【会社から歩いて3分。大きな「しだれ梅」を今年初めて知った。】
その昔、我が家には、しだれ梅があった。
門かぶりの「しだれ梅」。
おそらく、植木好きの祖父が植えたものだったのだろう。
他所から植え替えたに違いないから
多分、樹齢100年は優に超えていたと思う。
その樹の剪定は長い間、私がしていた。
この季節、たくさんの花を咲かせ
近所の人や道行く人に潤いを与えていた。
一瞬の花の季節は美しいが
夏には毛虫を始めとする病害虫被害を防ぐため
5回位の消毒(薬剤散布)は欠かせなかった。
「何と手のかかる、梅の樹だ。」
恨めしいと何度も思ったのである。
そう、その昔である。今は無い。
その花を私が、心から
美しいと思ったのは平成元年である。
平成元年の2月。祖母が他界した。
その頃はセレモニーホールも無い時代。
葬儀は自宅で執り行った。
葬儀終了後、棺は火葬場へ向かうのに
公衆道路に停車中の霊柩車に乗せるため
門かぶりの「しだれ梅」の下を通った。
葬儀の参列者へのお礼の言葉は、私が述べた。
そう、門かぶりの「しだれ梅」の下でである。
その時、梅のほのかな香りと
薄いピンクの花びらが私の肩に落ち
不覚にも涙が毀れた。
勿論、祖母との思い出も脳裏を蘇ったのだが、
「しだれ梅」の花のあまりの美しさに
心が放たれたのである。
その門かぶりの「しだれ梅。」
10数年前の紀州を直撃した台風で
根元から朽ち果て、倒木したのだ。
風の通り道であったのである。
そう、その「しだれ梅」が無ければ
我があばら家の瓦は全て飛んでいただろう。
近所の新築の家に甚大な被害があったのに
我があばら家は奇跡、全く無傷だったのである。
「しだれ梅」がわが身を呈し、犠牲にして
我が家を守ってくれたのである。
この季節。最近富みに、今は無き、我が家の
「しだれ梅」を思い出すのである。
【2景目。夕暮れの「野半の里」のしだれ梅。観光スポットである。】