経営コンサルタント日野眞明のmoreな「ひとりごと」

「商売繁盛」「ビジネス(創業、起業、経営革新)」など更新中!(2022年5月引越)

お餅大好き。<3,419本目>

2010-12-29 08:02:00 | ひとりごと
生まれた時から、杵と大きな石臼がありました。

それは(ほとんど知らせていませんが、年末のこの時期にここに来てくれているアナタは大切な人なので告白です。)
実家がお米屋だからです。

今の時期は、「お餅つき」をしていたのです。
もちろん商売としてです。

クリスマスが終わることアルバイトの高校生や大学生を7,8人頼んで、家族総出、親戚のおじさんおばさんも動員してみんなでお餅つきです。

商売と言っても、大イベントのような楽しさが満載でしたね。

そして、幼稚園の時には既に現場を仕切っていました。
鏡餅(大きなお供え餅)の製作担当は、

(今だから言えますが)小学校に上がる前の日野が作っていました。
また、これが本当のところお客様にとっても評判で、

「日野米屋さんの鏡餅は“きれい”だ・・。」と言われていました。
子供心にそれはとても嬉しくて、毎年毎年“腕”が上がっていったのでした。

だから、サラリーマンになるまで12月25日過ぎから大みそか(お正月)まではどこにも出かけたことがありません。

そして、出来たお餅をその日のうちに”配達”するので、
連日「朝2時起き」とかしていました。

小学校低学年がそんなに朝早く起きて仕事場へ行くと、
親戚のおじさんおばさんたちは感心するのです。

そこにまた乗せられて、連日張り切っちゃっていたのです。
単純な行動は今も変わらないですね。

つきたてのお餅・・・、それはそれは美味いです。

でも、それは兄も日野もお米屋さんを継ぐことなく
10数年前から同業のお米屋さんに製造を委託して、
配達のみの商売になっていました。

そしてここ数年は、もはや商売とは言えず、
お世話になったお客様のところだけに配達をして過ごしてきました。

そしてそれも、今年で“終了”です。
両親はちょっとさびしそうな表情を見せていましたが、

お餅は重く、車での配達は高齢の両親ではもはや限界を超えていたのです。
この10年以上今までは、必ず日野が手伝っていたので、

なんとかやっていましたが、それも一つの区切りをつけたということです。

50年以上、いや60年以上か、
頑張ってきた両親のイキザマであった「日野米店」も、
少しづつフェードアウトな年末です。











チョイ曇り@夜は「シークレット日野忘年会」。
今日でお仕事最後の人もいらっしゃいますね。お疲れ様でした。
そして来てくれてありがとうございます。