akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

昔気質な人の美徳

2005-10-05 | Weblog
親しくしている寿司やの板前さん。
なんとなく伯父に似ているため、親近感もあるのだが、ぶっきらぼうでべらんめえ口調、最初は怒られているのかと思ったくらい。

だがしかし、群馬の標高1900メートルを超える山中に生れたという60歳の彼は、非常に人情家である。

冬になると雪が3メートルも積もる山里の小学校は、今年の春170年もの歴史に幕を閉じた。
最後の学年は児童3人だった。
山を3つ越えて一時間、スキーで小学校へ通った話、
薪ストーブの当番はみんなより一時間早く登校して火を焚いた話、
木造建築の出身小学校が数年前に統廃合でなくなってしまった私にとっても、
なんだか懐かしくなる話ばかりである。
「俺たちの2つ前の学年から卒業写真があるんだよ、それを全部載せた卒業生写真集が作られてな。買ったよ!もちろん!」

彼は、東京で板前として働き始め、いつからか毎年
「学校の子どもたちに本を買ってあげて下さい」
と匿名で寄付を続けていた。
ある時、「毎年送って下さるのは、あなたではないですか」
と校長先生から電話がかかってくる。封書の消印と卒業生の住所名簿から見当をつけて。
彼は「違いますよ、私じゃないですよ」

「どうして名乗らなかったんですか?」と私
「別に名乗るほどのことじゃないし!いいんだよ、贈り主が誰だって」
…この台詞がまた、江戸っ子口調で端切れがいいんだなあ

俺がやったと言いたい人は多いけど、聴かれてなお名乗り出ず
匿名のまま善行ができる人はそう多くない。
昔気質な人の美徳というか、
なかなか今は薄れてきた感覚(田舎ではけっこうあるかもしれないが)に触れたような気がして
今日はちょっぴり得した気分だった。


コメント (3)
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死に際し

2005-10-05 | Weblog
ここ数日で、縁のあった方が二人なくなった。

妹の嫁ぎ先のおばあちゃんは92歳。老衰による静かな往生だった。
一度だけお目にかかったのはちょうど去年の10月、留萌に公演に行った時ー。
「麻衣ちゃん(妹)、麻衣ちゃん」と妹にとてもよくしてくれたお祖母様だった。
最後まで温かい家族に囲まれ、本当に幸せだっただろうと思う。

無声映画観賞会等でお世話になった杉田さん。
いろいろとアドバイスと励ましの言葉をいただいた。
映画、音楽、美術、言葉に関しても博識な方だった。
好きな仕事と好きなお酒と、多分最後まで一緒だったと思う。

ー心より御冥福をお祈り致します

死に様ーどんなふうに一生を終えるかは、自分次第。
だけど、死の波紋は自分だけのものじゃない。
やっぱり、私自身は「いい一生だったな」って死ぬ時に思える人生を送りたいし、
そう言われるような死に方をしたいけれど、
苦しい人生を生き抜いて、
周囲に「勇気」や「意志」や「優しさ」様々なものを刻みつけていく死に方もある。

いずれにしても一個の命は尊いもので、
殺したり、自分で命を絶ったりなんて、
絶対にあってほしくない
毎日のニュースを見ながらそう思う



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