ちょっと出かけると あちこち撮りまくってます(笑い
大阪市の商いの発祥地?かな 心斎橋筋をほんの少しブラブラしてきました~(^-^)
心斎橋筋のアーケードに 心斎橋のモチーフ?が やっと気がついた(笑い
いつもは、前だけ見て ぶらぶらするもので(-_-;)
現在の心斎橋 川に架かってませんよ~ 昭和39年までは長堀川に架かっていたのですが、駐車場不足解消の一環として 川が埋められて
長堀通りの中央分離帯に 飾りで明治42年に掛けられた石橋の欄干部分が置かれてま~す。
木曜日の午後 人の途切れた瞬間をパチリ
心斎橋の名前の由来が気になり 調べてみると「心斎系譜」による説明から引用してます。
〇長堀川を開削した4名のうちのひとり、岡田心斎は長堀川を開削した後、長堀心斎橋町に住まい、
長堀川両岸に沿うこの町の往来の便のため、南北に橋を架けた。
これが心斎橋の名前の由来である。
元和8年(1622)長堀川の開削と同時に架けられたというのが有力な説である。
諸説あるようですね
木橋は 長さ18間(約35m)幅2.5間(約4m) 当時の南北方向の道路幅は4間だったとか
荷車が行きかうことが可能だったようですね。
〇江戸時代、大坂の橋はほとんどが「町橋」といって、町人達が費用を懐から出し合って架橋、
管理するものであった。
公儀橋は街道筋の重要拠点や、大坂城への直接の連絡口にあたる12橋。江戸時代の、大坂三郷には
200近くの橋が架かっていたので、それを維持できた町人の豊かさがうかがわれる。
(12橋の名前が知りたいなぁ~ 大坂三郷とは 色々調べてみたいところですね)
心斎橋の歴史が
不法駐輪困るなぁ~
ガス灯(石橋の四隅に設置) 今でも点灯しているとか 今度は夜に見に行かないと・・・いつ行けるかな(笑い
明治42年製だそうです。 戦火を逃れたのでしょうね

長堀通りから南へ一筋南側へ入ると 鰻谷北通り
心斎橋筋の東側は こんな感じ 観光客でしょうね 大きな声が聞こえてました。
心斎橋筋を南へ200mほど歩いてのですが まるで、外国で~す 日本語が聞こえない(-_-;)

西側は

昔々は 心ブラと言って、長堀通りから戎橋付近まで ウィンドウショッピングで人とぶつからないよう歩くことも 一つの遊びでしたぁ~(古い話で恐縮です)
心ブラ・・・・すでに死語かも(笑い
便利グッズを探しに東急ハンズ心斎橋店へ行ってみると こんなフィギュアが・・・
大きさ縦横高さ約14~5cm 非常によくできてます お値段も凄い 勿論、自分で組み立てですよ
色んなものがあるのでびっくりで~す。


観光客向けかな?
心斎橋をテクテクと北へ 矢張り御堂筋を観ておかないと
シンメトリー

地下鉄駅を探しながら御堂筋を北へ とうとう地下鉄一駅分歩いちゃった
久太郎町(キュウタロウマチ)交差点 あっちこっちで工事が ホテルかも
南側を観ると 南御堂が無くなっている よく見ると 南御堂文字が どうなっているのかな
今までの山門の場所にビルが 更にその上はホテルだ びっくりです。
昭和45年(1970年)ころに新築された 某商事会社 工事期間中に7階か8階へ 上った記憶がよみがえりました。
工事期間中なのでエレベーター使えない 徒歩できつかったぁ~
船場センタービル 街並みを残すため 道路下が店舗になってます。この付近は丼池と呼ばれる繊維商品の問屋街です。
御堂筋、堺筋の人目に付く場所は綺麗に化粧板で覆われて見た目が良くなってます。
今は、webでいろんなことが調べられるの 面白いですね 地名、町名などの由来を調べるのも面白いものでした(^^♪
最後までご覧いただきありがとうございます。