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ただの日記

重箱の隅をつついてみました。

2020年05月06日 | 重箱の隅
2012.09/30 (Sun)

 「ダチョウになった沖縄タイムス」   
                  ー狼魔人日記ー より
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<墜落事故が相次ぎ、危険性が指摘されるオスプレイに乗っても、安全性について判断を下すことができない。
  本紙記者が試乗することで「オスプレイは安全」という根拠のない情報が県民や読者に発信されるおそれがあるため、搭乗は見送った。
 
       (武富和彦編集局長の談話)
            沖縄タイムス   9月24日の記事

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 (ダチョウは危機に直面すると頭を砂地に突っ込んで危機を打ち消そうとするんだそうです。頭突っ込んだって、危機は消えやしないのに。)


 「乗っても、安全性について判断を下すことができない。」

 そりゃそうでしょう。
 「一回乗ってみたから絶対安全、大丈夫だ!」
 なんてこと、強弁する方がおかしい。将にその通りです。
 けど、
 「本紙記者が試乗することで『オスプレイは安全』という根拠のない情報が県民や読者に発信されるおそれがあるため」「搭乗は見送った」、って。
 そりゃ、また何で?何でそうなる?

 まさか沖縄タイムスの記者の記事(又は取材活動)は、アメリカの専門委員会より信頼されている、ということでしょうか? 
 もしそうだとしたら、「こりゃすごい!一地方紙が住民にそれだけの影響力を持っているのか!」とひたすら感心するしかないのだけれど、「根拠のない情報が県民や読者に発信されるおそれがある」と書いてある。

 「根拠のない情報が」、ということは、局長自身、記者の「アメリカの専門委員会」以上の鑑識能力を信じていないということですよね?
 信じてないから、「間違った情報が発信されるかもしれない」、つまり、「危惧(おそれ)」として捉えている。
 「鑑識能力がない」上に、「根拠のない情報を発信する」「惧(おそ)れ」のある記者を沖縄タイムスは雇い、不信感を抱きながら、いや抱くが故に「搭乗」を「見送」らせた。

 それって、つまり「取材はしなかった」、と言ってるだけでしょう?
 「搭乗は見送った」、というのはそういうことですよね?
 じゃあどうやって取材をするんでしょう。
 少なくとも「試乗記」は書けないし、当然、試乗もしてないのに「安全性について判断を下すことはできない」。
 けど、それ以上に「危険性について」も書けるわけがない。
 大体が、試乗したって「安全だ」とも「危険だ」、とも言えないんでしょう?

 「墜落事故が相次ぎ、危険性が指摘されるオスプレイに乗っても、安全性について判断を下すことができない。」

 この文、言い換えれば「試乗しても、安全性について判断はできない」と言いたいだけで、それは最初に書いた通り、至極真っ当なことです。
 なのに、妙な修辞が先に来ている。

 「墜落事故が相次ぎ、危険性が指摘される~」、と「オスプレイの定義」をしている。枕詞、と言っても良いかもしれない。
 こう言いたいんですよね、きっと。
 「試乗なんかしたって、どうせ安全確認なんかできないんだから、試乗はしなかった。本紙記者が乗っただけで『安全だ』、なんて言われちゃかなわん。」

 それならそれだけ言えばいい。それでこそ、事実を伝える新聞記者だ。
 けど、わざわざ「墜落事故云々」をつけている。
 初めっから「受け入れる気はない」って言えばいいのに。
 あ、事実を伝える新聞社としては「反対だから、乗らなかった」、じゃ、記事にならないからか!

 でも、それ、新聞社の態度???
 
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