とにかく時間を見つけて、小説を読んでいます。
いつも通りビジネス書は傍らあって読んではいるのですが、それよりも読みたい衝動に駆られているのが、いわゆる“推理小説”なのです。
小学生の頃はクラスで
「読んだ本棒グラフ」があったので、誰が一番図書館で借りてきて読んでいるかを競い合って伝記などを読んでいたことを思い出します。
この時期は脳の発達も一番進む時なので片っ端から読んでいたという感じでしょうかね。
ある意味では、「何も考えていないから読む」ような部分が大きかった気もします。
でも子供の頃は、読書ってなんだかとっても「静的」なイメージを持っていました。
社会人になってもそんな感覚は持っていました。
履歴書の趣味などの欄に「読書」なんて書いたら、
「なんにも趣味がないんじゃないの?」って思われそうな感覚がありました。
ちょっとネガティブ感が漂っていました。
スメ[ツなどはとてもアグレッシブな印象があるのですが、読書はねぇ~…って感じです。
それでもこの頃はその読書に対して感覚が違ってきています。
それは、目の前に活字があっても自分がその気にならなければ決して読むことはできません。
そしてのその文字の意味を考えなければ何が書いてあるのかもわかりません。
文字から入ってくる情報を論理的に整理して、場合によってはビジュアルにイメージすることが必要なのです。
映像などと違って随分と“脳”を使うのです。
脳ミソフル回転!
みたいな感覚があるので「動的」な感じです。
文字からどれぐらいイメージを膨らませることができるかが読書の醍醐味でもあります。
小説には「展開」があります。
その展開を読みながら頭で整理していくことでかなりの“脳トレーニング”になります。
だから、読書家は話をしていても論理展開が自然とできている人が多いです。ペラペラと“おしゃべり”する人とは似ているようですが中身が違うのです。
この一ヶ月で読んだ文庫本は10冊を軽く超えました。
だから、今は
ちょっとでも“変わったコト”があるとすぐに
「推理」してしまいます。
晴れてます。
今日も来てくれたのですね、ありがとうございます。
いつも通りビジネス書は傍らあって読んではいるのですが、それよりも読みたい衝動に駆られているのが、いわゆる“推理小説”なのです。
小学生の頃はクラスで
「読んだ本棒グラフ」があったので、誰が一番図書館で借りてきて読んでいるかを競い合って伝記などを読んでいたことを思い出します。
この時期は脳の発達も一番進む時なので片っ端から読んでいたという感じでしょうかね。
ある意味では、「何も考えていないから読む」ような部分が大きかった気もします。
でも子供の頃は、読書ってなんだかとっても「静的」なイメージを持っていました。
社会人になってもそんな感覚は持っていました。
履歴書の趣味などの欄に「読書」なんて書いたら、
「なんにも趣味がないんじゃないの?」って思われそうな感覚がありました。
ちょっとネガティブ感が漂っていました。
スメ[ツなどはとてもアグレッシブな印象があるのですが、読書はねぇ~…って感じです。
それでもこの頃はその読書に対して感覚が違ってきています。
それは、目の前に活字があっても自分がその気にならなければ決して読むことはできません。
そしてのその文字の意味を考えなければ何が書いてあるのかもわかりません。
文字から入ってくる情報を論理的に整理して、場合によってはビジュアルにイメージすることが必要なのです。
映像などと違って随分と“脳”を使うのです。
脳ミソフル回転!
みたいな感覚があるので「動的」な感じです。
文字からどれぐらいイメージを膨らませることができるかが読書の醍醐味でもあります。
小説には「展開」があります。
その展開を読みながら頭で整理していくことでかなりの“脳トレーニング”になります。
だから、読書家は話をしていても論理展開が自然とできている人が多いです。ペラペラと“おしゃべり”する人とは似ているようですが中身が違うのです。
この一ヶ月で読んだ文庫本は10冊を軽く超えました。
だから、今は
ちょっとでも“変わったコト”があるとすぐに
「推理」してしまいます。
晴れてます。
今日も来てくれたのですね、ありがとうございます。