逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



2/2㈰は節分。この時期としては珍しく、ほとんど雪が無い冬。裏日本では大雪で困っているが、北アルプスが雪雲を押しとどめ、松本平では積雪が無い。
そんな中、節分の豆まき。かってはバラで豆まきをしていたが、後の掃除が大変だ。なので、最近は袋ごと撒き、あとで回収。


この歳になると、福豆を年齢の数だけ食べるのも大変だ。

さて、ぐずぐず引き延ばしてきた確定申告、やる気を注入して、一日で完成。やればできるじゃん。私のスマホはNFC不対応なので、郵便で出すついでに、高校の150周年への寄付も振込の為に郵便局へ。



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1967-10/1に発行された信濃教育 第971号 のP68~93に『芥川龍之介作「庭」の解釈とその題材をめぐって』という評論が載っており、筆者の高林市治さんが、父や万福寺の金井正俊住職から聞き取った話が載っている。今まであまり知らなかった話や再発見の話がのっているので、「庭」に関する史料としてアーカイブしておく。

【あまり知られていなかった話】
①小穴隆一の父、小穴唯一郎は志村巌の三男ではあるが、後妻(松本市中町万藤家より嫁す)の初めての子。徴兵を逃れる為?架空?の小穴家への養子と言うにしたとの風説ありとのこと。
②「庭」に伝法肌(ヤンチャ)と描かれた志村巌は、岡谷の茶屋本陣の今井家から養子として志村家に入り、明治22年~29年まで宗賀村の初代村長であった。豪傑/傍若無人でいくつかの逸話がある。例えば小松家の婚礼の帰りに酩酊し、馬の用意を命じたが、無かったので大男に跨って家に帰った。葬儀の精進落としでお寺様を差し置いて上座に座った。村有林の調査の役人に、この沢の名前はと聞かれ、適当に名前を付けて返答した。等々、、、
③志村巌の長男志村勘一は経済的に破綻し、間口6間一杯に建てられていた脇本陣の建屋を売り払った。(現在も移築された建物が安曇野三郷に残っている)その後、三男の小穴唯三郎が家を再建、子の小穴隆一が相続したが、その建物は昭和7年の洗馬大火で焼け、家の無い土地は松本の万藤家が管理していた。
④大火の後、庭や屋敷跡は20年ほど放置され、近所の人が畑を作ったりした。
⑤20年間の放置の間に、ひょうたん池の西側は防火用水池を掘った土砂で埋められ、東側だけが残っている。
⑥ひょうたん池にはせんげから水が落ち、脇本陣に泊まった御岳修験者が荒行を行った。
⑦洗馬大火の後、石灯篭等の庭石の多くは葛家に移された。閑園神霊の石碑は庭に埋もれていたものを建て直した。
⑧志村家の墓所は2ヶ所あり、一つは百瀬守が引継ぎ、もう一つは尾沢橋の横にある。

タグ 芥庭



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1/30㈭、25年間所属していた事業所の同窓会が開かれた。かっては正規従業員だけで数千人、全体では1万人以上いた事業所も正規従業員は二千人程度に縮小されている。同窓会に先立つ工場見学で、1時間半ほど工場内を歩き回ったのだが、かって主力であった火力用の蒸気タービン、発電機があまり見受けられない一方、大型モーターや超電導コイルの製造現場が忙しそうに稼働していた。また、数十年間使われ続けていた数m角の部品を加工する自社製の五軸NC加工機や戦前に輸入された十数mの主軸を加工する旋盤などが廃止され、新型機械に置き換わっているのも、寂しい一方、今後の光明となる発見であった。
私の出身の水力部門も、奥只見発電所などの数十トンの取替部品や新規発電所向けの機器が現場に散見されたので、一安心であった。現役世代に話を聞くと、人が減らされた分、増々忙しく働いているようだった。
今日は冬晴れ、工場の食堂前から、東京湾の向こうに富士山が良く見える。



工場の同窓会に会費を払って登録している人は千人余り、もう高い会費を払っていない人も数千人は居るのだろう。今までは、これらの会員に郵送で案内状を送り、見学会や同窓会の会場を設定し、会食の場を提供するのを、工場の総務部門が僅かの実費負担+会社経費でやっていた。だが時代の趨勢から、そのようなことを継続するのは無理であり、今までの形態での同窓会は今回が最後のものとなった。そんなことを予知したのか、出席者は二百人余りに昇り、懇親会も座りきれないほどの盛況であった。


まだ部門毎の私的に組織された同窓会は続くであろうが、今回は他部門でお世話になった何人かの先輩方に、今まで受けたご厚情に感謝し、私のしでかしたご迷惑へのお許しをお願いできて、本当に有意義だった最後の同窓会であった。

付録
BSで鶴見線の車窓風景番組をやっていた。工場の現場事務所からの風景。海芝浦駅の向こうにつばさ橋と遠く横浜ベイブリッジ。入社まもなく、この海を眺める事務所の3階で執務していた。工場内からこの風景を眺めることは叶わなくなりそうだが、海芝浦駅が廃止されず、駅から海が眺められる日が続くことを願う。(とは言え、線路はJRへの貸与であり、海に面していて、線路や護岸の維持には多額の金が必要なので、このご時世ではいつ廃止になってもおかしくない)




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1/29㈬、厳冬期でお客さんが少なく、オフシーズン料金となるのを狙って、蓼科の滝の湯へ。寒い、サムイ。それでもまだ、この時期にしては、ほとんど雪が無いのが救いだ。旅館までは雪の心配なしに登ってこれた。



でも水がしたたり落ちれば、そのまま氷瀑になる。


さっそく、露天風呂にドボン。(ホテルのHPから)川沿いの開放的な露天風呂。


お風呂からあふれ出たお湯が滝のように流れている。


食事はバイキングなのだが、それほど混んでいなかったし、インバウンド客も10%程度と少なく、のんびりできた一日だった。



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