長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

239.『赤い鳥をさがして-In search of Red Birds-』 ②清里高原

2016-03-30 20:00:33 | 野鳥・自然

2月23日(火)7時。カラス、カーッで目が覚める。赤い鳥をさがす旅の2日目は清里高原の宿泊施設「清泉寮」の朝からスタートした。予定よりも遅く起きてしまった。夕べのワインがまだ少し残っている。熟睡していた連れ合いに声をかけて起し、食堂へと向かう。ホテルの朝食は和洋、選択できるヴァイキング形式である。

『清泉寮』は1938年にキリスト教の一派の青年運動団体の創始者であるジェームズ・L・ホーテリング氏を記念し団体の指導者の訓練キャンプ場として奉献された施設である。その後1941年、太平洋戦争による国際情勢の悪化からキャンプ場は封鎖された。戦後、1945年荒廃しきっていた施設をGHQの将校、ポール・ラッシュ博士によって新たに「KEEP(キープ)協会の宿泊施設として創設され現在に至っている。このホテルのある高原は富士山、東に奥秩父連山、西は南アルプス連峰、北に八ヶ岳という絶好の景勝地となっている。僕らが訪れるのは5年ぶりである。その時は晩秋で近くの美術館での版画のワークショップをおこなった帰りに立ち寄った。

今日は1日たっぷりと清里高原一帯を歩き回って「赤い鳥さがし」をする予定である。朝食を済ませ、9時過ぎに出発。野外に出ると快晴で「八ヶ岳ブルー」と呼ばれる独特な青の抜けるような空が広がっていた。露出した顔に触れる高原の空気が痛いほど冷たい。ゆっくりと冬の小鳥の姿や声を求めて歩き始めた。初夏の森林ならば野鳥たちは美しい囀りを聴かせてくれるが生い茂った葉によってその姿を見つけるのには苦労する。これに対して冬の落葉した森林では視界も良くその姿は見つけやすいが声は地鳴きと言われる小さく地味な声なので声による種の識別には苦労する。”チッチッ”とか”ジジッ”とか似たような響きの音をたよりに探していくのである。とりあえず「八ヶ岳自然ふれあいセンター」という高原の中央に建つ公共施設を目指して遊歩道を進むことにした。ここは連れ合いが学生時代に自然観察指導員のアルバイトをしたという思い出の場所でもあった。

周囲の山岳を見上げると、フロントのホテルマンが「今年の冬はここ十数年で一番暖かい」と言っていた通り積雪が少ない。後ろを歩いていた連れ合いが日陰に残った雪や泥の上に獣の足跡を見つけた。「えーと、これはシカ…こっちはノウサギ…これはたぶんアナグマでその隣の小さめなのはテンかしら…」などとブツブツ言っている。普通に観光に来ている人には、さぞやおかしなペアに写っているだろうなぁ。こう見えて連れ合いは僕から観ればベテランの先輩バーダーなのである。学生時代には北海道の最果ての島の利尻島にギンザンマシコという赤い小鳥を見つけに行ったり、沖縄本島の山原(ヤンバル)の森林に当時発見されて間もないヤンバルクイナを探しに行ったりと日本列島を北から南まで鳥を求めて歩き回った山ガールならぬ「鳥ガール」であった。社会人になってからは韓国までも遠征している。場数を踏んでいるだけにフィールドでの鳥を見つける「感」はピカイチである。特に耳がいい。たよりになる相棒なのだ。

自然ふれあいセンターに着くと、この日は休館日で閉まっていた。計算外。5年前に来た時はセンター前の広場を渡って来たばかりの冬鳥のマヒワの見事な大群に遭遇した思い出がある。ここから進むコースの確認をしているとセンターの横の道からレンジャー風の若い男性が2人歩いて来たので、呼び止めて冬鳥情報を尋ねてみると、親切にこの先の探鳥コースまで指導してくれた。さっそくそのとおりに進み森林の中に入っていく。ヒガラ、コガラ、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラ、コゲラ、アカゲラなど森林を代表する留鳥が次々に出現するが赤い鳥の姿は見えない。「アカマツの木も結構多いから松ぼっくりが好物のイスカでも出ないかなぁ…」 ところが、行けども行けども出会うのは同じカラ類ばかりだった。再度地図を確認し、環境を変えて探してみようということに意見が一致して森林と牧草地の林縁部を集中して観察することになった。

林を抜けるとポッカリと広い牧草地が見える場所に出た。ここでコンロでお湯を沸かし、持ってきたカップ麺とパンの遅い昼食をとってから林縁部をゆっくりと歩き始めた。カシラダカやツグミなど平地でも普通に見られる冬鳥を観察。しばらく進むと冬枯れの藪の中から”チッ、チッ”という地鳴きが聞こえてくる。声のする方を双眼鏡で覗いていた連れ合いが「このエンベリザ普通のと違う」と言った。エンベリザ(Emberiza)というのはスズメ目ホオジロ科の学名である。しばらく丁寧に観察し西日本などに多く冬鳥として渡って来るミヤマホオジロの♀と判明した。その後、「青い鳥」の代表選手であるルリビタキの♀などと出会うが肝心の今回のお目当てである「赤い鳥」の仲間がなかなか出現しない。ざっと見てきたところ冬鳥の個体数もかなり少ない感じである。とうとうこの牧草地のはずれまで来てしまった。午後2時を回った頃、林縁の藪の奥から”フィッホ、フィッホ”と聞き覚えのある声が聞こえてきた。声の方向を双眼鏡で丁寧に見ていくと「いた!ベニマシコの♀だ」 さらに道の反対側の叢に♂が1羽イネ科と思われる植物の種を食べている。初の赤い鳥登場。♂は短くしっかりした嘴でパチパチと種を砕いて食べていて移動しない。ここで証拠写真をパチリ。ベニマシコは北海道と青森県の一部で繁殖し、秋冬には本州以南の山地から低地に移動する。なにも高原でなくとも平野部の叢や水辺のヨシ原などにも秋から冬に渡来する。実は今冬もすでに湖沼のヨシ原で何度か観察している。

それでも赤い鳥であることに違いはない。「ベニマシコで満足だね」連れ合いが自分を納得させるように言った。ここでこの日の行動はリミット。日入りの時間帯となり薄暗くなった元来た森林を抜け宿へと急ぎ足でもどった。すぐに冷え切った体を露天風呂で温め、夕食を食べるとすぐに寝床についた。翌日、出発の日、早朝に起床しバスの時間ぎりぎりまで高原を歩いたが、赤い鳥はまた同じ場所でベニマシコに再会できただけだった。帰りは清里駅までバスで出て小海線に乗車、帰路に着いた。今回の2日半の探鳥行で観察できた野鳥はスズメ、カラスも入れてちょうど30種。バーダーは目的の鳥が観れなかった時「はずす」という言葉を使う。今回は「赤い鳥をさがして」ではなく「赤い鳥をはずして」というタイトルにしなければいけないのかもしれない…いやいや唯一その姿を堪能させてくれたベニマシコに感謝しなければいけない。

メーテルリンクの童話「青い鳥」の中でチルチルとミチルの兄妹が幸福の青い鳥を求めて旅に出て、とうとう見つけられず結局、最も身近な鳥籠の中にいたという青い鳥。僕らの「赤い鳥」は身近な環境にもどってから、どこかで発見することができるのだろうか。 画像はトップが出現したベニマシコの♂。下が向かって左からベニマシコの♂もう一枚、八ヶ岳をバックにした清泉寮、林縁で野鳥を探す僕、牧草地の片すみで休憩する連れ合い、宿の中に展示してあったシカの頭骨。