「中国かシナか」(2010・10・8の日記)より
御存知の通り、「中国」と言っていますが、本当は「中華人民共和国」で、これは「尊称」です。家来(属国)でなければ、遣うべき言葉ではありません。
それを敢えて「尊称」で以って呼ぶ、ということは、日本が彼の国の「属国」である、ということです。
属国でしたか?属国であったこと、ありましたか?
連合国に占領されていた敗戦からの七年間、戦勝国となった支那は、日本に「これから中国と呼ぶように」と命じたのだそうです。
生き残るために、各新聞社はそれを承諾しました。
この時の「支那」は、中華民国です。
日本だけは、以降「中国」と呼ぶようになりました。日本以外の国は国ごとの発音で「シナ」だけです。
別に、日本が弱味を握られていたとか何とかではない。ただ、敗戦国だった。
「豊葦原中津国」、豊かに葦の生い茂る中心の国。
「中つ国」、つまり「中国」です。「華」とは言ってませんが。
日本だってこう言って来ました。
勿論、だからと言って我が国の先祖は他国に対して「中国と呼べ」、なんて言ったこと、ありませんよ。
我々が約束したのは、この「中華民国」。敗戦の翌年、戦勝国である中華民国の蒋介石は我々に命令した。
けれど、中華人民共和国に対しては、「中国」と言ったり、「中華」という言葉を使わなければならない、という義理も言われもない。
大体、そうしてくれ、と頼まれたこともない。
日本だけです、「中国」、なんて言ってるのは。繰り返しますが、そんな義理はない。
他国を見て下さい。みんな「チャイナ」、じゃないですか。
日本式に発音すれば、「シナ」、です。
シナの綴りは「china」。英語読みならチャイナ。普通に読めばチナ。(「チノパン」と言っていた綿のズボンの「チノ」、ってシナのことだそうです)
お茶がヨーロッパで、ティー、だなんて、「cha」が「tea」と書かれるからでしょう?
teaは「ティー」じゃなくって「ティア」、つまり「cha」です。
それに、「支那」という言葉に差別的な意味合いなんて、本来かけらもない。
もし、あるとしたら「支那は~」、ではなく「支那人は~」なんです。
そして、それは、日本人が「ジャップ」と蔑称されたのとは違って、彼ら個々のシナ人のあくどさ、図々しさに対して言われるようになったものです。
それが証拠に海舟などは、李鴻章等のあちらの大物政治家にはとても適わない、と言っているし、「シナの大尽みたいだ」と言われるのと、日本の「お大尽」とは、比べものにならないでしょう。全くあちらが上、です。
倭寇の初めはシナの文物の名品を欲しがった日本人商人に、偽物を売りつけたことも原因の一つと習った覚えがありますよ。高校生の時に。日本人はシナという国の学問や物品を、また偉人を大変に尊敬していたんです。
「シナ」の意味合いを、日本に対してだけでも落としてしまったのは、皮肉にも、他ならぬ彼ら「支那人」、なんです。
嫌ならこれからでも遅くはない。アメリカに対しても、ヨーロッパに対しても、言えばいいんです。
「これからは我々の国をチュンゴーzhonguo中国、と呼んでくれ。」
「であるから、我々はチャイニーズ、ではない。チャンコロzhonguoren中国人である」って。
「我が国はチュンゴー。我々はチャンコロ」
ちょっと毒のある発言だったでしょうか。
でも、そういうことですよ。
「シナ」という言葉を蔑称だ、と思っている人は、何も知らないで、そう言っているのです。
差別は無知から起こる、と言われますが、「シナ」という言葉を「蔑称」とすることは無知の証し。これが、実は差別の始まりなんです。
追記
この日記を挙げた際にいただいたコメントから、言葉不足な部分について思ったことや気づいたことを、少し付け足してみます。
「シナと発言すると周りの視線が微妙です。」
そうですよね。右翼だとか、狭小な視野の国粋主義者だ、とか言われます。その批判自体がずれてるんですが、こうやって整理してみると、単に「事情を知らなかった」ことによる全く根拠のない先入観からの批判なんだと言うことが分かります。
「『シナ』は蔑称ではない」、は私が大学生(40年ほど前)の頃に習ったことです。その延長線で「中国と呼ぶべきではない」、ということも教わりました。
ただの怠け者だったから、それまでは「へえ~、そうなんだ」で終わってしまっていて、「何でシナと言っちゃいけないのか」なんて考えようとはしなかった。
だから、「中国と呼ぶべきではない」、と習わなかったら、いつの間にか私も
「『周りの視線が微妙』」だからやめよう。雰囲気を読まなきゃ。」
ってなってた可能性大、です。
国民全体が「そういえば変だよね」と言い始めたらそれで簡単に変わってしまうことなんですが、考えることを拒否する頭になっているんじゃないでしょうか。
それを敢えて「尊称」で以って呼ぶ、ということは、日本が彼の国の「属国」である、ということです。
属国でしたか?属国であったこと、ありましたか?
連合国に占領されていた敗戦からの七年間、戦勝国となった支那は、日本に「これから中国と呼ぶように」と命じたのだそうです。
生き残るために、各新聞社はそれを承諾しました。
この時の「支那」は、中華民国です。
日本だけは、以降「中国」と呼ぶようになりました。日本以外の国は国ごとの発音で「シナ」だけです。
別に、日本が弱味を握られていたとか何とかではない。ただ、敗戦国だった。
「豊葦原中津国」、豊かに葦の生い茂る中心の国。
「中つ国」、つまり「中国」です。「華」とは言ってませんが。
日本だってこう言って来ました。
勿論、だからと言って我が国の先祖は他国に対して「中国と呼べ」、なんて言ったこと、ありませんよ。
我々が約束したのは、この「中華民国」。敗戦の翌年、戦勝国である中華民国の蒋介石は我々に命令した。
けれど、中華人民共和国に対しては、「中国」と言ったり、「中華」という言葉を使わなければならない、という義理も言われもない。
大体、そうしてくれ、と頼まれたこともない。
日本だけです、「中国」、なんて言ってるのは。繰り返しますが、そんな義理はない。
他国を見て下さい。みんな「チャイナ」、じゃないですか。
日本式に発音すれば、「シナ」、です。
シナの綴りは「china」。英語読みならチャイナ。普通に読めばチナ。(「チノパン」と言っていた綿のズボンの「チノ」、ってシナのことだそうです)
お茶がヨーロッパで、ティー、だなんて、「cha」が「tea」と書かれるからでしょう?
teaは「ティー」じゃなくって「ティア」、つまり「cha」です。
それに、「支那」という言葉に差別的な意味合いなんて、本来かけらもない。
もし、あるとしたら「支那は~」、ではなく「支那人は~」なんです。
そして、それは、日本人が「ジャップ」と蔑称されたのとは違って、彼ら個々のシナ人のあくどさ、図々しさに対して言われるようになったものです。
それが証拠に海舟などは、李鴻章等のあちらの大物政治家にはとても適わない、と言っているし、「シナの大尽みたいだ」と言われるのと、日本の「お大尽」とは、比べものにならないでしょう。全くあちらが上、です。
倭寇の初めはシナの文物の名品を欲しがった日本人商人に、偽物を売りつけたことも原因の一つと習った覚えがありますよ。高校生の時に。日本人はシナという国の学問や物品を、また偉人を大変に尊敬していたんです。
「シナ」の意味合いを、日本に対してだけでも落としてしまったのは、皮肉にも、他ならぬ彼ら「支那人」、なんです。
嫌ならこれからでも遅くはない。アメリカに対しても、ヨーロッパに対しても、言えばいいんです。
「これからは我々の国をチュンゴーzhonguo中国、と呼んでくれ。」
「であるから、我々はチャイニーズ、ではない。チャンコロzhonguoren中国人である」って。
「我が国はチュンゴー。我々はチャンコロ」
ちょっと毒のある発言だったでしょうか。
でも、そういうことですよ。
「シナ」という言葉を蔑称だ、と思っている人は、何も知らないで、そう言っているのです。
差別は無知から起こる、と言われますが、「シナ」という言葉を「蔑称」とすることは無知の証し。これが、実は差別の始まりなんです。
追記
この日記を挙げた際にいただいたコメントから、言葉不足な部分について思ったことや気づいたことを、少し付け足してみます。
「シナと発言すると周りの視線が微妙です。」
そうですよね。右翼だとか、狭小な視野の国粋主義者だ、とか言われます。その批判自体がずれてるんですが、こうやって整理してみると、単に「事情を知らなかった」ことによる全く根拠のない先入観からの批判なんだと言うことが分かります。
「『シナ』は蔑称ではない」、は私が大学生(40年ほど前)の頃に習ったことです。その延長線で「中国と呼ぶべきではない」、ということも教わりました。
ただの怠け者だったから、それまでは「へえ~、そうなんだ」で終わってしまっていて、「何でシナと言っちゃいけないのか」なんて考えようとはしなかった。
だから、「中国と呼ぶべきではない」、と習わなかったら、いつの間にか私も
「『周りの視線が微妙』」だからやめよう。雰囲気を読まなきゃ。」
ってなってた可能性大、です。
国民全体が「そういえば変だよね」と言い始めたらそれで簡単に変わってしまうことなんですが、考えることを拒否する頭になっているんじゃないでしょうか。
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