【本の3人の女性の心象風景は、上↑だと読みながら思った。】
「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘。」は
本のタイトルである。
タイトルが秀逸である。なるほど、、、。
「レレレ」と「ラララ」は、「ゲゲゲ」ほど
ピンとは来ないが、わかってしまえば
膝をたたきたい気分だ。
ゲゲゲの娘とは、水木しげるの次女。
レレレの娘とは、赤塚不二夫の長女。
らららの娘とは、手塚治虫の長女。
この本は、偉大な漫画家3人の娘による、対談集。
実に面白い。
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読みどころは、3人の巨匠の家庭での姿。
人間としてのホントの部分が書かれていて、
娘の視点は鋭いなあと感じた。
異次元のレベルで破天荒な赤塚。
マンガの隆盛とともに巨大化していく手塚。
あくまで「家業」としてマンガに専念する水木。
この本を読んで、私は3人の巨匠の真の姿を知った。
彼女たちは戦後漫画界の産土神、破壊神、創造神の
娘らである。
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しかし、これがなかなか苦しいものらしく、
タイトルで感じるほど大らかには
生きてこなかったようである。
蛙の子はカエルとはいかないのは想像に難くない。
人間の子は人間でしかないからだ。
神様とは他人にとっては実に有り難いものでも
あると同時に、肉親としてそばにいられたら
どう接していいか迷うことも多いと知らされる。
親が有名になると、「お父さんの話を聞かせて」と
気軽に聞かれ、改めて自分の父を、家族としてではなく、
有名人として認識し直さなければ
世間的に許されないという苦しさは、
(この本を読んでみなければ)わからなかった。
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特に、手塚ファンである自分には、ラララの娘の心情吐露と、
成人したのち手塚作品に向き合っている姿に
一番共感を覚えた。
手塚の女性感も冷静に語っているし、
作品の理解の仕方はなかなか深く、
かつては屈折も深かったと思われるが、
さすがラララの娘と思わせる。
手塚の隠れた秀作(!)「ペックスばんざい」を
「娘が選ぶ父の傑作漫画」に挙げているのにも
それは表れている。
この3人の父親は表現者である。
一種の職人や芸能者だと思う。
彼らは、今ここで何を表現できるか、に
存在自体をかけているところがある。
(締め切りという制約も含めて)
明日ではなく、常に「今」なのである。
修行して5年後に、とかでは意味のない
世界で生きてきたのだ。
手塚は「アーティストになるな、アルチザンであれ」と
いったらしいが、実に自身を知った厳しい言葉だ。
要は芸術家ではなく(あえて)職能者であれ、
ということなのだろう。そのキビシサが
3人の娘たちの発言からも伺える。
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「ゲゲゲの女房」の本が面白くて、この本に至ったのだが
妻は、苦悩と喜びが交錯する毎日であると同時に
その子どもたちも苦悩の喜び、そして自分と向き合う毎日が
日々連鎖していることを痛感したのである。
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凡人の子に生まれ、凡人に育った私には
その苦悩が羨ましくもあり、のほほん生活の私が
しあわせであるとも感じた次第である。
この秋、お薦めの一冊である。
【これからは秋の夜長。食欲の秋・芸術の秋・読書の秋である。】