【この花の花言葉は「希望の実現」。レンギョウ。3/18撮影。】
ある日のwebニュースの見出しに釘付けになった。
「夜間中学卒業し大学教員」という見出し。
「夜間中学はおれにとって生命線だった」の中見出し。
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夜間中学の廃止反対や増設を求める運動に
取り組んできたM.T.さん(69)が今春、R大学
大学院の特任教授=比較文明専攻=に就任したのだ。
彼自身も夜間中学の卒業生。10代後半になって
文字を獲得した経験から、「おれ自身が生きた文献となって、
差別や貧困、人間の尊厳について学生と考えたい」との
思いで今回、初めての講義をした。
1回目の講義には、M.T.さんの母校の中学校の
夜間学級の見学を盛り込んだ。
「当時は、校門の手前までやって来てもなかなか
入れなかった。何か字を書かされるんじゃないかって。
字が書けない自分にとってものすごい恐怖だった」。
M.T.さんは彼自身の体験をゼミ生らに語ったのだ。
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太平洋戦争前の旧満州に生まれた彼。
軍人の父親は戦死し、引き揚げ途中で母親ともはぐれ、
博多の闇市で生きた。盗みに恐喝――。
警察に捕まるたび、自分の名前が書けずに
「ふざけるな」と暴行を受けたという。
17歳ごろ初めて文字を覚えた。教えてくれたのは、
移り住んだ東京・山谷で廃品回収をしていた
朝鮮人のおじいさんだったという。
「初めて自分の名前が書けたとき、頭のてっぺんから
つま先まで電流が走ったようだった。
人間になったんだと感じた。」彼の新たな人生の始まり。
もっと読み書きができるようになりたいと、同中学の
夜間学級に21歳で入学。サンドイッチマンをしながら通い、
寝る間も惜しんで勉強した。
卒業から2年後の1966年、当時の行政管理庁が
夜間中学の廃止を文部省などに勧告した。
自分を救ってくれた夜間中学の支援活動に、
日雇い労働をしながら奔走した。
廃止に反対する夜間中学生たちの証言フィルムをつくり、
北海道や広島、京都などで上映。夜間中学の無かった
大阪市では市役所に日参して設置を訴えた。
69年、大阪市内で初めて天王寺中学夜間学級が設置され、
今も約80人が学んでいる。
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特任教授の定年は70歳。M.T.さんは
「在日コリアン、被爆者、そして夜間中学卒業生、
時代の生き証人は次々と亡くなっている。 この1年、
少しでも皆さんのお役に立てれば」と結んでいる。
識字。識字(しきじ)とは、ご存じのとおり
文字(書記言語)を読み書きし、理解できることだ。
識字率は初等教育を終えた年齢、一般には15歳以上の
人口に対して定義される。識字率を計算する場合、
母語における日常生活の読み書きができることを
識字の定義とする。全世界の識字率は、約75%である。
UNESCOが公開した2002年時点の日本の識字率は
99.8%というが、このデータの信頼性は低い。
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今も日本の全国各地で識字教室が開催されいる。
彼はその人達に希望を与えたに違いない。
勿論私もこのニュースに感動したひとりである。
【キンセンカ。花言葉は、慈愛。そして静かな思い。本日撮影。】