大学院生の長男は研究室の手伝いや就職活動で、大学1年生の二男は自動車学校に通っているので、夏休み中とは言え、まだまだ我が家へ帰省しません。子どもたちが小学生の頃には夏休みの家族旅行を時々していましたが、中学生以上になると部活動があったり、受験のための補習や夏季講習会あったりするので、ここ10年くらいは泊を伴う旅行らしい旅行をしていませんでした。子どもたちが家から離れている状況となったので、久々の旅行です。妻と母と私の3人での北海道行きです。
8日早朝に仙台空港を発ち、8日支笏湖・洞爺湖・有珠山、9日神威岬(積丹半島)・小樽運河、10日夕張石炭博物館・札幌テレビ塔、11日富良野「北の国から」ロケ地・ファーム富田、12日札幌白い恋人パーク、苫小牧ノーザンホースパークなどを見てきました。北海道は都市が点在しているのでレンタカーで移動しました。新千歳空港近くで車を借り、4日後に返したときには走行距離が1,000kmを少し越えていました。
大半の場所は子どもたちと共に昔々に訪れていましたので、今回初めて行った夕張市が一番の注目場所でした。それというのは、「福島市民29万人が低濃度放射線のために避難するとすれば、夕張市しかない。」という噂が春からまことしやかに流れています。本気とも冗談とも判断がつきませんが、いろいろな場所でこの噂を聞きます。
10日は泊まっていた小樽のホテルから道央道・道東道と車で1時間ほど進み、夕張ICから25分ほどで夕張の市街地に着きました。
その前にちょっと寄ったのが、画像の「幸福の黄色いハンカチ」ロケ地です。切符もぎりのおばちゃんは「実際に人が住んでいた炭鉱住宅をそのまま撮影に使ったんです。当時、この辺は炭鉱住宅が沢山沢山ありました。」と言っていました。そこを見てから、繁華街へ進みました。大型の映画看板と吹き流し提灯が掲げられた商店街ははっきり言って人が通っていませんでした。市役所も見付けましたが、最初、銀行(北洋銀行)の看板が目立つので、銀行の建物かなと思ってしまいました。夕張メロンの看板を掲げながらも、シャッターが閉じたままの商店も多く、確かに財政再建中ということを感じさせます。石炭博物館は、福島県いわき市にある同様の施設である石炭化石館(常磐炭鉱と首長竜関連の展示。現・ほるる)よりも規模が大きく、ヘルメットをかぶっての模擬坑道歩きが面白かったです。石炭とメロンと映画が夕張を支えてきた基盤であることを強く印象づけていますが、移住するかも知れない福島市民の観点で書きます。炭鉱住宅に代わって建てられたであろうアパートが各所にあり、それが結構空いているようなのです。部屋ががらんとしていたり、洗濯物が干してなかったりで、かなりの部屋が空いていると感じました。それに、小中学校の統廃合が進み、まだまだ使えそうなのに廃校になっている学校をいくつか見ました。29万人は無理でも、その4分の1くらいなら移住できそうです。問題は職場探しですね。サングリン太陽園夕張店や田中義剛の花畑牧場夕張店などで雇ってもらうか、収益率の高くて夕張の気候に適した農作物を栽培する道しかないようです。
8日早朝に仙台空港を発ち、8日支笏湖・洞爺湖・有珠山、9日神威岬(積丹半島)・小樽運河、10日夕張石炭博物館・札幌テレビ塔、11日富良野「北の国から」ロケ地・ファーム富田、12日札幌白い恋人パーク、苫小牧ノーザンホースパークなどを見てきました。北海道は都市が点在しているのでレンタカーで移動しました。新千歳空港近くで車を借り、4日後に返したときには走行距離が1,000kmを少し越えていました。
大半の場所は子どもたちと共に昔々に訪れていましたので、今回初めて行った夕張市が一番の注目場所でした。それというのは、「福島市民29万人が低濃度放射線のために避難するとすれば、夕張市しかない。」という噂が春からまことしやかに流れています。本気とも冗談とも判断がつきませんが、いろいろな場所でこの噂を聞きます。
10日は泊まっていた小樽のホテルから道央道・道東道と車で1時間ほど進み、夕張ICから25分ほどで夕張の市街地に着きました。
その前にちょっと寄ったのが、画像の「幸福の黄色いハンカチ」ロケ地です。切符もぎりのおばちゃんは「実際に人が住んでいた炭鉱住宅をそのまま撮影に使ったんです。当時、この辺は炭鉱住宅が沢山沢山ありました。」と言っていました。そこを見てから、繁華街へ進みました。大型の映画看板と吹き流し提灯が掲げられた商店街ははっきり言って人が通っていませんでした。市役所も見付けましたが、最初、銀行(北洋銀行)の看板が目立つので、銀行の建物かなと思ってしまいました。夕張メロンの看板を掲げながらも、シャッターが閉じたままの商店も多く、確かに財政再建中ということを感じさせます。石炭博物館は、福島県いわき市にある同様の施設である石炭化石館(常磐炭鉱と首長竜関連の展示。現・ほるる)よりも規模が大きく、ヘルメットをかぶっての模擬坑道歩きが面白かったです。石炭とメロンと映画が夕張を支えてきた基盤であることを強く印象づけていますが、移住するかも知れない福島市民の観点で書きます。炭鉱住宅に代わって建てられたであろうアパートが各所にあり、それが結構空いているようなのです。部屋ががらんとしていたり、洗濯物が干してなかったりで、かなりの部屋が空いていると感じました。それに、小中学校の統廃合が進み、まだまだ使えそうなのに廃校になっている学校をいくつか見ました。29万人は無理でも、その4分の1くらいなら移住できそうです。問題は職場探しですね。サングリン太陽園夕張店や田中義剛の花畑牧場夕張店などで雇ってもらうか、収益率の高くて夕張の気候に適した農作物を栽培する道しかないようです。