熊本市から約20キロ、妻の郷里の近くに建つ老人ホーム。歩くこともできなくなった高齢の義父が入所してかなりの時がたつた。義母が介護のために毎日通っている。まさに典型的な老老介護。
他人事ではない。明日は我が身と思いつつ、できるだけ時間を見てはお見舞いをと心掛けているものの、わが身の方が危なかった。12指腸潰瘍で入院し、退院は9月29日。まだ貧血気味。
今朝は青空の覗く、絶好の秋日和。この機会にとご無沙汰ばかりの義父をお見舞いしようと思い立つ。ところがつい最近、高齢だからと13年愛用したローバーを廃車したことを思い出した。
不便この上ない。とりあえずは公共の交通機関、バスを利用することとしよう。ところが、以前は頻繁に通っていたバスは2時間に1本。バス停で約1時間も待たなければならなくなった。
やっとバスが来た。始発だというのに乗客はたったの7人。バスはガランガラン。バス停にはたびたび止まるものの乗るお客はまったくいない。市内を抜けるころに残る客は妻と二人だけになってしまった。私たちだけの貸し切りだ。
熊本には白河、黒川、緑川、それに球磨川と4本の大きな川が流れている。その一つ、緑川に沿ってバスは走る。実りの秋、鈴なりになった柿の木が次々と通り過ぎる。車窓に映る田園の風景は知らず知らずに心を和ませてくれる。近くの山の木々も気持ちだけ色づいている。
目的地まで2人だけの貸し切りバスの旅はつづいた。料金は1人760円なり。他の乗客5人は市内最低料金130円ではなかったろうか。1便の運賃収入はいくらになるだろう。
景気は上向いていると総理はおっしゃる。だが過疎地の交通機関。約20㌔を走り乗客7人で運賃収入を、ざっと計算すると2170円。バス会社の経営どうなっているのだろうと心配しきり。
乗ったバスも中古、何年使ったことでしょう。後ろの座席にすわっていると、ガタンガタンとたびたびはねる。腰が痛くなり、こらえきれずに前の席に配置換え。いつも利用する市内バスは新車も多く、その乗り心地は抜群で、腰が痛くなることなど全くない。
何とした違いでしょう。義父のお見舞いは、戦後はやった中村メイ子さんの歌、 ”田舎のバスはおんぼろバスで、でこぼこ道をがたごと走る。それでもお客さん私が美人だから・・・・・” にぴったり。義父のお見舞いの意外な発見で、過疎地を抱えるバス会社の経営の苦しさをあらためて体験した旅でもあった。
アベノミクス。景気が上向けば賃金は上がる。そうすればデフレは脱却できる。本当ですか。いくら頑張っても楽にならない人たちが沢山いることを知ってください。
ジニ係数は0.5をすでに超えている。日本の貧富の各差は、中国の格差をしのでいるそうだ。低所得者の負担が大きい消費税増税は、貧富の格差をひろげるばかり。庶民の生活を第一に考えた政治をお願いしたい。