三木市議 大西ひできの方丈記

日常生活と三木市議会議員の日常記
「人は宝、子どもは希望」
三木市の再生は人材育成から。

公共交通の仕組みづくり

2012年10月19日 | 基礎自治体

今日の神戸新聞にみっきぃバスの乗客数の減少が取り上げられていました。

先日、市民の方から神鉄に補助金。路線バスに補助金、みっきぃバスに補助金、

市民ふれ合いバスに補助金。ふれ合いバスは無料でみっきぃバスの乗客が減ってしまうのでは?

お互いに乗客の取り合いをしているだけで悪循環だ。

もう少し相互にリンク出来る仕組みを考えられないのかとも仰っていました。

難しい問題ではあるが補助金の観点から公共交通の仕組みを仕分けしなければならないと思う。


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10 コメント

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空のバスの経済効果 (ただの)
2012-10-23 23:05:19
みっきいバスを日中見かけますが、乗客が見当たりません。空のバスを走らすのが市長さん好きみたいですね。市長さん経済学部出身なので、空のバスを走らす経済効果についてお聞きしたいです。CO2を撒き散らすだけ?神姫バスを喜ばすため? 何のための血税。市民の血が、タダの煙に変るだけ。  もったいない。もったいない。
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Unknown (ただの さま  大西ひでき)
2012-10-24 19:17:51
コメントありがとう御座います。
仰るとおりだと思います。
交通弱者にとっての政策は必要かと思いますがメリハリを付け重複しているところは再検討が必要だと思います。
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お客様の意見は絶対か? (一市民)
2012-10-25 20:52:42
統合病院への交通手段を含めた「公共交通網計画」なるものについての説明会が10月から随時開催されるようですね。

市民の意見を広く聴取することは確かに重要ですが、市民の意見を聞いたからといって、市民が喜び、利用してくれるものを作れるわけではありません。

そもそも、お客様というのは、身勝手なものです。

お客さんの「あったらいいな。」程度の意見を寄せ集めても、良いサービスが提供できないのは当然です。

本当に利用してもらえるものを作るには、サービス提供者自らが頭をひねり、自分たちが喜んで利用したいサービスを、真剣に創造していく必要があります。
(「不便ですけど、がまんして使ってください。」では長く続かなくて当然なのです。)

聡明な三木市の方々であれば、この大西市議のブログも当然読んでくださっていることでしょう。

三木市には、「よりよいサービス」を作り出していただきたいのです。

小野市にできることならば、三木市にもできるに違いないと思うのはわがままなのでしょうか。

こういったことにこそ、トップダウンの牽引力と他機関との調整力、交渉力が試されると思うのですが。


※大西市議のブログに毎度長いコメントをして申し訳ありません。現状の三木市に一石を投じ、その方向性に影響を与えうる方で、信頼に足りる方とお見込みした上でのコメントです。
ご迷惑ならばいつでもお伝えください。
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それでも必要とかんがえる市長 (ただの)
2012-10-28 01:10:41
 一市民さん 良い考えですね。それでも、市長さんは、票のことが気になるので、少数派の意見でも、無駄でもやってしまいます。 金が無くなれば、職員の数や賃金を下げればよいと思ってますね。
 この前ね、市役所の35歳までの若手職員の数が、出ていましたが、たった40名でした。
 今の市長さん、二期目までは、市役所の体裁保てますが、それ以降は、市役所の中身は、脳がスポンジ状態のスカスカな職員ばかりになりそうです。
 市長は自分の在任中に、市の借金を減らしたと自慢するけど、それと引き換えに貴重な人材と蓄積された知識の伝承を喪失させてしまいました。
 嘱託やアルバイトに、仕事の内容せっかく教えても、良い仕事や高給な職場があれば、市役所以外にトラバーユしてしまいます。そこで、伝承してきた知識・技術の全てが失われ、スカスカになります。
 百や二百以上の法律を解釈して、運営している市役所は、そう簡単な仕事では無いはずです。
 ああ、嫌な三木市になってしまう。こんな三木に済みたくないですね。市民病院も無くなり、小野市民病院に沢山寄付する三木市なんて。三木市にあってこその市民病院。あー、嫌だ嫌だ。
 一人のアホな市長のために、三木市が崩壊してゆく。
 
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Unknown (ただの)
2012-10-28 01:15:02
こんな三木に済みたくないですね -> こんな三木市に住みたくないですね。
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Unknown (草莽の民)
2012-10-28 23:01:28
小野市は文化のレベルも高いですからね、町並みを見てたら独特で、一つ一つ考えて作ってるんだなと分かります。
対して三木はというと、偉人が生まれる事もない。
自分は、根本的な所に三木の駄目さがあると思ってます。

民主主義は市民の質以上の政治は出来ないですから。
文化も殆どないわけですから、「三木らしさ」という気風もなく、そこから生ずる精神も無い。
無機的な人間ばかりで、更に外部から核家族を取り入れる。
悪い意味でこの状況が三木らしいと思います。

「市民」って言葉は、今の日本では違う意味に変貌してしまっていますが、
本当は公共心を持って国家に尽くす代わりに、国家からの保護を得る者の意味だそうです。
何でも役所に任せようとせず、今こそ市民がやらなきゃと思っても、そういった環境は整い難い。
そもそも今が日本人の精神が最も堕落した時代ですから余計に難しい。
しかし自立が出来るとすれば、インターネットで出来つつある輿論という知性の結集しかないでしょう。
輿論というのも、単なる世論とは違ったものです。
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Unknown (一市民)
2012-10-29 20:06:37
播磨気質っていうのがあるらしいです。

「利己的、排他的、自己中心、打算、ずるい、狭量」。
「付和雷同、他力本願、主体性がない」
さんざんですね。

昭和60年ころの住民調査の結果、同じ播州人に対して、播州人がこのような評価を行っていたと。

しかし、まったく逆の評価も同数あり、それは
「明るい、温和、楽天的、お人よし、純朴、人情に厚い、おおらか」といったものだそうです。
(「播磨気質」神戸新聞出版センターより)

ものごとには、必ず多面性があります。

三木の古い街並みを歩けば、狭い路地に、丹念に手入れされた盆栽が所狭しと並んでいます。

江戸時代のイギリス人学者は、日本のどこにも庭がある風景をみて、日本の文化水準を高く評価したそうです。

何気なく目にするものも、実は高い文化であって、当事者であるがゆえに気づくことができないものって、結構あるものです。

さて、草莽の民さん。ただのさん。

民主主義は常に衆愚政治という危機に挑み続けるものです。

人は、関心の少ないことには「意図して流された情報」を無意識に選んでしまう傾向があり、現代は、「情報戦」を制した者が勝者となります。

ですから私は敢えて、「正しく三木市の現状を分析する。」「見ている人がいることを考えて、感情的にならずに。」ということを心がけています。上手く書けていないかったら申し訳ありません。

「三木市がよくなるために何ができるか。」ということを一緒に考えて、反対する立場からでも思わず「はっ」、と気付かせるような建設的な意見を前面に押し出していかなくちゃいけないと思うんです。

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Unknown (草莽の民)
2012-10-31 23:30:31
一市民さん
なるほど、これが播州気質ですか・・・辛いですね。
大体今の日本人に対して思ってた通りと言いますか、何も生み出さない、進歩しない様な感じですね。
後半の良い面とされているであろうものも、組み合わせが悪ければ、決して良いものとは思えません。

>「正しく三木市の現状を分析する。」
文化の面で、今は何時代かと考え、絶望しております。
絶望を知って、さてどこからやるべきかと掘り下げると、一番初めからやらなければならないなぁと。

>「見ている人がいることを考えて、感情的にならずに。」
これは例えばどういった状況の事でしょうか?
それであまり得になる事が想像できませんでした。
逆に、現実を把握、共有する為に、悪く言うのは良いのではないかと思ってる程です。

>「反対する立場からでも思わず「はっ」、と気付かせるような~」
今は価値観が多様化し過ぎていますからね・・・。
それから、この状況で「反対する立場」とはどの様なものでしょうか?
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>草莽の民さん (一市民)
2012-11-03 19:51:03
何度も草莽の民さんの文章を読みかえしさせていただきました。
書かれた文章から、書かれた方の真意を読み取ることは難しいですね。

まずは一言お詫び申し上げます。

最初の段階で、何と申しますか「怒り」のようなものを第一に感じました。

そうではなく、「檄を飛ばす」文章だったのでしょうか。
そうだとしたら、私の指摘は的外れだったかもしれません。

重ねてお詫び申し上げます。

また、私の拙い意見にご議論いただきありがとうございます。

草莽の民さんも、思うところがあったからこそ、ご意見をくださったものと感じております。

行政的な判断は、何が正しいのか、正解はあってないようなものだと思っています。しかし、その中にも、大多数の方が「そうだ。」と思える正しい見解は作っていけるものと確信しております。

私は拙い意見を申し上げますが、大西議員を始め、みなさんが、「ああでもない、こうでもない。」と意見を出し合っていけることでよりよい答えを導いていっていただきたいと希望しております。

多くの危険が伴うにも関わらず、コメント欄をご開放いただき、議論の場を設けてくださっている大西議員にも、お礼申し上げます。

(思うところあれば遠慮なくご指摘ください。)

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Unknown (草莽の民)
2012-11-04 10:13:20
あっ、どうも。わざわざすみません。
何と言いますか、状況理解に務める傾向が常にあって、最も現実的な事を書こうとしてます。
怒りというのは確かにこれまでにはありましたが、上のコメントを書いた時は淡々としたものでした。

文章だけで感覚を伝えるのは、不可能でしょうね。
自分の話し方などは少し西部邁先生に影響を受けています。
http://www.youtube.com/watch?v=tagO5QNdvU0

大方繰り返しになりますが、
絶望的な状況であれば、その絶望を出来るだけ知る事が最優先だと思ってます。
その先で希望を見出す様にしていく事でしか、根本の解決は出来ないからです。

自分は、決して大多数が賛同できる見解というのは無いと思っています。
価値観の多様化、一億総白雉、最低限の国家意識さえも学ばされず、変な思い込みが多いこの日本の現状において、大多数に通用する見解というのは発明と言える程のものではないでしょうか。
これらの状況というのは、非文明的で無機的な動物だと思っています。
共通する意識があるとすれば、今や「無関心」であり、つまりそこから生み出される意識には共通性を持ちえません。
三木の現状は一見文明に囲まれている様であるけども、今や何百年も遅れている様に自分は見ています。
常識(輿論)という知性の水準が高く、連続性を持って継承する以外に文明の進歩はありえません。
なのでもし仮に三木の精神状態が一つの新興国として具現化したら、直ちに滅びるものだと思ってます。
その上、三木はますます自立から逆行し、搾取を受ける植民地の様な依存型になってますから・・・。
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