普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

日本の社会環境悪化の原因(2)

2007-01-11 21:54:27 | 政策、社会情勢

1月10日のテレビ朝日のスーパー・モーニングにしては珍しく良い企画の「国家の品格」の藤原さんと鳥越さんの対談の企画を放送していました。
藤原さんは、社会環境悪化の原因として、アメリカ型の市場経済主義の丸呑み、いじめの原因として卑怯を憎む心と思いやりの情の欠乏を上げていました。そしてその対策として学校教育の見直し、そしとその基本として小学校で徹底的に教え込むことだと言っていました。
テレビのゲストも皆感心していましたが、先生の言う事は全て、私もかねての主張と一致するもので少し嬉しくなりました。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061217

同じ朝のテレビでまた山形の小学校5年生の首吊り自殺の報道がされていました。
いつものことながら考えさせられることばかりです。

<<戦前の尋常小学校と高等小学校>>
前回は主として戦前から現在までの家庭の変化について書きました。
これから小、高等小学校(現在の中学校二年生まで)の変化について書きたいと思います。
今考えて、昔の学校で明らかに拙い思い出は、何か式があるたびに、生徒全員が低頭して校長から教育勅語を聞かされたり、小学校の担任の先生が唱歌(音楽)が出来なくて、その代わりに得意な面白い話しを授業時間を潰したし、無愛想な先生が、皆に自習をさせてさせる間、本を読みながら巡回して、生徒が私語などすると、その本で生徒を殴ったりしていたことです。

九九などは丸暗記、尻上がりは要領だけ教えて、後は自分が出来るまで練習でした。
私など運動神経が鈍くて、夕方近くまで練習したものです。
然し、生徒達はそのどれもを達成した時の合格の印を貰ったり、先生から褒めて貰う事が嬉しくて頑張ったものてす。
そして自然の内に頑張ること、我慢する事、達成した時の喜びを覚えました。
父兄達も先生を尊敬、信頼して、前にも書いたよいに父兄から子供が悪いことをしたら遠慮せずに殴ってくれとお願いするのが常でした。
高等小学校にはなって悪い生徒が目立つようになると、講堂修身といって、生徒全員を講堂に集め正座させ、先生達が入れ代わり立ち代わりして皆に気合を入れたものです。
これも前に書いたのですが、この方法はいじめ防止策として、有効な方策と思います。

(教育的配慮ではいじめは根絶出来ない)

<<戦後の学校>>
私は戦後からの情勢の推移から、世の中がだんだん優しくなって行くのを感じていました。
学校の運動会で言えば、良く言われるように、騎馬合戦とか棒倒しなど危ないからといって止め、徒歩競走ではゴールで並んで入るなど、学芸会では、クラスの生徒みんなに出場の機会を与えて、同じ時間ものを言わせるなどです。
学校が服装の乱れを直す為に、規則を厳しくしようとすると、弁護士などの人権団体が出てきて、生徒の人権無視だと抗議してきます。
昔なら言う事を聞かない子に、廊下に立たせたり、ひどい時は殴ったりしていましたが、今で体罰で罪になるそうです。
生徒が先生を殴っても先生はじっと我慢して、生意気な中学生にも優しく言って聞かせるしかありません。
だから荒れた学校を直すための先生の荷が増え忙しくなるのは当然です。
授業は面白なければならないと言う考えの強調しすぎのため、先生に余計なにがかかります。
学科はよほどの生徒でない限り面白くないものです。
それを一年中面白可笑しく授業しろといっては、さんまさんや神助さんのようなお笑いの天才でも神経がすり切れてしまうでしょう。

生徒自身による必要な項目の暗記や尻上がりのように自分の体に思い込ませる努力、頑張りを覚えされることも大切な教育です。

いじめ問題で言えば、男らしい勇気、卑怯を憎む心などのよい点が消え、女は女らしい思いやりの心が消えたかわりに、女にありがちな陰湿さが男の子まで入りこんで来て、男子生徒のいじめが陰湿になってきました

もう一つの変化は、権利だけが強調されそれに伴う義務や責任が殆どないがしろにされた来た事です。
それで思い出したのですが、ある本屋で見かけた、社会科の教師の指導要領書の憲法の権利の所で、憲法には権利の規定はあるが、義務の規定は無いのであると書かれてあったことです。
常識で言えば、本来は例えその記述がなくても、権利には当然それに伴う義務や責任についても十分に教えるべきだと書くのが教師用指導要領書のあり方と思って、(本屋には申し訳なかったのですが)念のためにその要領書全てを見てみましたが、一行の記述もありませんでした。
最後に当時、教科書裁判で名を馳せた人の推薦の言葉を発見してなるほどと思いました。

<<今の社会荒廃の現象と今後の問題>>
上記の家庭と学校の変遷の歴史を見ると、いまの社会荒廃の現象の一部の説明が出来ると思います。
こどもの自殺:  
  家庭、学校で甘やかされたひ弱な子が出来た、我慢不足
自分の権利ばかり主張する父兄:
  権利重視、義務責任無視または軽視の教育
いじめ:
  弱いものいじめは卑怯者と言う古来からの価値観、思いやりと言う日本古来の美徳の無視、我慢不足
学級徘徊:
  家庭でのしつけの欠落または不足、我慢不足
家庭内の殺傷事件:
  親を敬う、親は子供を守る日本古来の精神の不足
家庭内暴力
 
卑怯者を恥ずかしいと思う心の欠如、思いやりの不足、我慢不足

それに藤原先生が指摘し、私も前から書いているように、その他の要因としてアメリカ型市場経済主義に伴う社会劣化の問題があります。

(企業の倫理観と責任)

その為に、どのように日本の競争力を保ちながら新しい日本的な経済体制を作るかと言う問題が加わるので、社会環境の改善を一層難しくしています。

幸い日本の社会環境が荒廃状態になっていないのは、戦争の反省から、今までの日本人の価値観を否定し、古来の美徳まで無視または軽視して来た戦前、または戦中派の人がまだ少数だったことです

そして、他の多くの人達は自信喪失気味ながらも(私もそうでした)、また批判のある日本の教育体制の中でも、日本の良い所を辛うじて持ち続け、それを子供達に少しでも伝えてきたからだと思います

問題は前者の子供達が大きくなって、子供を持ちそれがまた子供を産むと言う悪循環を断ち切らない限り、荒廃はスパイラル現象となって悪化、増進して行くことでしょう。
また戦後から50年かかって今の状態になったのを修正するのことは、少なくとも後数十年かかると思われることです。 

藤原先生は今の子供に正しい教育を施し、その子供達が大きくなるのを待たねばねばならぬと言っていましたが。

そして、もう一つの問題は、インターネットで見る限りは、少数派ですが朝日新聞の社説のようなことを言っている人や、建前ばかりの人権論者、平和主義を看板に掲げた一部の人達などの抵抗勢力がその社会環境の改善のスピードを落とすことになるかもしれないことでしょう。

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