今月6日の午後から大雨の中、東京都美術館で開催中の『バルテュス展』を観に行ってきた。雨の平日は美術館が空いていてねらい目でもある。おかげで靴の中までグズグズになったが、我慢して会場に入った。
バルテュス(1908-2001)と言えば、20世紀美術のいずれの流派にも属さず、西洋絵画の伝統に触れながら全くの独学により独自の具象世界を築き上げたことで良く知られている。そしてあのピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた作風は神秘的で緊張感があり、どこか懐かしい印象を持つ。風景を描けばどこかセザンヌの構成を思わせ、褐色系の落ち着いた画面からはバルビゾン派の匂いもしてくる。パリで生まれ、芸術家の両親を持った彼はやはりフランスを代表する画家ということなのだろう。
僕がまだ油絵を描き始めたばかりの二十歳の頃、通っていた絵画研究所にヨーロッパの留学から帰国したばかりのSという先生がいた。その先生が油彩画の魅力について語り始めると留学先で購入してきたバルテュスの画集を開きながら「バルテュスの絵肌がいいんだよ」と繰り返し言っていた。この頃からこの画家は僕にとって、雲の上にいるあこがれの存在であった。
今回の展示は代表的な大作も多くかなり見応えがある。作品の間隔もゆとりを持って掛けられていてとても観易い。そして大雨のため入場者が少なく、ゆっくりと納得いくまで見ることができた。どれもが傑作でベストを決めかねるが個人的にはブルゴーニュ地方のシャシー城館時代に風景画に目覚めた頃に描かれた『樹のある大きな風景』が印象に強く残っている。色彩もイタリアルネサンスのフレスコ画を連想させる明るいものだ。得意の少女をモチーフとした作品では『美しい日々』 『猫と裸婦』 などに見られる対角線を強く意識した構図をとったものが魅力的だった。そして最も目をひいたのは節子夫人の全面的な協力で実現したという最晩年のアトリエを再現した展示である。使い込まれた絵筆や絵の具類、そしてたばこの吸い殻まで。画室での厳しい制作の中、画家の息遣いが伝わって来そうな雰囲気が再現されていた。
最後に会場でのビデオ上映で心に残ったバルテュスの言葉を2点ご紹介しよう。1つ目は何故、少女をモチーフに選ぶかという問いに対してのもので「自分にとって少女は不可侵な存在で、神聖なものに接する思いしかない…そしてそれこそがインスピレーションの源である」 2つ目は僕が座右の銘にしていきたいと思うもので、生涯自身を芸術家だと言わなかったバルテュスが常日頃語っていた言葉。「絵を描くことは職人技なのだ。今の画家はみんなそのことを忘れている。だから私は芸術家ではなく、職人としての画家だと考えている」 展覧会は今月22日まで。7月5日から9月7日まで京都市美術館に巡回する。美術ファンならばこの展覧会を見ない手はない。まだという方は必ず行きましょう。画像はトップが会場入り口の看板。下が向って左から『樹のある大きな風景(部分)』 『猫と裸婦(部分)』 『晩年のアトリエ風景の写真コラージュ』 いずれも展覧会図録から複写。