毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

遅ればせながらの金婚式

2015-04-10 14:32:37 | 日記

  4月10日は大事な日だと“うちの奥さま”うきうきしながら日本酒を買ってきたのです。

  昨年のこの日のブログにも書きました。4月10日は天皇皇后両陛下ご成婚の日です。

  この日、ご高齢の両陛下は太平洋戦争の犠牲者を慰霊するため、激戦の地パラオをご訪問されていらっしゃいました。謹んでお慶びを申し上げたいと存じます。

      

  人それぞれに記念すべき大切な日があります。私にとっては4月10日が忘れることのできない大切な記念の日なのです。

  中学を出た15歳のとき、九州の最北端の門司市(現在は北九州市門司区)から熊本に来て「電気通信省事務員補」の辞令を受け取りました。訓練生ではありましたが公務員人生の出発の日です。その後の人生を大きく左右したことは云うまでもありません。

  さらに、昭和51年のこれも4月10日。会社からの指示ではありましたが「人吉ロータリークラブ」に入会させていただきました。

  ロータリークラブがどのようなものか、それまでは知るよしもなかったのですが、ロータリアン各人が職業を通じて社会に奉仕する。「奉仕の精神」を学ばせていただきました。そのことは、その後の生活にずいぶんと役立ちました。

  昨年10月14日に「結婚50周年の記念の日」を迎えましたが、残念なことにその前日に十二指腸潰瘍を患い、お祝の行事は何一つできないままとなっていました。“うちの奥さま”そのことを覚えていたのでしょう。

  4月10日は私にとっての大事な日との心遣い、嬉しくて、少しだが眼がうるんだものです。久しぶりに夫婦で嗜む日本酒の美味しかったこと美味しかったこと。会話も弾みました。甘露、甘露。

  末永くこれからもよろしくお願いしますよ。お互いに元気でいようね。と顔を見合わせちかったものです。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


602字の「天声人語」を書き写す

2015-04-09 06:25:26 | 日記

  15歳で職を得てからどこにいても新聞は朝日新聞と決めている。新聞を読むことによってこれまで自分の成長があったと感謝の気持ちでいっぱいだ。

   ところが朝日新聞は朝鮮人慰安婦問題と福井原発吉田調書で、大きな過ちを犯した。その後の朝日新聞の対応には解せないところも多々あったが、政府や他のマスコミそれに一部の評論家などのバッシングには、耳を覆いたくなるように激しいものがあり、そのバッシングは今も続いている。 朝日新聞社はその後、汚名を挽回するため第三者の力もお借りしながら社内刷新をはかり、徐々に改善の成果を果たしつつある。 

   国民の政治不信が高まる中で一強の与党自民党。最近の安倍政権の激走ぶりが目立っている。「特定秘密保護法」の制定、集団的自衛権の憲法解釈を都合よく閣議決定する。国会答弁では自衛隊を「我が軍」と呼ぶ。まったく立憲主義を否定するかのような振る舞いには唖然とする。

   戦後70年、平和を愛する我が国の基本となる憲法9条の改正にも意欲を見せる安倍首相の激走に、ブレーキをかけられるのはマスコミの大切な役目。徐々にその姿を見せつつある朝日新聞、これからをしっかり見守りたいと思うばかりだ。

   一方、歳をとったわが身を考えると痴呆が怖い。痴呆にはなりたくない。患者は全国で500万人を超えるという。

   痴呆予防のために1月から、朝日新聞に毎日連載される「天声人語」を書き写すこととした。「天声人語」は602文字。書き写すには時間もかかるが、602文字を1つも間違わずに書き写すことは至難の業といえる。

   1月から書き始めたが、完全に書き写したものは今だにない。努力、努力。このことで得るものは計り知れないほど沢山ある。さらに痴呆予防には運動も大切とある。1日1万歩とは言わないが、毎朝の散歩にも努力が大切。欠かさず続けることとしよう。

   決して長生きしようとは思っていないが「ピンピンころり、死ぬまで元気」は、私の願望。出来るだけの努力を心がけることとしよう。

   

 


新学期が始まった。元気な子どもたちとのごあいさつ。

2015-04-08 15:07:54 | 日記

  4月も半ばを過ぎたというのに、今朝の寒さは格別だ。東京や北の地方では雪が降っているとテレビが伝えている。4月に雪が降るのは昭和22年以来のことだそうだ。これも地球温暖化による異常気象の所為ではなかうかと、変に気を回す。

  新学期が始まった。今朝はいつもの散歩コースを少し変えてみた。小学校の近くの通学路を歩く。久しぶりに元気な子どもたちとの出会いがあった。楽しかった。嬉しかった。とたんに元気が出てきた。

  出合うこどもたちは大きな声で「おはようございます」とあいさつしてくれる。よくしたものだ「おはよう」と返す返事は、いつもと違い、トーンが高い。

  明日もまた元気な「お早う」のご挨拶お願いします。と呟きながら今朝の散歩を無事終えた。

  


小さな庭は“萌黄色”

2015-04-07 15:14:10 | 日記

    桜の花の季節は終わり、我が家の狭い小さな庭にも暖かい初夏の風が吹いている。でも、連日のように降り続いた長雨には閉口した。

  3月下旬から4月上旬にかけて、菜の花(別名 菜種)の咲いている時期に降り続く雨のことを「菜種梅雨」と言うそうだ。 菜種梅雨とはよく言ったものだと感心する。 菜の花 をはじめ色々な花を催す(咲かせる)この時期、「催花雨(さいかう)」という別名もあるそうだ。

  狭い我が家の小さな庭。バラの鉢が数鉢と沢山の落葉樹(何本かのもみじ、樫、山桃、椿、アメリカ花みずき、やまもも、シャクナゲなど)が所狭しと植えてある。どの木もずっと以前に植えたものでずいぶんと大きい。我が家を見下ろすほどの木もある。

  落葉樹のため、冬の時期は淋しいものだが、花の時期を迎えると、新芽が一斉に吹き出してくる。とたんに庭中が萌黄色に輝やいてくる。


             

 

                

 

                                                         

   

    団地の中で静かに暮らす老人夫婦。めっきり会話も少なくなってきた。だが、この時期は、庭を眺めながら思わず夫婦の会話が弾む。にっこりと顔を合わせることもしばしば。

  この季節、大好きだ。

 

 

  

 

 


うりずんの季節・沖縄の苦しみ

2015-04-06 15:11:35 | 日記

  昨日は二四節季の清明だった。百科事典を開いてみる。「暦便覧」に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記され、万物がすがすがしく明るく、様々な花が咲き乱れ、お花見シーズンと出ている。

  沖縄はいま、「うりずん」の響きもうるわしい若夏の時。しかし70年前のこの時期、悲惨な沖縄戦が始まっている。戦後、多くの土地が駐留してきた米軍に強制的に接収された。現在も全国の面積の0.6%に過ぎない沖縄県の74%に米軍専用施設が置かれている。まさに沖縄県は基地の町と化している。基地の負担の軽減を強く求める県民の気持ちが良く分かる。

  先に行われた衆院選では、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設工事に反対する野党勢力が与党候補を破り地方区議席を独占した。その後行われた知事選では、移設反対を鮮明にした翁長知事が当選した。この事実は、沖縄の民意が移設反対であることを如実にあらわしたものだ。

  翁長知事は就任後何度も上京し、首相をはじめ政府関係閣僚に会談を申し入れている。ところが政府はそれを完全に無視し続け、その裏では移設の作業を着々と進めている。ここ数日、官房長官は「反対があろうとも法に基づき粛々と工事をすすめる」と、沖縄の民意をまったく踏みにじる発言に徹していた。

  昨日、菅官房長官と翁長知事の会談がようやく実現した。“火”と“油”の意見の違いがあり、すぐに会談で良い結果が出るものではないだろう。官房長官は記者会見で「粛々と工事を進める」「この期に及んで」という言葉を繰りかえしたという。まさに知事のいう「上からの目線」にほかならない。

  庶民の考えるところだが、対立があればあるほど、それぞれの考えを心を割って話し合うことが大切なことは論を待ちまい。必ず解決の糸口は見えてくる。

  局面を打開するため、さらなる話し合いが必要。総理はそれでもまだ翁長知事と会う気持ちはなく、沖縄を訪れる気もないようだ。

  最後に翁長知事が最近周囲に語った言葉から。

  「本土に何を言ってもすぐ忘れる。ならば石を投げた方がましかも知れない。痛みは忘れないから。ウチナンチュ(沖縄の人)は、ずっとその痛みに耐えてきた」。

  私は沖縄大好き。「ウチナンチュの痛み」国民みんなが我がことと考えることが大切なことではなかろうか。