まもなく3月議会が開会されます。
今日は、三会派(一人会派)が揃って当局から事前説明を受けます。
1月28日の稽古始から、連日に及ぶ練習に耐え10日の稽古治め、
11日の神事本番まで、多くの皆様に支えられながら
主役の射手(練弓、練脇弓、秀手弓、秀脇弓)の郷土愛に満ちた青年達が頑張りました。
上の写真は、今年の親村を務められた北区淡河町木津の公民館に隣接した、大歳神社
(村人が大切にお祭りされているのが良くわかります)
次の写真は、4人の射手。
全ての神事が終わり「ほっ」とした面持ちと満面の笑顔で、
境内の皆さんにお餅を振舞っています。
私は、初めから携わっているだけに、この時の青年達の笑顔を見るのが一番の楽しみです。
(この笑顔を見る為に、毎年続ける事が出来ます)
神事が終わると、県弓道連盟の高段者の先生方の奉納射術がありました。
普通では、まずこれだけの先生方の射術を見る事は出来ません。
淡河神社の御弓神事なればこその風景です。
連日の極寒の環境では焚火がとても有難いものです。
下は、丹生山の麓にある不動の滝で身を清める禊を行います。
私を先頭に、射手4人が続きます。この日は一日中雨天でした。
(インフルエンザも何とか治して先導する事が出来ました)
身体中を冷たい水が突き刺します。そして、身体中から湯気が立ち昇ります。
しかし、青年達は我慢して耐え続けます。
昨日の神事本番、正装(素襖)に着替えて、多くの方の見守る中、
緊張した面持ちで40分前後の時間作法を行い二人で4本の矢を射ます。
(練弓、練脇弓ペア→40分)(秀手弓、秀脇弓ペア→30分)
的には「鬼」と書いた上に墨で黒く塗りつぶし(鬼封じ)、
その鬼を射る事によって、無病息災と五穀豊穣を祈念します。
今年も、稽古の成果もあり、見事に鬼を射抜くことが出来ました。
(写真手前が練弓、奥が練脇弓、同じ氏子で先輩議員の大眉議員さんが撮って頂いた写真です)
それぞれの地域で守り続けられる伝統が、その地域の絆を更に強くし、
世代を超えて受け継がれていきます。
この度も、多くの方から学びの機会を頂きました。
ありがとうございました。
昨日のブログに続き
極寒の中、凛とした空気漂う不動渓谷で禊を行い、湯気が立ち昇る体で淡河町木津の公民館へ。
そこでは、20歳前後の青年達と、小学生がいつも間にか仲良くゲームをしたり、
お兄ちゃんに群がって「ほたえたり」
歳も離れており日頃から面識が無いもの同士が。
子ども達が、お兄ちゃんに親しみを持って近寄り、お兄ちゃんたちも弟を可愛がるように、
ダッコしたりおぶったり。
距離が益々近くなっていきます。
他愛のない話ですが、一生の思い出になるでしょう。
こうやって地域に愛着を持ち、
誇りを持って育っていく土壌が生まれるんだろうなと思いながら、
大切なものを再認識させて頂きました。
さあ、今日が御弓神事本番です。
青年達の凛とした有志を見にお越しください。
本日、12時から。
例年、氏神である神戸市北区淡河町にある淡河神社で「御弓神事」が執り行われます。
私の住まいは三木市志染町ですが、
志染町の中でも三津田と戸田の氏神は淡河神社となっています。
今年は、木津地区が親村(年番)となり、28日の稽古始から明日の場慣らし(予行)、
11日の本番へと向かって、現在順調に進行中です。
そこで、連日に及ぶ指導(夜)をしている最中の
奉仕者(今年は青年達17歳~24歳)との会話をご紹介させて頂きます。
私:淡河ってええとこやろ?
青年:うん。
青年:はい。
私:おっちゃんは、淡河好きやねん。
青年:僕も淡河好きや。バスも少ないし、車持ってなかったら不便やけど、ええとこやもん。
青年:もうちょっと便利やったらええけど。僕も淡河すっきゃねん。
青年:僕も好きやねん。下に兄弟おるけど、ええとこやし。今は出とるけど戻ってこう思とるねん。
私:そやな~。土や泥あるしな。
青年:泥かぁ~。(笑)
青年達みんなが笑顔で「すっきゃねん」て言える。
素晴らしい事だと思います。
素直な青年達、郷土がすきな青年達がいるから、御弓神事も継続できる。
また、御弓神事も含めた地域の繋がりがあるから
青年達の思いも一つに向かっていくのかも知れませんね。
淡河町は神戸市で唯一光ファイバー網が整備出来ていないところで、
直近の新聞では整備に着手と書かれていました。
便利になるのはいい事だと思います。
その上で、更に青年達が笑って「すっきゃねん」って言える
環境づくりの一助になれるように頑張っていきたいと思います。
そして、指導者として青年達に接する事で、心温かい学びと出会いが出来る事に感謝しています。
昨日のブログ:社会人としての最低限の常識(職員編)
について、多くの皆様のご関心が集まりました。
また、組織としての危機感も更に深まりましたので、今後も続けて発信して参りたいと思います。
さて、我が家ではインフルエンザが大流行していますが、皆様の周りでは如何でしょうか?
毎日、マイナス気温が続きますが、御身体ご自愛くださいね。
今日は消防団について
多くの消防団の皆様と同じように、
私は二十歳前に近隣の先輩から入団のお誘いがあり当然の様に入団しました。
昔は、消防団を経験卒業し、そして村で活躍するという流れがありましたが、
現在は、消防団を卒業出来ずに村で活躍し続けていらっしゃる方が多数です。
(人口構造に関する問題)
各地域では、消防団は無くてはならない存在です。
私の在籍中も多数の火事がありました。
呑吐ダム建設中の山火事、笠松峠山林の山火事、近隣工場の工場火災や民家火災等、
また、志染から別所まで応援に駆け付けた事もありましたし、
近隣地域への消火活動の応援等、多数あります。
地元で仕事をしていた私は、サイレンの音を聞く度に消防本部に電話をして確認をしていました。
当時の状況は今でも鮮明に覚えておりますが、山林火災などは特に多数の人員が必要です。
市消防が消火活動をした後に、我々団員が再度火災発生が無いように見てまわります。
これらの活動は消防団無くしては考えられない事だと思います。
また、消防団活動以外の効果として、その後の地域の結束も生まれます。
しかしながら、少子化や働き方の多様化等から定員も減少し、消防団の在り方も変わりつつあるようです。
地域コニュニティとしての消防団活動とは別に住民が自主消防として安心安全を支える仕組みづくりの検討が必要です。
先のブログでも書きましたが、市消防の定数増について関連する問題に結びつくのかも知れません。
市役所には多くの人が出入りしています。
立場上、多くの職種の方と市役所内でお話をさせて戴く機会があります。
先日、所用で窓口へ行きました。(議員と告げずに)
若い職員が対応してくれましたが、対応の悪さに「むっ」としつつ
自分が辛抱すれば済むからと思いながら話を聞いていました。
(後に課長に連絡して職員(社会人)としての常識が不足しているので、注意を促しました。)
何が悪かったか?
此方は敬語で ・・・・ですか?
職員は「ふん」「ふん」 → 普通は「はい」です。
職員30歳前後、私50歳以上。どう見ても年長に見えるものに対する対応ではありません。
その職員とは、顔見知りでもありません。
また、他のケースでは、出入の業者さんが職員に朝の挨拶をしても無視されることが多々あり、
それは、男女問わず若い世代の職員に多い。と。
(詳細についてはもっと酷い内容ですが出所が分かってしまいますので控えます)
その方曰く、仕事の内容で分け隔てをしているように感じるとおっしゃっていました。
職種で貴賤の区別をしている?とも言われていました。
(因みに、指揮監督する立場の管理職の中にも挨拶が出来ない者もいると聞きますが)
多くの職員が、日々職務に精励している中で、
一部のそうした職員がいることで、市民との信頼関係を損ね兼ねません。
職員としての教育以前の問題ではありますが、
社会人として規範が示せる人格の醸成が急がれます。
(私は気が付けば、上席者や常任委員会で問題提起しますが、遅々として改善は見れません。)
東京へ研修で行くと、コンビニやファーストフード店等ではほとんどの店舗で
外国人が店員として働いていらっしゃいます。
また、三木市でも多くの外国人がそれぞれの企業で活躍されています。
現在、三木市にお住いの外国人(技能実習生含む)の人数は約1300人(全人口79000)、
お隣の小野市は約600人(全人口49000)、
参考で三田市は1100人(全人口114000)の方がお住いです。
私が存じ上げている会社でも、募集を掛けても人が集まらない、
まだ体力があるうちに技能の伝承をしておかなければ取り返しがつかなくなる。
等のご意見もあり、外国人の技能実習生に積極的に取り組まれていらっしゃいます。
市内企業の維持、成長を考え方向性について検討していかなければならないと思います。
県内在留外国人市区町別人員数(28年12月)https://web.pref.hyogo.lg.jp/sr13/documents/zairyugaikokujinsuu2812.pdf
小学校では一学年二クラスで学んでいました。
ある時、テストで思ったより良い点数をとりました。
後日、担任から数名の同級生がある部屋へ呼び出されて
「君らが、良い点数をとるのはおかしい」
「先にテストをしたクラスから答えを聞いただろ」
「だから、いい点がとれたんだろう!」
私達は始めその言葉の意味を理解できずにいましたが、
徐々に、悔しさで涙が出たのを覚えています。
担任から、帰っていいと言われ教室へ帰りましたが、
それ以降その担任からの謝罪は在りませんでした。
子どもを教育する立場として、過ちは認め謝罪が必要だったのではないかと思います。
私の体験は、今では笑い話で済ませることもありますが、
私だけの問題ではなく、多くの児童たちに影響を及ぼすことも考えられました。
当時、その担任が上司にどの様な報告をしたか知ることはありません。
その時々の立場にあるものは、
職責を真摯に受け止めて行動しなければならないと思います。
その時の担任も、その後反省し同じ様な過ちが無かったことを祈るばかりです。
私が小学低学年の時、初めて遊びに行った友達の家での出来事です。
その家に着くとおばあさんがいらっしゃいましたので、挨拶をしようと様子を伺っていると、
孫(友達)に向かって、「あの乞食の子、どこの子や」と私が近くにいるのも関係なく
大きな声で聴いているのです。
当時、小2の私は状況が余り理解できていませんでしたが、
決していいことは言われていないんだと実感してかなりショックを受けた事を、
鮮明に記憶しています。
その事は、家族にも話さず(話す必要性も考えず)現在に至ります。
友人には、当時の事を話し今も仲良くしています。
相手の気持ちを推し量る心は、相手の年齢に関係なく大切にしたいものですね。
好きな景色は?
と聞かれたら皆さんは何と答えられるでしょうか?
私には、好きな景色が2つあります。
一つ目は、夏、志染小学校の校庭から見る夕焼け
授業が終わっても友達と日が暮れるまで、よく遊んでいました。
二つ目は、自宅前から眺める夜空
綺麗な星が見える静かな環境でフクロウの声を聴きながら、よく夜空を眺めます。
どちらも、大切にしたい普通の風景ですが、私にとっては特別なものです。
あなたにとっての特別な景色は?
ちょっと考えて一息ついてみて下さいね。
我が家では風邪やインフルエンザBが蔓延しており、私もダウン気味。
関節が痛いなーと思いながら、筋トレで追い込んだ為の筋肉痛かな?
と思っていたら、昨晩、高熱が出て・・・・。
お体ご自愛下さいませ。
さて、皆さんが昔蒔いた種は如何でしょうか。
神戸市北区淡河町にある淡河八幡神社の御弓神事(県指定無形民俗文化財)
を地域の青年達に師範として指導しています。
指導を始めて34年になります。
淡河神社の御弓神事の歴史は約800年、
他の地域にも御弓神事があり、古くから残る地域の文化です。
以前、神戸市文化財課の方からお聞きした話ですが、
淡河の御弓神事は他の地域とは違った
とても素晴らしい継承の仕方で受け継がれている。とお聞きしました。
どの様なものか?
指導に師範制度をとっています。
昔は、その村々に前回御弓神事に従事した者(4年前の)が指導していました。
そうすると、作法が曖昧になり、御弓神事の目的も曖昧になりかねません。
その後、40年位前?に師範制度が出来ました。
そこには、地域が認めるキーマンの存在がありました。
師範は淡河神社の氏子の地域を総括して毎年指導して回ります。
行政区(神戸市・三木市)をまたぎ、統一した作法を伝承する。
そして、それぞれの地域が地域の特色を継承しながら、
神事については神社の、作法については師範の指示に従い、
地域と神社とが緩やかに文化を伝承しています。
それぞれの地域の皆さんが、主役となる青年達に感謝し、
青年達は地域の先輩方に感謝して主役を務める。
派手さはありませんが、地域がまとまるのに必要ありません。
必要なのはそれぞれが、それぞれを敬う心かも知れません。
時代に応じたしなやかな対応が地域の文化を守り続けていくのかも知れませんね。