普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

授業時間10%増加を教育再生会議提言

2007-01-16 21:56:30 | 韓国

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は1月下旬にまとめる第1次報告に、「ゆとり教育の見直し」とともに「公立学校の授業時間数の10%増加」を盛り込む方針を固めた。政府筋が15日、明らかにした。
 授業時間数の増加は「ゆとり教育の見直し」を具体化するもので、子供に基礎学力を身につけさせ、学力向上につなげる狙いだ。
 小中学校の授業時間は、詰め込み教育の反省から、70年代前半以降、約10年に1度のペースで学習指導要領の改定に合わせて減り続けてきた。現在の小中学校の授業時間数は、完全週5日制が始まった2002年度から続いているもので、提言は01年度以前の水準に戻すことを求める方向だ。授業時間数では、小中高校で週2回(1回は45~50分)程度増えることになる
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070116ur02.htm
(2007年1月16日  読売新聞)

<<土曜日の活動への教師の参加>>
小中学校の授業時間の10% の増加は、ほんの僅かなもので、過去の政策の非を認めたくない、文科省のとの折衝によってこれだけの数字になったのであろうが、全然進歩しないよりは当面のこととして認めなくてはならないのだろうか。
然し、ゆとり教育の見直しで、再生会議に是非検討して貰いたいのは、ゆとり活用の目的で設けられたとされる、土曜日の活動に是非現役の教師の参加を義務づけて貰いたいものだ。
なにかの報道で、再生会議の委員の一人が、教師が出ないなら、地域の人やボランティアを投入すれば良いと言っていたのを聞いたか読んだかした記憶があるが、学力不足が言われている現在、教師の土曜日の生徒の活動に参加しないのは、教師の教育責任の放棄といわれても仕方がないだろう。

<<休日だらけの教師>>
教師は、夏休み、冬休み、春の休みと長い休日があるのに、会社員なみに土曜日まで休むとは今の時代に通らないと思う。
教師達は休みと言っても、学校または家庭で拘束されていると言うだろうが、それは表向きだけで、私の知り合いの教師の話しを聞くと、少なくとも授業している時よりより遥かにのんびり過ごしているようだ。
土曜日の出勤にそれでも反対するなら、その分だけ長期休みのうち土曜日に出た分だけは全く拘束のない完全な休日にしても良いのではないか。

週5日制がスタートしてしばらくのテレビの討論番組の中で、日教組の地方の幹部が、週5日制は我々が文部省との闘争の結果勝ち得た我々の権利だと言っていた。
私の勘繰りだが、それ以来、今まで犬猿の間だった当時の文部省と日教組の関係が落ち着いてきたようだ。そして、日教組の人達が、教科書反対の時以外は、テレビ等の公の場に顔を殆ど見せなくなった。
何故なら日教組は今までの長い休みに加えて、おいしい週5日制を勝ち取ったのだから。

<<教育格差の取り組み>>
教育中央審議会や、教育再生会議の報告でも、日教組の名は何故か出ないようだ。
再生会議では是非この教育の問題に大きく関わっている教職員組合の問題にも是非討議して貰いたいものだ。
孫の通っている公立高校では、既に土曜日や長い夏、冬休みの間にも授業を行っているようだ。
教育格差の解消のためにも、希望する生徒には、公立少、中、高校でも私立校に負けないほどの授業時間を確保して貰いたいものだ

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「美しい国」の夢と現実と進む方向

2007-01-16 07:25:49 | 政策、社会情勢

安倍さんが就任の所信方針演説で唱える「美しい国」の理想像と、現在の状況と考えられている国の対策を纏めてみた。
国を構成する家庭、社会、学校、企業ごとの理想については、演説では詳細に語られていないので、私が考える理想をキャッチ・コピーの形で書いてみた。
これは当然異論はあると思うが、このブログを読まれる方は自分の理想像を頭に置いて、現実とその対策の問題点を考えて頂きたい。

家庭
 夢へのキャッチ・コピー:家族揃って団欒、親の背中を見て育つ子供、
 現実:企業膨張に伴う核家族化、単身赴任、長時間残業で親子が顔を逢わせる時がない、共働きにより母親まで子供との接触の機会の減少、離婚、家庭内暴力や家族間殺傷事件の増大、学校の荒廃の原因となる躾け欠如、自由、権利、義務を履き違えた父兄の発生、少子化による子供社会の縮小または学校以外での消失
 対策:教育基本法の改定、とくに教育に対するかての役割の明記、しかし生涯学習などの案だけあるが具体案なし

社会
 夢へのキャッチ・コピー:コミュニティーの助け合い、向こう三軒両隣(アパートで言えば同じ階、階段の並び家庭との助け合い)
 現実:家庭間の孤立、孤独死、凶悪事件の増大、少年の非行、自殺の増大、格差社会の増大、ニートの発生、ホームレスの増大、
 対策:教育基本法の改定、ただし個々の対策ばかりで、特に目立った基本対策はなし、働く女性の支援策不十分

学校
 夢へのキャッチ・コピー:良く学び良く遊ぶ、元気な良い子
 現実:学級荒廃、いじめとそれに伴う自殺、学力低下、異常行動を起こす教師、教育格差の増大傾向、判らぬ父兄の対応に手を取られる、教育予算の削減、特定の思想を持つ教師集団の活動、事務量の増大、教師の孤立化
 対策:教育基本法の改定、教師の再試験、バウチャー制度などによる学校当局への圧力の強化により自主的な再生、それより教師にいかに良い教育環境を与えるのが先決と思うが

企業
 夢へのキャッチ・コピー:家族的経営、企業活動を通じて社会貢献、国際競争力
  現実:企業膨張に伴う転勤により核家族化を促進、長時間残業、単身赴任などによる父母を家族から引きはなし、金儲け主義により社会に拝金思想を拡大、派遣労働者法による格差社会の発生、中国、インドなど膨大に人口を持つ国の台頭
 方向:成果主義導入という名の残業代カット、主要社員の管理の放棄、日本企業にさらに競争力を付けさせる

<<社会環境劣化の責任者>>
以上並べて見ると、直ぐに気がつくのは、また考えて見れば直ぐ判ることであるが、企業活動がいかに家庭を破壊し、社会の環境悪化に大きな役を買っているか、そして、それに対する改善策はないと言って良い。
後は企業の経営者のモラルや、企業の倫理観にまつしかないが、今までの行き方を見れば全く期待出来ない。
安倍さんの所信表明演説の揚げ足を取る言い方になるが、企業の競争力がつけるのが、日本を「美しい国」にする道の一つだと言ったが、今までの企業の拡大が社会環境の劣化を来したことを見ると、少なくともそれだけ良いのだろうか。

<<親の教育の重要性と困難さ>>
次には、教育基本法改定の目的であり、私の兼ねてからの主張のように、日本人の価値観を無視した教育が偏った考えの子供を生み、それが親になりまた子供を産むと言う悪循環の輪を断つ必要のある事が判る。
然し、一番の問題はその親達をいかに再教育するかの対策が基本法から殆ど抜けている。
これは実質的に非常に難しい問題であると思うが何とかせねば、「国家の品格」の著者の藤原さんの言うように、今の親の再教育は完全に諦めて、今の子供を教育し直しそれが親になるのを待つしか無い事になる。

<<企業の経営者の責任>>
しかし、その間に企業が(今までのように悪意ではないが)、国際競争力の強化の名で、社会環境を今まで以上に悪くするのは間違いないだろう。
そしてその企業の代表が自分の経営者としての社会環境劣化の責任も考えずに、教育再生会議で、(勿論、善意から)自分の教育論をぶっているのだから、一体どうなっているのだろう。

企業の経営者にお願い
中国やインド相手に競って行くのは大変でしょうが、どうかお宅の企業倫理を忘れずに、社会環境改善、安倍さんの「美しい国」の形成に是非応援して下さい。

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最近のおやじギャル

2007-01-14 23:15:38 | 日々雑感

 1月13日夜テレビ東京の夜のニュース番組で「最近のおやじギャル」というテーマで最近の若い女性の生態を伝えていた。

葉巻バーで葉巻を吸う女性は少し首を捻ったが、飲み屋へ一人で行く人、ゴルフ練習場を通う人、果ては女性だけで、船を借り切って釣りに出かける人達など、過去の男性の分野に進出している女性を描いていた。
画面の女性に皆自信に溢れて頼もしいものだった。

私の持論から言えば、少子化の時代に女性にそんな余力があれば、早く結婚して、多くの子供を生んで貰いたいところだ。
しかし、
画面を見ている範囲では、そんな気配は余りなさそうだが、理屈なく納得させられた。

<<山で見たおやじギャル>>
翌日、私は I 峠からS岳に登った。
前にも書いたが、I 峠→S岳→F山→U山の縦走に人を誘うつもりだが、I 峠からS岳の間だけはガイドになく、私も何度か登ったが、時間を取ってなかったからだ。

その縦走路で単独行の女性登山者あった、私の倍ほどの荷物を背にして私を追い抜いて行った。
彼女はいかにも自信に溢れ頼もしそうに見えた。
そうだ昨夜見たおやじギャルの一人だ。
今流行のバンドが一杯ついた、頭のところまでくる高さのリュック(リュックの重心をなるべく上する工夫)を担ぎ、最新の登山服、くるぶしまである登山靴。
非の打ち所のない装備だ。
それこそ「山と渓谷」の広告から抜け出たようだ。

<<貧相な私の山の装備>>
そんな彼女が私を追い越し様に、「お先に」と言いながら私の装備を見て、フフンと鼻で笑ったような気がした。
勿論それは私のひがみだ。

と言うのは私ときたら家で普段着ているサージの運動ズボン、シャツで、リュックはスーパーの安売りで千円で買った、小母さんの買い出し用のリュックだ。
まあ少し見られるのは、低山用の登山靴くらいのものだ。

彼女の頭まで来るリュックには、登山の教科書にのっている、栄養を考えた弁当、雨具、ウンドヤッケ、着替え、おやつや果物、食器などで、これも教科書どうりに綺麗にパックされているに違いない。
そうでなければ、頭までくる程の荷物を日帰りの登山でこのように要る筈が無い。

そう言えば、昨日のテレビで言っていたが、ゴルフをする女性は技術より服装に気を配るのだそうだ。

それに対して、私のリュックの内容は、コンビニのおにぎり三個、ウーロン茶のペットボトルに、いつも入れている、非常食の乾パン、手袋位のものだ。

私が雨具を持って来ないのは、絶対の晴れを保証してくれる晴天続きの日しか登山しないからだ。
これが金も車も持たないけれど、休みだけは無限にある定年者の特権だ。

着替えを持たないのは、汗をかかぬように、歩き方と服を調節しているからだ。
食器、おやつ、果物など持たない理由は、雨具、着替えと同様に単に荷物を減らすためだ。

だから歳をとってもなんとか遅いながらも山登りを続けられる理由だと思う。
だから小さいリュックで済むのだ。
彼女のように大きいリュックでこれっぽちのものだけ入れると、重心が下がって、担ぎ難いし、疲れのでる原因となる。
私は小さいリュックでも重心を少しでも上げる為、背負いバンドから紐でリュックを吊り上げている。
それがまた見てくれを悪くしている上、今日はその紐で服を結びつけていたので尚更見られたものではない。

<<大切な山登りのムード?>>
しかし、ここで私は女性が完璧に武装して登山するのを悪く言うつもり全くない。
体力がある間は、私から見て余分な荷物を担ぐのは、良いトレーニングになるからだ。

それと、山登りをしていると言うムードを楽しむことにもあるからだ

そう言う私も、そう遠くない昔、福岡県で一番人気のある、雪の宝満山をを通勤服と靴で登って、アイゼンとスパッツ、ウンドヤッケで身を固めた、登山隊のリーダーから睨み付けられたことがあった。
ご存知の人も多いと思うが、その山は麓から頂上まで、石の階段なので、九州の積雪位だったたら、通勤靴でも登れるし、アイゼンも却って邪魔になると知って、私の悪い癖で、出張帰りそのままで登ったのだ。

さすが、この時は、実利よりムードを楽しむ人もおり、それを壊さない注意も必要だと思ったこともあり、以後、余り周囲からかけ離れた服装をしないように気を付けている。
どうぞ山のおやじギャルの方達、大いにカラフルな服装やリュックで山登りのムードを盛り上げて下さい。そして、私たち年寄りも含めて男達の眼を楽しまして下さい。

<<追記:地下足袋の勧め>>
今私が登山靴を履いているのも、今時の山登りのムードを壊さない私なりの配慮で、昔(戦前)は会社支給の履き慣れた地下足袋専門だった。
これは軽いのは勿論だが、登山靴と違ってピッタリ脚にフィットして体の一部になる感覚と、これで歩いている時の自然との一体感がたまらず、一度履いたらやみつきになると思う。
もし関心のある人は試してみんせんか。
ただ、今時の山登りのムードを壊しかねないことと、家を出るときご近所に対して気恥ずかしい思いをする欠点はありますが。

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川柳 老いの溜め息-32

2007-01-13 22:55:14 | 日々雑感

[金だけがやや不自由な日を送る]

80歳を超えてやっとボランティアの仕事からも解放されて、今、自由な生活を満喫しています。
そして、現役の人には申し訳ないのですが、朝寝坊、夜更かしの自堕落な生活にならぬように気をつけると言う贅沢な用心をしています。
若い時から続けている趣味の登山、英語、クラシック・ギター、川柳など存分にやれる筈ですが、良くできたもので、近頃、昼寝と夕食後の仮眠の時間が長くなっただけ、起きている時間が減って、現役、予備役時代くらいしか出来ません。
それと、年金暮らしですから、収入が固定しているので、家内から貰う小遣いも固定、少し買い物をすると、次の小遣いを貰うまで、家に燻って家内から粗大ゴミ扱いにされるのを耐えるしかありません。

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大相撲に体重制限を導入しよう

2007-01-12 21:15:43 | 日々雑感

二宮清純さんのホーム・ページの「朝青龍・大横綱の根拠」のコラムの中で次のような記述があった。
http://sports.shimizu-group.co.jp/column_d.php?id=124
そのなかで、小錦の出現以来、投げ技が次第に減り、押し出しなどの技に乏しい内容の相撲が増えた。
それ以降、幕内力士の平均体重は140キロ台から150キロ台後半へと10キロも増加した。
技も吊り出しのような豪快な技、土俵際の逆転技は殆どなくなった。

145キロと平均体重を下回る朝青龍は、投げ、吊りを交えた速攻相撲で蹴散らして、頂点に立った。
その点で彼は相撲の失われていた醍醐味を復活させつつある。このことはもっと評価されていい。
朝青龍に対する評価の中で、ライバル不在の現状では勝って当たり前であるというものもある。
確かに、朝青龍を止めるべき大関陣、魁皇、千代大海、栃東はケガに泣かされ、毎場所誰かは休場という有様である。00年からのここ5年間、横綱・大関陣が全員千秋楽まで出場したのはわずか4場所しかない。
巨体に頼る相撲が腰、ひざ、足首に多大な負担をかけるのだから当然の帰結である。

私は二宮さんの意見にまったく同感だ。
小錦から武蔵川の全盛時の相撲は全く面白くなかった。
彼らの巨体に怪我→休場→引退の憂き目にあったのは何人いるだろうか。

そして、日本古来の相撲の技の切れの面白さを改めて知らせたのは外国人力士であったのは皮肉なことだ。
そして今年もまた朝青龍が優勝しそう気配が濃厚になってきた。
私も彼の台頭を支えてきたのは、故障続出の大関陣だったし今場所でもそうだと思う。

巨体の激突による怪我、その怪我の回復を妨げている本人自身の体重、その怪我を押して出場し再度の怪我→休場の繰り返し、これで場所が面白くなる筈はない。
日本の相撲のファンは皆同じ考えて見ているに違いない。
そして、弱い日本人の三役力士に、歯がゆい思いをしているに違いない。
これで、相撲人気が落ちるのは当然だ。
テレビなどで聞く力士のインタビューでもっと体重を増やしたいと言う発言を良く聞くが、こんなことで良いのだろうか。

双葉山(153K)、栃錦(132K)、柏戸(138K)、大鵬(153K)、先代若の花(105K)が活躍した時代のような相撲が見たいものだ。(体重は概略値を示す)
双葉山や大鵬の時代は怪我で休場など余りいなかったし、他に強い力士が何人もいたから、本当が二人が強いことが良く判った。

まともな喧嘩相手のいない朝青龍がいくら連勝しても、彼が名力士と思っても、本当に強いのかどうか判らないのが、彼にとっても残念な事だろう。
それと、栃若、柏鵬のような両雄が競い合う時代の再現を見たいものだ。

それで提案です。
相撲での怪我を減らす為に、(例えば、身長に対する)体重制限を課してはどうだろうか。
そうすれば、怪我がもっと減るし、私たちももっとスリリング相撲、優れた技の切れ味や、激しい星取りの争いを見る事が出来ると思う。
それと力士の健康管理の意欲を高め、相撲生命を長くすることにも役立つだろう。

柔道でもひと頃の外国人の力に低迷して時代から脱却して、再び技の切れる日本人選手が出てきて活躍している。

大相撲も是非、体重に物言わせる相撲から技で勝負する相撲に変えて貰いたいものだ。

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日本の社会環境悪化の原因(2)

2007-01-11 21:54:27 | 政策、社会情勢

1月10日のテレビ朝日のスーパー・モーニングにしては珍しく良い企画の「国家の品格」の藤原さんと鳥越さんの対談の企画を放送していました。
藤原さんは、社会環境悪化の原因として、アメリカ型の市場経済主義の丸呑み、いじめの原因として卑怯を憎む心と思いやりの情の欠乏を上げていました。そしてその対策として学校教育の見直し、そしとその基本として小学校で徹底的に教え込むことだと言っていました。
テレビのゲストも皆感心していましたが、先生の言う事は全て、私もかねての主張と一致するもので少し嬉しくなりました。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20061217

同じ朝のテレビでまた山形の小学校5年生の首吊り自殺の報道がされていました。
いつものことながら考えさせられることばかりです。

<<戦前の尋常小学校と高等小学校>>
前回は主として戦前から現在までの家庭の変化について書きました。
これから小、高等小学校(現在の中学校二年生まで)の変化について書きたいと思います。
今考えて、昔の学校で明らかに拙い思い出は、何か式があるたびに、生徒全員が低頭して校長から教育勅語を聞かされたり、小学校の担任の先生が唱歌(音楽)が出来なくて、その代わりに得意な面白い話しを授業時間を潰したし、無愛想な先生が、皆に自習をさせてさせる間、本を読みながら巡回して、生徒が私語などすると、その本で生徒を殴ったりしていたことです。

九九などは丸暗記、尻上がりは要領だけ教えて、後は自分が出来るまで練習でした。
私など運動神経が鈍くて、夕方近くまで練習したものです。
然し、生徒達はそのどれもを達成した時の合格の印を貰ったり、先生から褒めて貰う事が嬉しくて頑張ったものてす。
そして自然の内に頑張ること、我慢する事、達成した時の喜びを覚えました。
父兄達も先生を尊敬、信頼して、前にも書いたよいに父兄から子供が悪いことをしたら遠慮せずに殴ってくれとお願いするのが常でした。
高等小学校にはなって悪い生徒が目立つようになると、講堂修身といって、生徒全員を講堂に集め正座させ、先生達が入れ代わり立ち代わりして皆に気合を入れたものです。
これも前に書いたのですが、この方法はいじめ防止策として、有効な方策と思います。

(教育的配慮ではいじめは根絶出来ない)

<<戦後の学校>>
私は戦後からの情勢の推移から、世の中がだんだん優しくなって行くのを感じていました。
学校の運動会で言えば、良く言われるように、騎馬合戦とか棒倒しなど危ないからといって止め、徒歩競走ではゴールで並んで入るなど、学芸会では、クラスの生徒みんなに出場の機会を与えて、同じ時間ものを言わせるなどです。
学校が服装の乱れを直す為に、規則を厳しくしようとすると、弁護士などの人権団体が出てきて、生徒の人権無視だと抗議してきます。
昔なら言う事を聞かない子に、廊下に立たせたり、ひどい時は殴ったりしていましたが、今で体罰で罪になるそうです。
生徒が先生を殴っても先生はじっと我慢して、生意気な中学生にも優しく言って聞かせるしかありません。
だから荒れた学校を直すための先生の荷が増え忙しくなるのは当然です。
授業は面白なければならないと言う考えの強調しすぎのため、先生に余計なにがかかります。
学科はよほどの生徒でない限り面白くないものです。
それを一年中面白可笑しく授業しろといっては、さんまさんや神助さんのようなお笑いの天才でも神経がすり切れてしまうでしょう。

生徒自身による必要な項目の暗記や尻上がりのように自分の体に思い込ませる努力、頑張りを覚えされることも大切な教育です。

いじめ問題で言えば、男らしい勇気、卑怯を憎む心などのよい点が消え、女は女らしい思いやりの心が消えたかわりに、女にありがちな陰湿さが男の子まで入りこんで来て、男子生徒のいじめが陰湿になってきました

もう一つの変化は、権利だけが強調されそれに伴う義務や責任が殆どないがしろにされた来た事です。
それで思い出したのですが、ある本屋で見かけた、社会科の教師の指導要領書の憲法の権利の所で、憲法には権利の規定はあるが、義務の規定は無いのであると書かれてあったことです。
常識で言えば、本来は例えその記述がなくても、権利には当然それに伴う義務や責任についても十分に教えるべきだと書くのが教師用指導要領書のあり方と思って、(本屋には申し訳なかったのですが)念のためにその要領書全てを見てみましたが、一行の記述もありませんでした。
最後に当時、教科書裁判で名を馳せた人の推薦の言葉を発見してなるほどと思いました。

<<今の社会荒廃の現象と今後の問題>>
上記の家庭と学校の変遷の歴史を見ると、いまの社会荒廃の現象の一部の説明が出来ると思います。
こどもの自殺:  
  家庭、学校で甘やかされたひ弱な子が出来た、我慢不足
自分の権利ばかり主張する父兄:
  権利重視、義務責任無視または軽視の教育
いじめ:
  弱いものいじめは卑怯者と言う古来からの価値観、思いやりと言う日本古来の美徳の無視、我慢不足
学級徘徊:
  家庭でのしつけの欠落または不足、我慢不足
家庭内の殺傷事件:
  親を敬う、親は子供を守る日本古来の精神の不足
家庭内暴力
 
卑怯者を恥ずかしいと思う心の欠如、思いやりの不足、我慢不足

それに藤原先生が指摘し、私も前から書いているように、その他の要因としてアメリカ型市場経済主義に伴う社会劣化の問題があります。

(企業の倫理観と責任)

その為に、どのように日本の競争力を保ちながら新しい日本的な経済体制を作るかと言う問題が加わるので、社会環境の改善を一層難しくしています。

幸い日本の社会環境が荒廃状態になっていないのは、戦争の反省から、今までの日本人の価値観を否定し、古来の美徳まで無視または軽視して来た戦前、または戦中派の人がまだ少数だったことです

そして、他の多くの人達は自信喪失気味ながらも(私もそうでした)、また批判のある日本の教育体制の中でも、日本の良い所を辛うじて持ち続け、それを子供達に少しでも伝えてきたからだと思います

問題は前者の子供達が大きくなって、子供を持ちそれがまた子供を産むと言う悪循環を断ち切らない限り、荒廃はスパイラル現象となって悪化、増進して行くことでしょう。
また戦後から50年かかって今の状態になったのを修正するのことは、少なくとも後数十年かかると思われることです。 

藤原先生は今の子供に正しい教育を施し、その子供達が大きくなるのを待たねばねばならぬと言っていましたが。

そして、もう一つの問題は、インターネットで見る限りは、少数派ですが朝日新聞の社説のようなことを言っている人や、建前ばかりの人権論者、平和主義を看板に掲げた一部の人達などの抵抗勢力がその社会環境の改善のスピードを落とすことになるかもしれないことでしょう。

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商店街活性化への道(4

2007-01-10 21:47:15 | 地方分権と再生

商店街活性化の具体案として、前回は商店街の中心をなすC通りの空間の利用を書いた。

<<若い力の活用>>
今回は若い力の活用について考えたい。
K駅前商店街の活気のない原因の一つとして、商店主の高齢化を上げる人は多い。
街自体の老齢化が進んでいる商店街にとって、福岡の商圏のとどまらない拡大や、郊外型の大型商店の増加への対応は難しいものに違いない。
そこで若い力の導入は不可欠なものだ。

1.大学とタイアップ
大学とタイアップして、商店街の衰退の原因を調査し、その対策考える。
大学にとっても学生にとっても九州で有数の乗降客を誇るK駅前の商店街の研究は良いテーマになるに違いないし、現実問題にぶっつかることは学生にとってプラスになるに違いない。
商店街にとってもも、その活性化のヒントを得ることの他に、今までそっぽを向かれていた、若者を惹きつけるの手段ともなると思う。
これから先の手段、マーケット・リサーチ、顧客の行動や意識調査など素人には判らないの省力した方が無難だろう。
しかしうまく行けば、学生の中には商店街に運営に興味をもって、研究終了後もボランティアで協力してくれるかも知れない。(勿論商店街の人もそのように持って行くべきだ。)

2.若者を取り込むイベントをなるべく多く行う
例えば、
(1)若者にパーフォーマンスする場所を与える。(C通りや駅前の人口地盤の活用)、コンクールの開催。
(2)洋裁学校の生徒などを動員するデザインコンクールを行う。
希望の婦人服店に彼らのデザインを置いて貰う。
(3)食べ物屋の人気投票をする。
(4)地域情報誌の活用などなど

3.商店街の基本戦略を建てる
大学とのタイアップした研究結果を参照して商店街の基本戦略を建てる。
(1)顧客のターゲット。
(2)何処を競争相手の目標。
  駅前のIデパートなど小さい考えは駄目
(3)協力して貰う店舗や商店街の範囲。
   周辺の商店街は勿論、K駅、交通機関、ホテル、神社、仏閣など出来るだけ多く取り込む。
  少なくとも、昔反対したように、駅前のIデパートを敵でなく味方につけること。
(4)上の目標の推進するため、及び障害となるものの基本対策、例えば、目玉となるもの、顧客の回遊路の作成、パチンコ屋、駐車場、暴力団などの対策
(5)商店街の将来像を決める。
それを市の街造りの条例に入れて貰う

4.戦略作成及び、運営の戦術のための思いつき
(1)飲み助の立場から(私は違うが)
昔の電停に必ず数軒の酒屋があり、工場帰りの人が所謂角打ちをで元気を付けて、街の飲み屋に乗り出していた。
今はそれが全くないので、工場から数百メートルも歩いて街に出るより、数十メーター歩いて電車やバスに乗ってしまう。
やはり何とかして駅、電車、バスセンターの近い所に少し引っかけるところが欲しいものだ。
黒崎にも、屋台があったが何かと悪い噂があり、地もとの人が行く気になれない。
これも、その筋との関係がちらついているので、警察の協力を仰ぎ出来るだけ、屋台を増やして貰いたいものだ。
(2)駅前商店街から徒歩で5,6分の所にPホテルがあり、珍しく外国のリゾートホテルのようモールがあり、若い女性が好きそうな店が並んでいた。
同ホテルに知り合いがいたので、K商店街とタイアップするように言っていたのだが、それぞれが個々に運営をした結果、商店街から数分かけて行く女性も少なくホテルの店の殆どが潰れかかってしまったし、商店街も折角の回遊路が出来かかっていたのに利用出来ないままに終わり、遂にはホテル自身も売りに出され出それたそうだ。
(3)宣伝について
商店街の宣伝のチラシを殆ど見ない。
これにも費用がかかるかも知れないが、新聞折り込みの情報師などを活用すること。
C通りのホーム・ページには掲示板があるが、よいしょ記事ばかりで沈滞気味のようだ。
商店街再生のための苦言や提言、地域の良い病院の紹介などのお役立ち情報、などで掲示板自身の活性化を図って欲しい。
当面は支持者を動員して多くのスレッドを立ち上げ盛り上げて貰っては。
(4)今までより眼を開いて、ダイエーの優勝記念、Iデパートの創業記念、旧Y市の起業祭、宿場祭、日本一早い初売りなど各種のイベントを利用して、セールを行う。
(5)回遊通路について
細長い I デパートはその先端が行き詰まりになっている。
建設時はその先端から駅前商店街の先端に繋ぐ為に、歩道橋を作られた筈だ、この構想を再度見直して欲しい。
商店街から歩いて5分もかからぬところに都心には珍しい完全な松並木がある。
いまは長崎街道祭以外には利用されていないが、これを常時利用せぬ手はないと思うが。
(6)街づくり構想について
商店街のメーン・ストリートのF通り、それも商店街の目玉である I ブック・センターの真ん前に駐車場が後ろ向きに立っている。つまり通りに添って大きな壁の空間がある。
これは普通の大きな商店街では考えられぬことだ。
前にも書いたパチンコ屋対策ととものこのような失敗をしないように望む。
(7)とっぴな思いつきだが、商店街再建には多くの困難が伴うので、強力なリーダーが必要と思うが、
八百半で失敗して、飯塚に引っ込んでいる和田亀吉さんを何らかの形で出て貰ったらどうだろう。
再建に難航しているCビルへの参画ととともに考えて見ては。

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日本の社会環境悪化の原因(1)

2007-01-09 23:27:52 | 教育問題

<<日本の社会環境悪化の原因はどこにあるのか>>
1月8日のNHKスペシャル「日本の縮図 1000人にきく団塊の素顔」の放送中のアンケートで団塊の世代の現在の社会環境悪化にたいする責任についてのアンケートで責任あると責任がないと答えたのがほぼ半数でした。
それの結果についてゲストがいろいろ意見が別れていました。
私の考えでは、はっきりしているのは少なくとも社会環境の劣化が戦後から少しづつ進み、団塊の世代の活躍した時代に万民が認めるほど激しくなったと思います。
その原因は多くの人が指摘するのは、
1.日本古来の美風が忘れられてきている。
2.教育制度の不備
3.市場経済主義に伴う弊害
  私が度々書いている、経済の拡張に伴う核家族化、長時間の残業や長期の出張などによる、子供達に接する時間の減少、派遣労働者に関連する格差、金儲け主義などにど
4.日本が米国の保護国である実情から付随する問題
  国も国民も自主独立の精神がなくなる、責任を他に転嫁するなどなど他にも数えきれない原因がありと思います。
私はそれとは別の観点から原因の一つ、二つを考えてみました。

<<家庭の生活の変化>>

<戦前の家庭>

我が家の例ですが、(これは程度の差はあっても当時の全国のサラリーマン家庭の普通の姿と思います。)戦前は家が貧乏で、母は薪で炊いたご飯に七輪で作った味噌汁で食事、たらいと洗濯板でよる洗濯、針での衣服のつろろい、など全て手仕事です。
それで、なお味噌や季節の甘酒、餅搗きなど体を休める暇はありませんでした。
その上手内職までしていました。
それも見た目でも惨めなものでなく、近所の小母さん達と世間話し手を動かしているのを見て感心した記憶があります。

それに5人も子供がいたので、世話まで手が廻らず、姉などは私を教室まで連れて行き、授業を受けたり、銭湯に連れて行ったそうです。
私も一番下の弟を背負って遊んでいたことを覚えています。
子供達も母が忙しい時や、自分の気が向いたときは、七輪をおこしたり、カレーなどの簡単な料理を手伝ったりしていました。

勿論普段は近所の子供と遊び廻ったり、悪い事をして近所の人から叱られたり、家でいたずらして物差を持った母から追い回されたことも度々でした。
そうしながら、今思えば母の背中を見ながら育ったものです。
そんな母も子供には父親は働いてくるからと言って、貧乏ながらおかずは一皿特別につけていました。
それで子供心に、父は違った存在だ。自分も早くそんな身分になって見たいと思っていました。
父親は若い時はあまり物を言いませんでしたが、母から子供が言う事を聞かないと、そんな特別の存在の父親の叱責は私たちの身に応えたものです。
これでは相当な悪戯っ子でも、悪くなる訳はありません。
どうでしょう。貧乏だったけれど今のから思えばとても健康な家庭生活と思いませんか。
(そう言う私も、今では家庭では空気のようなものですが、子供達に言わせると怖かった存在だったそうです。それを聞いて私自身は子供には優しくしたつもりだっので驚きました。私が子供達を強く叱ったのは、子供が母の言う事を聞かない時だったのに気がついて、知らぬ間に父の真似をしていた事に気づきました。)

当時の私たちは知らず知らずに、父親から勇気、努力、我慢を、母からは母は思いやり、気配り、優しさを教わってきた気がします
そして、子供達は当然のように家庭で忙しく働いていた、その一方で父を立てていた、母から一番強い影響を受けてきました。
そして、多くの母親は教師の家庭訪問のとき、子供が悪い事をすれば、遠慮なく殴りつけて下さいと言うのが普通でした。

また子供達は、家庭では多くの兄弟姉妹、近所では多くの子供の間で団体生活のルールを自然に覚えてきました。
そして行き過ぎたいたずらなどがあれば必ず叱る大人の人がいて間違いに気をつかせてくれました。
そんな父兄だったら、そしてそんな母親の背中を見てきている子供達、社会生活のルールを身につけた子供達だったら先生達もどんなにやりやすかったと思いませんか。

<戦後の家庭>
戦後の高度成長期に家庭生活に大きな変化がありました。
金銭的には全国中流階級と言われる豊かになってきました。
それで、電気炊飯器、洗濯機、電子レンジ、電気掃除機がどの家庭に入ってきました。
私が書いたような母としての仕事は大幅に減りました。
同時に市場にはものが溢れて、母の作っていた味噌どころか、近頃はパック料理などがスーパーやコンビニで手に入るようになりました。
当然、母としての仕事が大幅になくなります。三食昼寝付きと言われた時代になりました。

真面目な母親の精力と関心は子供に注がれます。
子供から言えば母親は家で楽しているのに、自分だけにやかましく勉強しろと言う存在になります。
ひどい母親は父親の稼ぎが足りないとか、家庭に協力しなとか、子供の前でこぼしたり本人に文句を言ったりします。
その父親は戦前はせいぜい六~七時には帰ってきたのが、九時過ぎに帰るのは普通になり、子供にとっては空気のような存在になります。
中には単身赴任で、半年以上顔を逢わせないことさえあります。

母親がいくらがみがみ言っても、次第に慣れてきてしまいます。
滅多に顔を逢わせない父親、母親から父親の愚痴を聞かされているその父親が叱っても反感を覚えるだけです。
もっとひどいのは単身赴任の父親を持った子供の相手をするのは、母親だけです。

それから精力を持て余している母親が男女共同参画の波に乗って、それと金を稼ぐために職場に進出します。
そして家庭から父親だけでなく、母親までも家庭から消えて行きました。
その代わり収入は増え、子供も好きなものを買って貰えるようになりました。
そして、家庭教育の不足の分を学校や塾が補うことになりました。
収入が増えて何でも買えるけれど両親のいない家庭と、金はないがいつも母親がいる夕方には必ず父親が帰ってくる家庭とどちらが子供にとって幸福なのでしょうか

<幸福?な今の子供>
子供にとって嬉しいのは、家が大きくなって、自分の子供部屋を与えられ、閉ざしたドアの中でインターネットで世の中を覗いてみることが出来る事です。
親が覗き込めばプライバシーの侵害だと言って抗議出来ます。
そしてさらに良い事は少子化で、親の愛情を独り占め出来る事です。甘えようと思えばいくらでも甘えさせてくれます。

もう一つ子供にとって良い事は、学校で家庭のように好き勝手をして、先生から叱られても少し我慢すれば、良いことです。
少しひどいことをされると、親が出てきて体罰だと言って自分を守ってくれることです。
もし頭に来た時は、先生を殴れば良いでしょう。先生は勿論何も反撃出来ないでしょう。
もし、先生が殴り返して来たら、教育委員会がその先生を処罰してくれるので、良い仕返しになります。

これ等は皆子供にとって良い事ばかりですが、子供にとって健康的とはとても言えないでしょう。

戦前にくらべとこんな家庭や学校がより健康的だと言えますか。

このような子供や母親を持つ学校は大変ですね。
だからそんな学校の学校の先生が初詣で祈る事は、良い生徒が入ってくること、そして変な父兄がくっついていないことだけでしょう。

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商店街活性化への道(3)

2007-01-08 17:35:26 | 地方分権と再生

<<駅前商店街衰退の理由の解明>>
私は前のブログでK商店街の問題点とパチンコ屋の影響について書いてきた。
実はこれを書き出したのは、今まで見聞きしたことの他、(素人にとって)首を捻る現象に気がついたからだ。
1.同商店街は人口26万を超える区の中心だ。
2.筑豊や遠賀地方など広大な背後地域がある。
3.K地域はK駅の隣接して電車の始発駅や、バスセンターがある交通の要衝だ。
K駅は九州で有数の乗降客がある。
つまりマイカー利用の人を除く皆に商店街に来て貰うチャンスはある。
然し、事実はJRを降りた人のうち僅かの人がIデパート向かうだけで、他はそのまま電車やバスに乗り継ぎ、眼の前の商店街に向かう人は殆どいない。
4.同商店街の中の市場に最も影響を与える筈のスーパー・マーケットが歩いて2~30分の所しか無いのに、商店街の中の市場の衰退が異常に激しい。
強いて言えばIデパートにも生鮮品を売っているが、その規模が地もとの市場を食う程の規模ではない。
5.各地の大型スーパーに市場を奪われたことも考えられるが、他地区の同じような条件または同じ地域にスーパーがある悪い条件にある市場でさえなおそれなりに頑張っているのは何故か。
この店については専門家の診断を仰ぎたいところだ。

<<基本的な解決策>>
それだけ判ったように言った以上具体的な解決策を書かねばならぬのだか、実は今までの二日に亙る文章と上記の疑問の中に基本的な解決策が既に入ってはいっていると思う。
つまり、
1.如何にして店主のやる気をもたせるのか。
2.どの層をターゲットにし、どこと競争して勝ち抜いて行くのかと言う商店街の戦略
3.将来を見据えた商店街の将来図
4.地もとの大学に衰退の原因を学術的に調べてもらう。
などである。

<<具体的な解決策>>
以上のことは当然のことで、いかに処理するかは商店街の店主自身で考える他ないと思うし、私がこれ以上書くのは素人の無知をさらけ出すようなものだが、恥を掻きついでに、思いつきを批判、提案の形で順序不同に書く事にする。
1.魅力ある商店街にする。
商店街自身の魅力が乏しい
誰をターゲットを絞っているか判らない。
女性を惹きつける商品がない?(男だから判らないが多分?)
特に食べたいと思うものがない。 

2.駅から商店街までの空間を充実する。
K駅から約80m?もわざわざ歩いて魅力の無い商店街に寄る気になれない。
その80mの間は街で良く見かけるパーフォーマンスもないただの空間だ。

3.駅前商店街の中心となるC通り通路の活用。
通りの巾が10mと広すぎる。この様な広いアーケード街など他に見た事がない。
広すぎるから少々の通行人があっても、閑散とした通りになる。
雑踏している街には人が寄るが、人が少ない街は人を惹きつけない。
折角の広い通りを利用して通りの中心でワゴン・セールをして、通りの巾を狭くする。
現在でも月に二日、産直市をやっているが、陶器市、日曜朝市、夏の夜店などのイベントなどで通りの賑わいを演出する。
C通りの奥の広場に舞台を造り、若者のパーフォーマンスの場を提供する。
これについては保守的な店主も共通空間の活用に強く反対しにくい。  
現在この種のイベント報せはホーム・ページだけだが、新聞折り込みの就職情報誌などで宣伝する。
実は私もこのブログを書く時始めてホーム・ページの存在を知った。
4.商店街の再建のための条例を市で作って貰う。
そして街の景観を守り、その雰囲気を壊すような店の開店を防ぐ。
今度の市長選が売り込みのチャンスだ。

<<ゴーストタウンのC通りと人の波のブックセンター>>
なお今日1月8日所要でKに出た。問題の4車線の巾の長さ250mのC通りの見渡せる範囲で7~8人しか歩いていなかった。
全くのゴーストタウンだ。
然し帰りによった同商店街のF通りにあるIブックセンターでは(多分正月に行く所のない?)人達でごった返していた。
だから駅前商店街の再生はやり方しだいでは、夢ではないような気がした。
(続く)


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安倍さんの教育改革について

2007-01-07 17:17:51 | 安倍内閣

<<小泉政治の負の部分と安倍首相の役割>>
1月7日の読売新聞で「新たな日本へ挑戦」で中曽根さんが小泉政治の負の部分として、アメリカ風の市場経済を強行して、若者の拝金主義、日本の道徳力の低下、格差社会の出現をもたらした。
また従来の日本社会の底流にあった思いやり、理想を追う雰囲気が喪失し、いじめ、官庁の汚職、知事の腐敗行為が現出している。
安倍内閣は教育基本法の成立まなどの実績にも関わらず世論調査では支持率が70%から40%台に低落してきた。
安倍内閣は教育内閣であったと歴史的に評価されるように、首相自ら当改革について中央・地方に向けた改革への強烈な視線を常時絶やすべきでないと
書いています。

<<迷走する教育再生会議>>
また同紙面には「迷走教育再生会議」では12月第1時報告の素案には、目新しい提言は盛り込まれなかった。
その理由として、ある委員は文教族が「勝手に決めるな」と怒れば山谷さんはなにも言えない。事務局の官僚も文科省の方針わ踏み出す事は書けない。
委員の一人は「会議の役割は「波風を立てる」ことだ。そうすれば国民的議論になる。安倍首相がどう後押ししてくれるかが、最大のポイントだ。」 と指摘する。
いずれの記事ももっともなことだと思います。

<<支持率の低下について>>
支持率低下の原因は、郵政反対議員の復党の許可であることは万人の認める事でしょう。
然し、もしあの時安倍さんが自分の目指す自民党の進む方向が、小泉さんのそれと違うものだとはっきり言明していたら、恐らく野党から総攻撃を食うかも知れませんが、小泉流の独裁てきやり方に疑義をもっていたマスコミからは圧倒てきな支持を受けたでしょう。
自民党もあのような復党議員のプライドを踏みにじるような扱いをしなくて済んだでしょう。
安倍さんの思い切った発言があれば、私の考えでは支持率も逆に上がったかもしれないし、下がっても僅かな低下で済む筈だったでしょう。
野党からの攻撃など、多数党の力で、押し切れば済むことです。
勿論こんなことは安倍さんでも判っている筈で、そうしなかったのは安倍さんの良い所かも知れません。
然し、場合によっては小泉さんから恨まれたり、野党か噛みつかれてもやらなければいけなときもあると思います。

<<改革会議の迷走への対処>>
文科省や文教族の反対については、それぞれ部署内で独自の教育改革案を作成させ提出させる事です。
そして、内閣官房で教育再生会議の提案と二者の提案を比較検討して、その良いものを安倍さんの責任で採用すれば良いと思います。
もし、文科省や文教族からの具体的な提案もなしに反対するときは、それを頭から無視する事を関係者に徹底することです。
会議への文科省の直接介入については、まず文科大臣にそれを止めるように指示し、それでも介入が止まらないなら、文科大臣を解任することです
これでまた議論が起こるでしょうが、小泉さんではないが、世論が後押ししてくれるでしょう。
そして、一旦具体案が決まったら、文科省で前向きに法案を作成させ、少しでも後ろ向きの方向にするときは、内閣官房に逐一報告することを義務づけることです。
この為には安倍さんの強いリーダーシップが必要でしょう
少なくともマスコミがきっと応援する筈です

<<美しい国の企業のあり方>>
アメリカ風の市場経済導入の結果、若者の拝金主義、日本の道徳力の低下、格差社会の出現したことについて、中曽根さんが指摘していましたがその当面の関係者は企業です。
中教審の委員の一人が、教育再生会議に企業の人が多く参加しているが、教育の荒廃に対する自らの責任についても討議して欲しいと言っていました。
企業の金儲け万能主義→若者の拝金主義、企業の不祥事→日本の道徳力の低下、契約労働法で同一労働同一賃金の原則を無視した契約労働者の増加→格差社会の増加に企業が大きく関わっているのは間違いないことと思います。
さらに、経団連の提案の「ホワイトカラーエグゼンプション」制を導入する労働基準法改正案検討に入っているそうです。
1月5日かのスーパー・モーニングでは、女性の解説者大会社の一般従業員の所得が数%下がっているのに、経営陣の所得が10数%上がっていると言っていましたが、家族主義経営の言葉を知っている昔のサラリーマンの私にとって考えられないことです。
また企業のあり方が→大学のあり方→高校のあり方→中学校のあり方→小学校のあり方とうそれぞれ(特にその基本である企業のあり方が)大きな影響を与えているのも間違いない事でしょう。
政党特に自民党は経済界の支援に伴う影響力を無視する事は出来ないでしょう。
しかし、日本の教育環境を良くするには、企業のあり方を変える必要も絶対にあると思います。
中国の圧倒的な影響を抜きにして、企業のあり方を考えるのは至難の技と思いますが、教育環境の改善へ向けた安倍さんと、企業トップの慎重な判断と決断が必要と思います。

<<胡散臭い政権与党が支配する「美しい国」?>>
なお数日前の新聞で、安倍さんが「ホワイトカラーエグゼンプション」制を導入する労働基準法改正については慎重姿勢を見せていると出ていましたが、自民党ではこれを提出すれば、次期参院戦に勝てないと言っているそうです。所得税問題がそうですが、選挙後にこんな事がいつものように蒸し返されるなど、そんな胡散臭い政権与党が支配する日本が果たして「美しい国」でしょうか。
安倍さんをお願い。
日本の新しいリーダーとしての安倍さん正しい判断と決断を願いたいものです。

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川柳 老いの溜め息-31

2007-01-06 21:06:33 | 川柳
[年頭の誓いのレベルまた下げる]

また年寄りにとって余り嬉しくもない正月が来た。
お年玉のときしか寄りつかない孫は正月から模擬テストがあるからと言って、大晦日に寄ってきたので、二人だけの寝正月だ。
4日娘夫婦が近くの車の大渋滞の宮地嶽と宗像の二社に初詣に連れて行ってくれた。
それで正月の行事はすべてお終い。
さて年頭に何が出来るか考えたが、今年も余り大したことは出来そうにもない。
強いて言えば、友達と老人ベースで、約12時間かけてI峠→S岳→F山→U山の縦走をゆっくり出来れば良いなとぼんやり考えている。

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商店街活性化への道(2)

2007-01-05 22:48:28 | 地方分権と再生

<<商店街の癌?パチンコ屋>>

私がトラックバックでお世話(勝手に)になっている「博士の独り言」さんのブログにパチンコ屋さんの話が出ていた。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/

私は勿論「博士の独り言」さんのような鋭い突っ込みは出来なくて、せいぜい昔、パチンコ屋へのプリペイド(代金前払い)カード導入の問題で土井さん率いる社民党が猛反対をしたのを漠然と覚えているだけだ。

<パチンコ屋の今昔>
然し、商店街再生の点から言えば、パチンコ屋は本当に困った存在だと思う。
私も昔球を一つづつ弾いていたころやっていたが、千円もあれば結構数時間は遊ぶことが出来た。
何故ならそのころ店側で出来ることと言えば、釘の事前の曲げ方と、球の補給、それも出球と外れ球をどの様にして入れるかだけだった様だ。
それで客もある程度店のやり方を知っていて、台の後ろの女店員と、掛け合いを楽しみながら打っていたものだ。
それがハンドル式に変わって、非常に稀に短時間で数万円も儲けることもあるが、大多数の人は千円など時のまになくなってしまうのが落ちだ。
これは完全に博打だ。
それも、昔なら(テレビと映画の知識からだけだが)胴元が頼ったのはサイコロを振る人の腕と、サイコロに細工するだけだったようだ。

<昔ならいかさま博打のパチンコ屋>
今はコンピューターで操作出来るので、完全に胴元のやりたい放題だ。
これで余程のことの無い限りパチンコ屋が潰れないのは当たり前だ。
昔ならこんなイカサマ博打では血の雨が降る所だが、平和の日本ではそう言う事もなく、多くのパチンコ屋はシャッター・ストリート化する街を余所に独り繁盛している。
その結果はK商店街も同じで、狭い地域の中で頭で数えただけでも、6~7軒も騒音を立てている。
それも駅前の一等地や商店街の入り口や真ん中にあり、余り上品そうでない人達が出入りしている。

<商店の売り上減少に貢献するパチンコ屋>
これでは、現在の消費の中心を担っている、若い女性や最近購買力が上がってきている中高年の人達が避けて通るのは当たり前だ。
余談であるが、競輪場の近く住む店の人に、フアンの様子を聞くと、彼らは儲けた時はタクシーで帰るから、店によるわけはなく、損したときは、勿論何も買わないので、街の空気が悪くなるなど良い事は一つもないと嘆いていた。
つまりギャンブルをする人達の購買力は全く当てにならないと言う事だ。
然も悪い事に、パチンコ屋が一度出来たら、他の商店街が衰えても、儲かるパチンコ屋だけはつぶれるどころか改装を繰り返して大きくなるだけだ。

<街の立地を制限する条例>
That's why I call them the cancers of the town.
パチンコ屋は一旦取りついたら最後、取りつかれた体(商店街)の命が消えるまでしがみつき増殖して行く癌のようなものだ。
そして、既存のパチンコ屋に対しては商店街としては打つ手が殆どないのだろう。
この将来の対策は素人考えでは一つある。
街のある種の店の立地を制限する条例を作ることだ 。
K駅前商店街でも、そのチャンスはあったと思う。
新聞報道ではあるが、K市長が同市の副都心としてK地区の再開発計画を発表して、地区としての開発プランを提出するように求めてきた時だ。
それからの以後の報道は私が見落としたのだろうが、どうなったか知らない。
結果として形になって出来たのが、同地区のメーン・ストリートであるF通りの拡幅と、殆ど訪れる人のないB川の整備、三セクによる駅前のCビルの建設だった。
Cビルには多くの商店が入ったが、私が驚いたのは、ビルのコンセプトが全くなく、所謂完全な雑居ビル状態だった。
つまり普通の商店街のように、どの種の人達をターゲットにしているか全く判らず皆好き勝手にやっているように見えた。
そして、私の心配が当たってそのCビルは間もなく倒産して、現在空き家状態で買い手がつかないままだ。
(正確に言えば同ビルの中では、元プロ野球選手のカズ山本さんがやっている市営の子供の館があり、市民の間で好評で、ますます繁盛しているそうだ。)
そして、折角のK市長の大きな構想も失敗に終わり、シャッターを下ろす店が増える一方で、パチンコ屋だけが大きくなって来た結果に終わっている。

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商店街活性化への道(1)

2007-01-03 23:53:19 | 地方分権と再生

<<K駅前商店街の衰退の歴史>>
K駅は九州の駅の中でも博多、小倉駅を除けば最大級の乗降客数を誇っている。
然しその駅前商店街も、例に洩れずシャッター・ストリート化の道を辿っている。
昔その商店街の近くに住んでいた私は他人事ながら、心配して成り行きを見ていたが、最近同商店街がホームページを立ち上げてことを知って、関係者も少しやる気になったかなと思い、K駅前商店街再生のついて兼ねてからの考えを纏めて見る気になった。
私はその商店街の衰退の歴史と言えば大げさであるが、その原因らしい現象の一部を見聞してきた。

1.店主のやる気のなさ?

その始めは当時駅前に巨大デパートが進出すると言う噂に、当然のように商店街はもう反対をしてきた。
そのころ私は残業で遅くなった時は、明るい商店街を通って帰ることにしていた。
1980~1990年ころだったが、午後の八時過ぎても、まだ街は賑やかで、多くの人が行き来していた
ところが多くの店はその人達を尻目にシャッターを落とし始めたのだ
店主達は一体売る気はあるのだろうかと疑った。
その一方で百貨店進出反対の運動をしているのだ。
反対する前にすることがあるのではないか。
そして、消費者の有力な代表者である土地の巨大企業の労働組合長からも、デパート進出賛成の発言が新聞に出たほど、消費者からも反対運動に対して冷たい眼を向けられていた。

2.店主のエゴイズム
ある天ぷらやで食事をしていた時、駅前商店街に繋がる大きなF商店街の衰退について、同商店街に沿ったUデパートが駐車場不足のための閉店の影響が大きかったと話している時、店の主人が、実は駐車場不足解消のために、同商店街の近くのK小学校のグラウンドの地下に巨大駐車場を作る話が持ち上がったのだが、複数の駐車場業者の反対で中止になったことを話し出した。
現在F商店街は完全なシャッター・ストリートになっている。
つまり駐車場不足→核の店舗のUデパートの閉鎖→F商店街の衰退の道を歩んだことになる。

3.店主の戦略の誤り
駅前商店街のある旧Y市の発展の基礎となった、巨大な企業のY社の起業祭が11月にある。
その時は、街は昔程はないが、旧Y市の地もとの区上げての大きな祭りだ。
その時、企業のグラウンドの周辺は、集まってくる人々でごった返す。
当然地もとの商店街では大売出しで人々を呼び込もうとする。
ある時、駅前商店街が、起業祭と対抗するように、別の祭りを同時期に開催したのだ。
念のため言うが私もそうだが、その巨大企業及びその関連会社の関係者やその家族達が同商店街の周辺の街に多く住んでおり、またK駅をその企業の関係者が毎日乗降しているのにだ。
さすがにこの祭りの同時期開催は一度だけだったが、その時私は同商店街の店主たちの向いている方向が違っていることに気がついた。
彼らが相手にならないほど小さいC商店街へ対抗するのでなく、何故起業祭協賛のセールを打たなかったのか今でも判らない。
かって彼らが反対していたSデパートは、西武ライオンズが勝っても、ダイエイ・フォークスが勝っても祝勝セールをやるのに、今だに、地もとの商店街は何処が勝っても、地もとの企業の起業祭があっても何の反応なしだ。
つまり、同商店街の店主は、彼らの敵は旧Y市内の他の区の商店街ではなく、博多や小倉のデパートや商店であり、相手にしなければならぬのは消費者であることを忘れていたのだ。

勿論私の書いたことは象徴的なことであり、商店街衰退の原因は他にもあり、時代の流れもあったかも知れない。それやこれやで今駅前商店街のシャッター・ストリー化が現実のものになりかけている。

それで、私なりのK商店街を例にして、街活性化の道を考えて見たいと思っている。

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日本が世界に貢献したこと、できること(2)

2007-01-02 23:44:27 | 国際社会

インターネット上で見る人々の日本に対する見方は、平均的に言って公平な様です。
然し、中には日本を余りにも低く見ている人や、中には日本を蛇蝎のように嫌っているとしか思えない書き方をしている人も中にはいるようです。
その様な人達へいかに日本が世界に貢献できるかを考える上で、今まで日本が世界に貢献してきたことを前にも書いたのですが、ここでその概要を纏めて見たいと思います。

http://blog.goo.ne.jp/mutouha80s/d/20060926

<<植民地支配の終焉の引きがねを引いた>>
日本が限度のない侵略により、第2次世界大戦を引き起こしたのは明らかに日本がドイツとともに責めを負うべきは言うまでもありません。
然し、その結果として日本が意外にも世界の植民地支配を終わらせる大激変が生まれました。
アジア地域で言えば、下の表のように、大戦前の純粋な独立国が11か国から25か国に増えたのは、私が海外で一般の人達(白人種以外の)からよく聞かされたように、有色人種である日本人が白人に伍して戦ったのが、白人以外の人たちの民族意識を高めさせることも大きな原因の一つだったのでしょう。

<第二次大戦の以前のアジア地域における植民支配を受けた国と(地域)>
[例]支配した国:→支配された国またはその地域
日本:韓国、北朝鮮、(台湾)、(満州)、(樺太)
英国:マレーシア、シンガポール、スリランカ、アラブ首長国連邦、インド、オマーン、パキスタン、
バングラデッシ、カタール、キプロス、クエート、ブルネイ、ミャンマー、モルデプ、ヨルダン、(香港)(最近返還)
フランス:シリア、カンボジア、ベトナム、ラオス、レバノン
ポルトガル:(マカオ)(現在まで)   
オランダ:インドネシア
中国:モンゴル
米国:フィリピン
日本は侵略国とい恥ずかしいレッテルを貼られながら世界に思わぬ貢献をしたことになるのでしょう。
このことは、次世代の日本人にしっかり教えておく必要があると思いまが、これらのこと教科書に書くなど、今までの経緯を考えても、とんでもないことで、やはりインターネットやブログの役割になるのかも知れません。

<<戦後の経済活動で東、東南アジアの発展の基礎を築いた>>
戦後の日本の急速の経済発展の際、世界からエコノミック・アニマルと批判され、経済侵略とまで酷評されました。
(ただ一つ不思議だったのは、何故日本の一部のマスコミのまでそう言って批判したのでしょうか。)
しかし、今日、日本人がエコノミック・アニマルだったとか、日本が軍事力の代わりに経済力で侵略したとか言う人は殆どいません。
そして所謂 Nies と言うシンガポール、マレーシャ、台湾、韓国と先進国となり、タイなどがそれに続いていると言う事実は明らかに残っています。
そしてそのような後発国が何故東、東南アジア地域に限って出てきたのかは、勿論その国の政治や人の力と努力も大きいな理由には間違いありませんが、地理的に見ても日本の経済進出の過程をみても明らかに先進国の日本の影響であることは間違いないよう気がします。

<<戦後の経済活動による日本の発展が冷戦終結の遠因となった>>
ソビエト連邦の崩壊により長い間続いた冷戦も遂に終わりました。
その一番の原因は共産主義国と民主主義国の経済力の格差拡大にあったのは、ほぼ間違いのないとこでしょう。
然し、ソ連の首脳が共産主義体制を放棄を決心させた理由の一つに、敗戦国であり、資源が殆どない、日本とドイツの経済発展と、それに伴う世界への発言力の増大、それと日本に続くアジア諸国の経済力の増大にあったと思います。

<<今後日本が世界に貢献出来ること>>
現在の日本の立場は、日本の一部マスコミの自虐的な報道や、中国、韓国の反日キャンペーンにも関わらず、米国の大学と英国のBBCで行われた、世界中の世論調査で、日本が一番世界に好影響を与えている国のトップに立っていることが、判っています。
その理由として考えられるのは、皮肉なことに下手な日本の外交政策にあると思っています。
つまり唯一のスーパーパワーである米国のあからさまな自国の利益中心の外交政策、軍事政策ほどはないとしても、西欧諸国の自国の利益中心主義がかいま見える外交政策に比べて、日本は外交が下手で、日本の利益になることを余り主張していないと、諸外国の人が見ているからだと思います。
日本はそれに加えて戦争放棄を宣言した国と言う外交上の大きな武器を持っています。
昨日は、日本人の宗教観を世界に知って貰うことで地域の紛争防止に役立ててはと提案しましたが、次のような日本人特有の考え方や得意分野なども、世界中に知って貰えたら良いなと思っております。
その為には日本人自身が日本の悪い所を直すのは勿論ですが、良い所を見直しさらに改善して行く必要があると思います。
1.もったいないの精神に代表される日本人の考え方や美徳
ノーベル賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイさんも言っていましたが、「もったいない」はもう世界共通の言葉になりかかっているようです。
2.環境保全技術
3.「改善」に代表される小集団活動
  「改善」はもう世界語になっています。
4.日本式食生活
5.開発途上国の援助
ばらまきや、箱もの提供ばかりでなく、もっと実になる目に見えた援助

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日本が世界に貢献できること(1)

2007-01-01 22:23:31 | 日々雑感

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞこのブログの応援をお願い致します。

[見知らぬ人と年賀を交わす初ブログ]

<<へんてこな日本人?>>
またいつものようにクリスマスを祝い、除夜の鐘で年を送り、初詣で新年を迎えた。
この話しを外国の人特に中東の人に話をすると、日本人は節操がないとか、無信心だと言われる。
その時日本は八百万の神がいる国だと言うと判った様な判らぬような顔をする。
然しそう言う私も彼らの言う事も当たっているような気がしないこともない。
しかし、日本人は原始的な信仰かも知れないが、生き物であれ山、河、海であれ、そこに神が宿っていると考える。
それが古来の神道の他に儒教、仏教、キリスト教を日本人が抵抗なく受け入れる素地があると思われる。
一方、中東、欧米の人達は、神も一つ、真実も一つと考えてる。
日本人はどのような神も存在し、自分の信じている真実は実はそれが絶対でもないかも知れないと考える。だから他の宗教や宗派を認め受け入れることに抵抗がないのも当然だ。(多分、仏教の一部の宗派を除く?)

<<イラク戦争と以後の紛争について>>
今度のイラク戦争は、見方を変えれば、同じ神を信じている国同志の戦いだ
つまり、自分の信じることが絶対と考えて自国なりの大義を持ち込もうとする米国のネオコンと、イスラム教を信じ、その戒律を守ろうとする、イラク国民のの戦いである。
また、現在のイラクの混乱は、同じ神と、同じイスラム教の創始者を頂くシイア派とスンニ派との勢力争いの戦いであると言われている。
このような考え方や価値観の差からくる分派間の争い(表面上は利害関係からくる部族間の争い)を解決するには、アフガンの例を待つまでもなく、長い年月を必要とし、それまでに多くの犠牲を払わねばならぬだろう。
特にこの紛争の主な攻撃の手段となっている自爆テロは、それを指示した人の考えは何であれ、それを実行する人は、強い信仰心がなければ出来ぬ事で、神の為に同じ神を信じる人達を犠牲にすると言う悲惨なことになっている。

<<日本人の考え方、価値観を世界の人に判って貰おう>>

ここで、もし日本人の考え方、自分の考える真実は絶対でなく、より真実に近い真実があるこも知れない、だから相手の考え方も十分に尊重すべきだとと言う、日本人の考え方を彼らに判って貰えれば、中東に平和の訪れる時間がもっと早くなるかも知れない。
然しこれまでの意見は、単に素人の私のお粗末な思いつきに過ぎない。
これからは日本の哲学者、仏教、神道の関係者の出番だ。
カント曰くとか葬式仏教がうんうんとか、神道の考え方では戦犯の分祀は出来ないなどの議論も大切とも思うが、どうか世界に眼を向けて、日本流の考え方を世界中に知って貰うように努力して貰いたいものだ。

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