15日(水)、パンを買いに行った。
この日の一番は、実はジュンク堂に行って高山正之の文庫本を買うことだった。
初めて神戸にジュンク堂ができた時、何だかカッコいい名前の本屋だけど、まあとにかく神戸最大の本屋ができたことはいいことだ、と。
本屋、と言うよりやっぱりここは「書店」と言うべきか。
しばらくして駸々堂書店というのが同じ三宮センター街、それもホントに筋向いにできた。ジュンク堂よりデカかったのではないか。
今調べてみたら、震災直後に開店したもので本拠地は京都。突然の倒産で三宮店も即日閉店したのだとか。
やっぱりあの時期の出店は厳しかったのかもなと思うけれども、ジュンク堂の方はそれに反してどんどん支店が増えていったように思う。
ところが北町の生協の上階に在ったジュンク堂、いつの間にか「きくや書店」というのに変わっていた。神戸といっても北区ともなると採算が取れなかったのか?
或る時、片仮名で「キクヤ」と書くのだろうと思っていた店名がそうではないと知って納得。
神戸と言えば楠木正成。湊川の戦。菊水の紋。だから「キクヤ」は「菊屋」に決まっている。・・・ん?あれは「菊水」だなあ。菊水って市バスの側面の模様だけだったよな・・・。楠木正成は土豪(悪党)だから半分しかもらえなかったと聞いた。菊、丸ごとじゃなくって。
「きくや」書店の「きく」は「喜久」で店名は「喜久屋書店」だった。「ジュンク堂」は何だかフランス語っぽい名前だけれど、漢字で「淳久堂」。
これも今調べて、ああそんなこと聞いたような気がする、とボンヤリ思い出す。
元々、工藤淳という人がキクヤ図書販売という会社をやっていた。店名は「喜久屋書店」。
その息子が父親の名前を元に「ジュンク堂」と洒落た店名で新しく立てたのが「ジュンク堂(淳・工藤)」。
だから漢字でも片仮名でもローマ字でも構わない。どちらにしたって親の名前をさらに大きくしているわけだから大孝行息子。
それが確か経営が左前になったんじゃないだろうか、丸善の洋書部門と一緒になって丸善グループに入る。ついでながら元町に在った丸善(洋書・文具・衣料)はなくなってしまった。
そんなことがあって、逆に喜久屋書店の名前だけでも残そうと北町のジュンク堂は「喜久屋書店」としたのじゃないか・・・な?
喜久屋書店の新潮文庫の棚には高山正之の本は一冊もなかった。
それで淳久堂に行ったのだが、十冊近く出されている氏の文庫本は僅か二冊。
売れているのか入荷を断っているのか。これほどの書店でこんな品揃えはあり得ない。右も左もあってこそ、の書店。これでは欲しいものはアマゾンで、というのが普通になりそうな・・・。
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