akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

DREAM GIRLS『ドリームガールズ』

2007-03-07 | 活弁
今日、山形さくらんぼTV(フジTV系)の夕方の番組内で18:30頃から、先日の活弁公演の様子やインタビューが放映されました。山形オンリーなので私は見ていませんが、「さすが、フジテレビのベテランアナウンサーうまぐまどめでくっでだけ」と父と母。

ちょうどその頃、私は、アカデミー賞の最優秀助演女優賞と最優秀録音賞、その他ゴールデングローブ賞でも数々の賞を受賞した『ドリームガールズ』を観ておりました。大笑い、大泣き。これぞハリウッドならではのエンターテインメントムービーです。
1960年代のダイアナ・ロスとシュープリ-ムスを題材にしたブロードウェイミュージカル(1981~)『ドリームガールズ』の映画化。
ミュージカル映画は、映画だから可能になることが加わって、舞台で観るミュージカルとまた違う面白さと刺激を与えてくれます。『シカゴ』にハマった私にとって、その脚本を担当したビル・ゴンドンが脚本だけでなく監督も務めたこの映画は、期待を裏切らない、『シカゴ』以上に心踊るものでした。
『第七天国』というタイトルですでにラストがハッピーエンドだとわかるのと同じように、『ドリームガールズ』というタイトルで、アメリカ映画が(これがヨーロッパの映画だったらわかりませんが)ハッピーエンド、あるいはポジティブで強烈なメッセージを残した終わりでないわけがない。観終わった時の高揚感は「さすが!」です。

夢や成功を掴み、登り詰めていく過程には、様々な葛藤があり、喪失がある。
ショービジネスの世界でトップスターになるために「売れる音楽」に徹し一時は「ファミリー」として爆進してきた仲間も、やがて「本来の自分の音楽」とのギャップや「本当の望み」との乖離に苦しむようになる。犠牲にしたり忘れたり失ってしまったもの、裏切り、それぞれの傷み。
まだ黒人と白人の間に大きな壁があった60~70年代のブラックミュージックの歴史をバックグラウンドに、普遍的なショービジネス界の光と影を、見事な音楽と映像と演技で表現してくれています。
エディ・マ-フィー、素晴らしかった…。歌といい存在感といい、ルックスといい、「どこか垢抜けないがソウルフルでセンシティブで自惚れ屋のビッグスター」にぴったりで、その一流のパフォーマンスに脱帽。もちろん、助演女優賞を獲得したジェニファー・ハドソンの圧倒的な歌唱力も、ビヨンセのスターとしてどんどん輝きを増していく変貌ぶりも、ジェイミ-・フォックスの辣腕プロデューサーぶりも、どれも見応え聴き応えたっぷりで、本当に楽しませてもらいました。
それから、構成、進行の巧さ。歌の一曲一曲がショーとして成り立っていて楽しめながら、その間にも歌詞と映像がストーリーをどんどん展開させていく。歌が、ある時は状況の変化を表し、ある時はセリフを表し、ある時は心情を表す。一つのショーを観るように、流れに乗って、あっという間にラストソングまで持っていかれてしまいました。それも、ロックあり、ソウルあり、ポップ、R&B、ラップ、バラード、ディスコナンバーあり、60年代の音楽をベースに現代の流行と融合させていて飽きさせない。ダンスと衣装もしかり。
笑えて泣けてワクワクできる作品はいい。苦しみと喜びに共感できるだけのリアリティがあり、それを茶化すだけの余裕もあり、現実を超える夢があり、希望も見せてくれる。That's Entertainment!



コメント (1)
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