「在り方」を論拠として、「だから駄目」と決めつける(全否定する)、ってのはどんなもんなんだろう。
 身の周りのものを見たって「熱しやすく冷めやすい」ものは「熱しにくく、冷めにくい」ものより多くありそうな気がするが。
 「熱しやすいもの」も「熱しにくいもの」も、或いは冷めやすいものも冷めにくいものも、それぞれただの「特徴」なんであって、決して長所短所などと決めつけられる理由にはならない。
 粘着質な者も淡白な者もあって社会は成り立っている。自然界だって同じだ。それどころか、却ってそういった「特徴」を生かして「適材適所」、なんて考えも生まれる。

 そんなことを、あのみうらじゅん氏提唱の「マイブーム」という言葉で思うようになった。自分が何かを、(その時だけだって)気に入って、それこそ「一所懸命」に取り組む。
 その時だけでも一所懸命に取り組むのと、いつもあなた任せの「風になびくススキの穂」みたいなのと、どっちがいい?「風になびくススキの穂」、ってのは、正真正銘、「ブーム」「流行」に翻弄される浮き草みたいな生き方。
 人間なら前者の方がイイ、と思うのが普通じゃないか。

 勿論、「マイブーム」は「ブーム」なんだから短期間のもの。「熱しやすく冷めやすい」ものなんだから、そりゃあ「大したもの」にはならないのは事実だ。
 けど、「大したもの」にはならずとも、短期間ではあるけれど主体性を以て取り組んだわけです。一所懸命に取り組んだ。となれば、爪痕くらいは残るでしょう?「取り組んだものに」、よりも自分自身に、です。
 短期間だって取り組んだことによって何らかの実感(触感、体感、閃き、など)を身に付ける。それで考えが深まる。

 早い話が、普段何もしないでいて、或る日突然大力量を発揮するという「三年寝太郎」みたいな話、現実にありますか?あったとしたらそれは「水鳥の足」で、他人に見えないところで修練を積み続けているからこそ、なんじゃないでしょうか。
 三年寝太郎だって、ホントはただ寝てたんじゃなくって詰将棋みたいに色々な場合を想定して考え続けていたんだと思いますよ。

 爪痕、ほんの少しの引っ掻き傷だって、頭だけ(空想や想像)ではなく自らの手指(つまり皮膚感覚)で以て何かに取り組んだからこそできるものです。
 個々の頭脳の出来不出来には関係なく、自身の手指等の五体を使って取り組んでいたならば、それなりの「実感」を手に入れています。その実感がある人とない人じゃあ、能く言われる「人間力」に大きな違いができるんじゃないでしょうか。

 先日、「和風総本家」というテレビ番組で鵤(いかるが)工舎のことが出ていました。
 あの小川三夫氏が「頭でっかちになったら大変だぞ。悩みがいっぱい出て来る」と言ってました。
 勿論、だからと言って何も考えるなというのは無理な相談です。禅の修業だって「無念無想」は汗牛充棟の書物を読んでこそ活きてくると言います。
 小川氏は「鑿が立つまで研ぐんだ(砥石との隙間がなくなれば倒れない)」、と自らの手指(を頂点とする五体)に神経を集中し、感覚(思考)を研ぎ上げることにも言及してましたから、「考えることのない浮き草」になるよう奨励しているわけではありません。
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