▲「看取り社会」は目の前にきた
今後の日本では「看取り」が重視される社会となり、「看取り士」が増えるだろう。
人口動態から推測できることは2015年に毎年150万人、2040年には年間180万人が死ぬ一方で、出生数は2018年に86万人強と、少数核家族化、しかも高齢単身世帯が600万、このうち400万が女性の単身世帯となり、介護認定は2018年に644万人、これを180万人の介護士が支えている。
2025年には253万人の介護士が必要だが、38万人が不足することになるだろうとするシミュレーションが存在する(後述藤和彦論文)。
このような後ろ向きの社会が到来するにあたり、考えるべきは家族制度、冠婚葬祭の在り方、死生観の是正、日本の伝統的哲学の再構築ではないのか。
戦後の日本では、GHQの占領政策の影響が大きく、価値観の転倒がおこり、家族制度がGHQによって破壊された。結婚の伝統も欧米的な、即物的な儀式に変質し、日本的良さは喪失された。
死生観の激変によって、死=無という考え方が拡がった。仏教への帰依が希釈化したからだろうが、「死は無」という誤解だらけのニヒリズムが蔓延し、人生をいかに活きるかが説かれても、如何に死ぬかは無視されがちだった。
他方、安楽死をもとめてスイスへわたる日本人が静かに増えている。スイスでは安楽死が合法化されているからだ。
「人生において何が本質的に重要なのか、いまの仕事が何かに貢献しているのか」という思考が見失われ、ある種達成感や人生の満足感をもって死を迎えるという人間が少なくなった。
無駄な人生だったとみる、人生に意義を認めない欧州人が増えた。戦後の実存主義などが好例だが、AIはケアの代替にはなり得ず、看取りが必要なのである。
(続く)
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