市民タイムスの分厚い元旦号を覗いていたら、気になる広告記事を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/a2/1b9921dfbb38a9e0d16cd0b79c4a86a2.jpg)
まだ小学校の低学年だった頃、叔母が婦長を務めていたので、皮膚病の治療で通った丸の内病院の記事だ。温泉街にあった我が家から頻繁に出ていたバスに一人で乗り、松本城の前にあった病院に数回通っていた。その病院の沿革を見ると、
- 1944年 - 石川島芝浦タービン松本工場診療所として開院
- 1945年 - 現在のテレビ信州松本総局(旧本社)に、石川島芝浦タービン株式会社付属丸の内病院として開設
- 1968年 - 田町小学校跡地に、病院新築移転(地籍は松本市開智)
石川島芝浦タービンとは、私が数十年勤めていた東芝京浜事業所にあった会社だ。東芝が70年代に資本をIHIに譲渡したので資本的にはIHIになったのだが、元は京浜事業所の蒸気タービンの部品の疎開工場として、南松本に工場を作ったのが始まりの会社が作った病院だったわけだ。
病院開設者として土光さんの名前が挙がっているが、仕事に飽きた時、資料調査の名目で、工場の図書室(誰も来ないので、休憩に最適!)の収蔵庫に籠り、土光さんの手書きの米国出張報告とかを読んだり、仕事上の選択肢に迷った週末、鎌倉の土光さんのお墓参りをしたことなどが思い出されたのだった。
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松本平には、石川島芝浦タービンの名残のものや、子会社、孫会社が幾つかあるので、その内、痕跡を辿ってみようかな?
⇒似たことをしていらっしゃったんですね。
私も仕事に飽きた時や気分転換でよく勤務していた会社の図書室に行ってました。
会社の図書室には創業時代の様々な報告書があり読み漁っていました。
そうかぁ・・・技術基準はこのような実験で求めていたんだなぁと昔の先輩たちの苦労を知って、改めて尊敬し直したものです。
また、図書室がない事業所では、資料調査の名目で東京都の図書館や、近くにあった国立図書館へ行ったこともあります。
なんと、今では(全部ではありませんが)ネットで国立図書館の本を読めるんですよ。
便利な時代になったものです。
https://dl.ndl.go.jp
国立図書館のデーターもAIが適当に案内してくれると嬉しい。