CubとSRと

ただの日記

2013.02/10 (Sun) 国の肇(はじめ)は、いつ?

2025年02月13日 | 心の持ち様
 「国体(國體)」と「国家」は違います。
 国体(國體)とは国の成り立ちから見る「国の在り方」。
 国家は「国という組織」、です。現時点での「組織そのもの」、です。
 そこには性格や志に深くかかわる「国体(國體)」という思惟は係わってきません。
 だから、「国体護持」という言葉はよく使われても、「国家護持」、という言葉はあんまり見掛けないでしょう?
 護るべきは「志」・「いかに生きるべきか」という「心」であって、「組織」ではないのですから。組織は手段であって目的ではない。だから、「国体護持」。
 「紀元節」、或いは「建国記念の日」というのは、その日に「国の志を考える」、「日本はいかに発展すべきか」を考えるための祝日です。

 「志」、「いかに発展すべきか」を考える上で、「始まり」「初め」を明らかにすることはとても大事なことです。
 「はっきりしないから、この辺にしとこうか」
 、なんてことじゃあ経路が見えませんから未来を考える手立てになりません。
 
 「5月3日。日本は新憲法を持った。ここから『新しい』日本が始まるのだ」
                             by社会党
 「これまでの日本はなかったことにして~」・・・?冗談じゃない。

 「4月28日。サンフランシスコ講和条約が発効する。この日、日本は独立国になったのだ。」
     by公明党
 これはもっとひどい。戦争に敗れるまでの、我が先祖が営々として築いてきた日本は全て否定するという事になります。

 「憲法十七条が聖徳太子によって書かれた日」
                 by民社党
 憲法に拘っているのは分かりますが、何故、憲法の制定を以て建国とするのか。じゃあ、聖徳太子以前は「国」ではないのか。

 「まだ、建国されていないから、制定できない。」
                 by共産党
 これは、何をか言わんや、です。初めから、論外。

 昭和26年、吉田茂総理が紀元節の回復について予算委員会で発案。
 昭和32年以降、39年まで、計7回、毎年のように自民党から「国民の祝日法改正案」として国会に提出されたが、そのつど、野党の反対で廃案に。
 40年、政府立法として提案されるも、廃案。
 41年、日付は別、として、自・社・民社の共同提案による修正案で可決。
 後、公明党も賛成。
 (共産党は「まだ国家創建を勝ち取っていない」として反対。)

 法案としての提出からでも9年間。
 吉田首相の発案から数えると、実に15年かかって、名称を変え、やっと成立させられたのが「建国記念の日」です。
 こういう色んな考えから制定案日を出す各政党を相手に、ですから、本当に自民党は孤軍奮闘といった趣があります。
 しかし、今、多くの人々はこんな感想を持っているんじゃないでしょうか。
 曰く
 「『建国記念の日』?『建国記念日』じゃないの?」
 「何でわざわざ『の』、なんて入れてるんだ?おさまりが悪いなあ」
 「そんな中途半端なことしないで、『紀元節のまま』でいいじゃないか」
 でも、そうではないのだ、「紀元節」という名称は使えなかったのだ、「建国記念日」では成立させられなかったのだ、宮家までもが反対なさったのだ、等々を書いて来ました。
 そして、次の引用文です。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ~「二月十一日」は、戦前、「紀元節」と呼ばれて盛大な祝日でしたが、大東亜戦争敗北の結果、占領軍によって廃絶されたことは有名な話ですので、いま改めて述べません。未曾有の大戦に敗れ、遂に外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても、その後、もしも祖国「日本」の「建国」を記念する日を、国民みずからの手で、新たに敗戦の日や、戦後の或る日に決められたとすれば、それは堪えがたい恥辱であり、亡国の残民として、首陽山に隠遁とまでは申しませんが、少なくとも私自身は大学における歴史の教壇を去る覚悟でありました。

 「建国記念の日」をめぐる論争
 (一部のみ、転載)
        (田中卓評論集4  第二十章より)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 「外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても」
 日本の「建国」を敗戦の日や戦後の「或る日」に決められたとしたら、恥辱であるのは言うまでもないが、更に私は(それまでの日本はなくなったということなのだから)亡国の民となるのだ。
 (国を失った者が、一体、何の歴史を教えるのか。だから)教壇を去るしか選択肢は、ない。
 正しい歴史認識を持ち、伝統を次代につなぐ。「統」を伝える。それが歴史学者の仕事だ。
 しかし、「建国記念の日」を敗戦後の日、とすると、統は途絶える。

 「日本の国を護る」ということの主は「日本の国(の在り方)を(国民に)正しく伝える」ということです。そのためには、確かに、武力、経済力等の攻撃から、「国を守る」ための手段も必要になってくる。
 けれど、繰り返しますが、「本(もと)」は伝統を正しく伝えるということです。
 隣国のように、本末が転倒してしまって、「国民の胃袋を守るために」武力、経済力で国を守る、となったのでは、他国は傍迷惑なだけです。

 伝統を正しく伝え、継いでいくために、我々国民は何ができるか。
 繰り返しになりますが、それはやはり、我々個々人が折節に「我が国の在り方とは」「我々日本人はいかに生きるべきか」と考えることではないか。
 そしてそのために、「建国記念の日」、「紀元節」は絶好の時ではないだろうか、と思います。
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2017.02/11 (Sat)

2025年02月12日 | 心の持ち様
 昨晩、吹き荒れていた北風は、すっかり収まっている。
 静寂に重ねて、雲一つない空に、これまた見事な満月が懸かっている。
 乱視だから本当のところは分からないけど。

 雪と路面凍結の心配があって、二日ほど散歩に出ていない。
 しかし今日は新雪が積もっているから足を滑らせる心配はないだろう。
 そう思って、五時過ぎ、日課の散歩に出た。
 今日は明治以降、敗戦まで「紀元節」とされていた日だ。

 あまり昔のことで、「建国の日」がはっきりしていない。神武天皇が「建国の大業」を為された、と日本書紀に書かれているだけだ。
 文字のない昔のことだ。日本書紀に書かれているだけだから、実在したという証拠にならない。

 「年月日がはっきりしないのだから、日を定めるのは時期尚早」
 確たる証拠(出土品、文書など)がないのだから、考古学者の立場からすれば、皇族である三笠宮崇仁殿下であっても、そう仰るしかない。
 そうすると、
 「皇族でさえ否定されているのに、建国記念日を制定するなど言語道断!」
 と、反対派が我々こそ正義、とばかりに祝日に制定する(実質は紀元節の復活)ことに猛反対する。
 よくもまあ馬鹿々々しい議論をしていたものだ。
 そして、15年もかかって、やっと「建国記念の日」が制定された。

 大体、二千数百年も前に遡って、の正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう、「紀元」節、つまり「祭」、「祭日」にしようというだけのことであって、そこら辺の国の「独立記念日」なんかとは謂れが全く違うのだ。

 今朝、「正義のミカタ」で所先生が「聖徳太子の時から遡ること1260年を紀元としよう、ということになった」という話をされていた。
 これ、暦が一回り60年で、二十一回(つまり1260年)毎に、大きな変転がある、という「讖緯説(しんいせつ)」からの計算だ。
 「神武天皇が日本を作られた」のだから、大きな変転なんだ、なら、1260年前としよう、と。
 (だから少なくとも聖徳太子の以前から日本は「在る」のだから、この時点からでも日本は1400年以上続いているわけだけど)

 この時点で、「計算したら、天皇によっては百数十歳以上の長命になる」なんて間抜けなことを言うのも、「そんなに古い筈がない。大嘘だ」と騒ぎ立てるのもナンセンスの極み、ということになる。
 要は
 「確かに建国されたからこそ国があるのであって、その日時が分からないから記念日は作れない、なんて発想の方がおかしいだろう?」
 ということだ。
 それに、誰が好き好んでこの雪の降る厳冬の日に「国家創業!」、なんてするのだ。
 しかし、だ。
 詳細はともかく、建国の理念は「新しい世界を作る」ということだ。これはどこの国でも同じだ。
 ならば、「新しい年明け」と「肇国の大業」を重ねるという考え方はなかなかのものではないか。
 正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう。
 こんなおめでたい、じゃなかった、清々しい考え方をする国が他にあるかい?

 なんてことを思いながら、国旗を掲げた。
 また時折強く吹く寒風の中、門柱に括り付けた旗竿で、日の丸が翻っている。
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建国記念「の」日。何度でも

2025年02月11日 | 心の持ち様
 (これまでのも含む)去年の日記を再掲します。

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                   2024年02月11日 | 心の持ち様

 2月11日。「建国記念」の「日」。
 あまり昔のことで「建国された日」は分からないから、昔々の太陰暦の正月一日にした。

 事実としての建国の日時なんか分からなくても、確かに厳として「日本」はある。
 じゃ「今日は何の日?」と同じことで、強引だってこじつけだってそれと同じレベルで「建国記念の日」を決めたって全く問題ないと思いますけどね。ほら、11月22日は「いい夫婦の日」だとか、11月11日は「ポッキーの日」だとか、と何が違う?
 
 例によってこんなこと書くと頭から湯気立てて怒る人がいるかもしれないけど、怒るより諸手を挙げて建国を寿ぐ方が百万倍も良い。
 少なくとも「日本国憲法が発布された日」とか「サンフランシスコ平和条約が締結された日」なんてふざけたことを言うよりは。あんなのは「被占領から独立した日」でしかないのであって、「建国」とは意味が違う。

 では、昨年の日記(もっと前の日記)を再掲。
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 「紀元節」と言っても、「建国記念日」「建国記念の日」等と言っても、右からも左からも猛批判を食らいます。生まれ育った国の建国されたことを祝うのに何の問題があるのだろうかと思うのですけれど・・・。

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 紀元節を主張すると「右翼だ」と言われ、「建国記念日じゃない、建国記念の日だ」、というと「この軟弱者が!」と言われます。
 「皇紀二千六百~年。ちゃんと言えなきゃ日本人にあらず!」
 まさかね。

  大体、二千数百年も前に遡って、の正月一日を、「めでたい日」「新年」なんだから、これを「建国記念の日」にしよう、「紀元」節、つまり「祭」、「祭日」にしようというだけのことであって、そこら辺の国の「独立記念日」なんかとは謂れが全く違うのだ。

 今朝、「正義のミカタ」で所先生が「聖徳太子の時から遡ること1260年を紀元としよう、ということになった」という話をされていた。
 これ、暦が一回り60年で、二十一回(つまり1260年)毎に、大きな変転がある、というシナの「讖緯説(しんいせつ)」からの計算だ。
 「神武天皇が日本を作られた」のだから、大きな変転なんだ、なら、1260年前としよう、と。
 聖徳太子の出現は日本の大変転であるのだから、その前に在った大変転は神武天皇の即位、肇国の大業がなされた日に違いないという理屈。
 (だから少なくとも聖徳太子の以前から日本は「在る」のだから、この時点からでも日本は1400年以上続いているわけだけど)

 この時点で、「計算したら、天皇によっては百数十歳以上の長命になる」なんて間抜けなことを言うのも、「そんなに古い筈がない。大嘘だ」と騒ぎ立てるのもナンセンスの極み、ということになる。
 要は
 「確かに建国されたからこそ国があるのであって、その日時が分からないから記念日は作れない、なんて発想の方がおかしいだろう?」
 ということだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あんまり昔(暦すら存在しない頃)のことだから何も分からない。ただ言えることは、建国されたからこそ「日本」という国がある、ということ。建国しないのに植物みたいに国が生えてくる、なんてことはあり得ない。
 ならば、建国記念日を制定するのは何もおかしいことじゃない。なければ、作ろうじゃないか。
 「古すぎていつなのか分からない」んだったら、めでたい日を選んでその日にすればいいじゃないか。

 「めでたい日」?そりゃあ、正月元旦(「元(はじめ)」の「旦(あさ)」)が一番めでたいだろう、何しろ「新年」だ。
 で、昔は太陽暦じゃなくって太陰暦だったから、それで計算したら昔の正月一日は2月11日だ、と。
 これが「紀元節」の初め。(「紀(年のこと)」「元(はじめのこと)」)
 もう一つは「皇紀」の初め。
 これ(紀元節と皇紀)が重なった話なのは当然なんだけれど、「紀元節」は日、「皇紀」は年。
 だから、重ねて説明することはできない。
 それで、転載した去年の日記の所先生の発言が出て来る。
 「聖徳太子の時から遡ること1260年を紀元としよう、ということになった」

 それこそ「昔々」のシナの思想である「讖緯説(しんいせつ)」を用いて、
 【暦が一回り60年で、二十一回(つまり1260年)毎に、大きな変転がある】
 ということは、聖徳太子という大天才が「国の在り方を改めた」ことを示しているに違いない。
 「国の在り方を改めた」。これは、「大きな変転」そのものではないか。
 だったら、聖徳太子の出現を基点にして、同じく1260年前に大変転があったと考えるべきだ。
 「そうか!その時に神武天皇が建国の大業を果たされたに違いない!」
 ということで「皇紀」が定められた。勿論、だからこれは「計算したらそうなった」というだけのことだ。
 だから「それホント?」という発問自体が愚問。
 神武天皇の実在を疑う人もいるけれど、そういう発想自体がナンセンス。
 日本の「建国の日」を決定する(研究して探し当てる、ではありませんよ)に際して、シナの古代思想である「讖緯説」を持ってくる、と言うこと自体、これは「神武創業の日なんて、どうしたって探しようがないんだ」、ということでしょう?
 それを「考古学見地からいって~」などと言うのは大、大ナンセンス!
 
 何もないところから人が生れるわけではない。いきなり、神の子孫が人間となって地上に降り立って天皇を名乗った?そんなバカなこと、あるわけない。
 【天照大神を奉じて、「豊葦原瑞穂国」を治めるべし、という神勅を戴いて、長年月懸かって奈良までを平定した一族の長が、「神武天皇」となっただけのことですよ。】

 ・・・なんてことを書くと、すぐ字面だけ見て怒り狂う人が出て来る。
 でも、この二行、自分で書きながら「凝縮されてるよなぁ」と思いますよ。中身は世界に類を見ない、感動モノのことなんですから。
 そりゃ、「~を奉じて」とか「~を治める」とか「長年月懸かって~」とか「一族の長が王に~」なんて、バラバラにして見たら世界中に掃いて捨てるほどある話でしょうけどね。けど、この「神武創業」はそんなものとは次元が違うんです。

 自らの一族を神の子孫と任じ、その神勅を奉じ「続けて」長い年月をかけて平定した「土地」を、その一族が支配する、と言うのならどこにでもある。でも、日本は違うでしょう?
 神の子孫の矜持を持ち続け、神勅を奉じ続け、長年月かけて平定した地を私せず(奪うのではなく、平らぐだけ)、一族が支配するのではなく、みんなを同族とし、族長は天皇という名の神官となる。


 こんな素晴らしい建国の思いを祝わない、そんなの要らない、ってのは、ホントどうかしてると思います。



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月初め参り 続き

2025年02月10日 | 日々の暮らし
 ハンカチを持って出たけれど、とにかく寒いんだから。
 もしかしたら手水舎の水、凍ってるかも・・・。
 手水鉢の水が凍っているのはいいけれど、水道の栓が凍っているかも。

 手水舎の大きな長方形の手水鉢。半分、氷が張っていた。
 となると、もしかして?やっぱり?
 手水舎の屋根を支える柱の一つに「凍結防止のため、水道栓を閉めています」の貼り紙。ああ~、やっぱり。手水が遣えない。使えなきゃ帰るしかない。
 「これは駄目かも」と思いながら、でも、物は試し。蛇口の栓を捻ってみた。
 少量ながら水が出た。何とかなりそうだ。
 
 柄杓に水をためていると、誰もいないと思っていた拝殿の横の方から参拝を終えたらしい人が挨拶をして帰って行った。
 境内に祀られている各社すべてに拝礼を行っていたのかもしれない。
 もしかして今年の初参りの時に長いこと参拝していた人と同じ人か?
 とにかく、どうにか参拝を終え、帰宅。
 
 今日から一週間、寒いのと風が強いのとで、出掛けることは出来ないと思い、昨日はコペンで出たのだが、実際のところ風速7~8メートルの予想が現実には風速4メートルほど。
 天気は申し分なかったし洗濯物は怪しいかもしれないけれど、出歩く分には冬の散歩にはもってこいの一日だったような気がする。

 今、午後7時20分。
 例の通り、日が暮れると風はほとんどなくなる。
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月初め参り

2025年02月09日 | 日々の暮らし
 2月4日(火)

 ・・・と言うわけで、今朝は忘れずハンカチを持って出る。
 ただ、昨晩の酒のせいでもないだろうが、今朝も目覚ましは5時半にセットして寝た筈なのに。そしてともかく血圧も測って、となった筈なのに。
 更にはホットレモンも作って飲んだし。
 なのに何故?
 気が付けば辺りはすっかり明るくなっている。時計を見たら6時40分。

 そういえば、目覚ましのスイッチを切ったような気もする。

 考えても時間は戻って来ない。そして明日は今日より寒い・・・かもしれない。神社までなら用足しも途中のコンビニを頼りにできる。
 帰りがけに途中のコンビニのトイレを借りて、こんな風に礼を言って、とシミュレーション。そして家の出がけに、念のためにトイレに行って置く。

 準備万端整えて6時55分、出掛けた。
 幸いなことに右膝にあった不調は影を潜めている。
 腰の痛みも、ほぼ出てこない。逆に左膝に少し痛みがあるようだが用心して歩けば何とかなるだろう。

 ただ一つ気になる事。それは今日から一週間近く冷え込みが続くということだ。朝は無風で、冷え込んでいる割には辛くない。
 しかし、冷え込むと凍結の心配が出て来る。家は凍結防止のために給湯器が自動運転を始めている。
 ならば神社の手水舎は凍結しているかもしれない。そして、凍結していたら参拝できない。


 続く)
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