・・・というわけで、いきなり転載です。
今年一年の日記の書き方を暗示する(楽して転載だけで終わる、という)ような気もするけど・・・・。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和弐年(2010)正月元旦(水曜日) 通巻6325号
◎年頭随筆
少子高齢化社会に必要なのは「看取り」
団塊の世代がいなくなり、日本は無思想の曠野に突き進むのか
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『第三のチンパンジー』など旺盛な著作で知られるジャレド・ダイアモンドが、「人口減少は日本復活のチャンスだ」と述べている(『週刊文春』2020年1月2日・9日合併号)。
日本の主流の議論の正反対だから驚く読者が多いかも知れないが、筆者はむしろ賛成で、以前から述べてきた考えに近い。
なぜなら日本はむしろ人口が多すぎるのである。
狭い国土に一億二千万人が暮らせば住居がウサギ小屋になるのも当然であり、生活空間に余裕がなくなる。
ダイアモンドは、第一に人口八千万人が適当としてドイツと同数になり、輸入する資源が減って資源小国という強迫観念が希釈になること、第二に女性の雇用のチャンスが拡がり、第三に雇用高齢化が定着する。第四に外国人労働者をそれほど受け入れないという選択肢が日本にもたらされる。ゆえに日本にとって人口減少は逆にチャンスだとする。
とはいうものの、近未来の日本社会は「 超高齢社会」から「多死社会」に移行する。すでに出生者より死者が上回り、人口動態は少子高齢化と同時に大量の死がやってくる時代となる。団塊の世代が終活期に突入したからだ。
現在進行形の少子高齢化社会で、介護保険が確立された上、介護士が大量に養成された。そのうえで、「終末ケア」の必要が説かれている。各地にケアセンターが次々と生まれ、雑誌は相続の特集を出したりしている。
驚くなかれ伝統的な大家族制が消滅し、介護が日本国家の「基幹産業」となった。
ものつくり、匠の日本が基幹産業を変貌させたのだ。日本経済の絶頂期には考えも及ばなかった、退嬰的な社会に変貌した。
人は人生の満足度を抱きながら安らかに眠るのが理想である。戦後の死生観は戦前までの伝統的なそれから転倒し、生きることだけが尊重される、不思議な価値観に蔽われている。生命尊重だけでよいのか、と絶叫して三島由紀夫は自決した。
(続く)
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