工房のある住宅地の北側をしばらく行くと広大な水田地帯に出る。ここは千葉県で最も大きな内陸水面である西印旛沼と北印旛沼に挟まれた一帯である。中央に農業用の水路が蛇行して走る。江戸時代に田沼意次が始めた一大干拓事業から現在に至るまで幾度も繰り返された干拓によりできた広い水田地帯である。この水田に毎年ゴールデンウィークの頃になると渡り鳥のシギ・チドリの仲間が渡って来る…いや、来ていたと書いた方が正しいかもしれない。そして毎年の儀式として、この場所をマウンテンバイクで巡回しながら観察、カウントするのが恒例となっていた。
日本列島の水辺に飛来するシギ・チドリ類は旅鳥と呼ばれ、越冬地である東南アジアやオーストラリアなどから春、4月~5月に北上、日本の干潟、水田、河川の岸辺などの水辺で数週間を過ごす。この間、彼等は餌を採り続け、エネルギー補給を充分してから繁殖地であるユーラシア大陸の北極圏やシベリアなどの湿原に渡っていく(春の渡り)。たんへん長い旅をするのである。そして繁殖を済ませると8月~10月に上記の越冬地へと帰って行く(秋の渡り)のである。このことから「旅鳥」と呼ばれているのだ。
工房近くの干拓地に渡って来る種はチドリ科ではムナグロが最も多く、シギ科ではチュウシャクシギ、キアシシギ、キョウジョシギなどが個体数が多い。他に数は少ないがメダイチドリ、ツルシギ、アオアシシギ、タカブシギ、ウズラシギなども観察された。ここに転居してもうすぐ30年になるが引っ越して来た頃はほんとうに賑やかで春に水田に行くと頭上を鳴き交わしながら多くの混群が"ザーッ”という羽音をたてて飛んで行ったのを思い出す。とても心地のよい時間を持つことができた。
ところが15年ほど前から野鳥研究者やバーダーの間でシギ・チドリ類の渡来数が減少していることが話題になり始めた。特にこの5-6年は激減しているとのことである。広域に調査したところ、主な原因として、一つには彼等が繁殖する北極圏などの湿地帯が地球の温暖化により北極の氷が解け水位が上昇、水浸しとなってしまったこと。このことで繁殖地を追われてしまった。二番目は越冬地である東南アジアの熱帯雨林の大規模な伐採と開発。三番目は中継地である日本の広域水田の農薬使用による餌の小動物の減少などが挙げられている。渡り鳥の保護の難しさはここである。シギ・チドリ類など長距離の渡りをする種類は繁殖地、中継地、越冬地と、どこが欠けても生きられないのだが、追い打ちをかけるように、どこもかしこも厳しい状況になったのだからたまらない。
では、どれほど減少したのだろうか。百聞は一見にしかず。何年かぶりで、いつもの観察コースを巡回してみることにした。3日の午後、いつものように双眼鏡、カメラ、カウンターなどの調査・観察用具をザックに背負い、田植えの始まった広い水田地帯をマウンテンバイクでゆっくりと移動しながら丁寧に探して行った。水を張った鏡のような水田に青空と雲が映り込んで美しい。最も数の多いムナグロで7年以上前のカウント記録では同じ時期の同じコースで平均500羽前後が見られ、MAXの年では700羽以上をカウントしていた。走り出して30分、このぐらい走るともう100羽近くは見られていたはずだった…「いない!?」 行けども行けどもシギ・チドリの姿が見つからない。ようやくタシギが1羽飛び立った。さらに進んでカウント調査の終着地点までたどり着く。ここはかつて数百派の混群が観察されていた場所である。マウンテンバイクを降りて干拓地の真ん中の農道から双眼鏡をかまえて360°グルリと丁寧に探していると畦にムナグロの小群が休んでいるのを発見。カウンターを使用するまでもない。「1羽、2羽、…たったの11羽かぁ」双眼鏡を覗いたまま思わず呟いてしまった。最大710羽を数えた場所でわずかに11羽である。70分の1!! かなり寒くなる心の動揺を抑えられずに帰りはずっとブツブツと独り言をいいながら強風だということもあり疲労困憊し家までたどり着いた。
この状態、何かの本で読んだことがある。そうだ、まさに1962年にアメリカの生物学者、レイチェル・カーソン女史が発表した『沈黙の春(Silent Spring)』の内容そのままである。DDTを始めとする当時の農薬の大量空中散布による化学物質の危険性を「野鳥たちが鳴かなくなった春」という出来事を通し訴えた有名な作品である。
そして、工房の床に寝転がりながら頭の中では妄想が膨らみ始め、ある強烈な映像が浮かんできた。『ウオーターワールド』。1995年のケヴィン・レイノルズ監督によるアメリカのSF映画。未来の地球は、温暖化の進行により北極・南極の氷が解けて海面が上昇した結果、海だけが広がる海洋惑星となった。その中で人類が人工的な浮遊島を建造し生き残っていくという旧約聖書の「ノアの方舟」のような物語である。実際に北極の氷が解けて生息地を追われているシギ・チドリのような生物がいるのだから、その延長線上にないとは限らない。今日のトリの姿は明日のヒトの姿そのものなのである。
地球上の生命の中のほんのわずかな存在であるシギ・チドリ類。彼等のこの厳しい生息状況は人類に何を暗示しているのだろうか。もちろん地球環境破壊の氷山の一角である。そして温暖化の影響や熱帯雨林の開発に我が先進資本主義国の日本が結構な割合で関わっていることも忘れてはならない。
画像はトップが水田に渡って来る代表的な大型チドリのムナグロ。下が向かって左から水を張ったばかりの干拓地風景、シギの仲間のキョウジョシギ、チュウシャクシギ。