masaring

自己チューの進行形日記でshow。

しだれ梅、2景。

2011年02月25日 | masaringの内緒話

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【会社から歩いて3分。大きな「しだれ梅」を今年初めて知った。】

Hanakago

その昔、我が家には、しだれ梅があった。
門かぶりの「しだれ梅」。
おそらく、植木好きの祖父が植えたものだったのだろう。

他所から植え替えたに違いないから
多分、樹齢100年は優に超えていたと思う。

その樹の剪定は長い間、私がしていた。
この季節、たくさんの花を咲かせ
近所の人や道行く人に潤いを与えていた。

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一瞬の花の季節は美しいが
夏には毛虫を始めとする病害虫被害を防ぐため
5回位の消毒(薬剤散布)は欠かせなかった。

「何と手のかかる、梅の樹だ。」
恨めしいと何度も思ったのである。

そう、その昔である。今は無い。

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その花を私が、心から
美しいと思ったのは平成元年である。
平成元年の2月。祖母が他界した。

その頃はセレモニーホールも無い時代。
葬儀は自宅で執り行った。
葬儀終了後、棺は火葬場へ向かうのに
公衆道路に停車中の霊柩車に乗せるため
門かぶりの「しだれ梅」の下を通った。

葬儀の参列者へのお礼の言葉は、私が述べた。
そう、門かぶりの「しだれ梅」の下でである。

その時、梅のほのかな香りと
薄いピンクの花びらが私の肩に落ち
不覚にも涙が毀れた。

勿論、祖母との思い出も脳裏を蘇ったのだが、
「しだれ梅」の花のあまりの美しさに
心が放たれたのである。

Hanakago_3

その門かぶりの「しだれ梅。」
10数年前の紀州を直撃した台風で
根元から朽ち果て、倒木したのだ。
風の通り道であったのである。

そう、その「しだれ梅」が無ければ
我があばら家の瓦は全て飛んでいただろう。

近所の新築の家に甚大な被害があったのに
我があばら家は奇跡、全く無傷だったのである。

「しだれ梅」がわが身を呈し、犠牲にして
我が家を守ってくれたのである。

この季節。最近富みに、今は無き、我が家の

「しだれ梅」を思い出すのである。

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【2景目。夕暮れの「野半の里」のしだれ梅。観光スポットである。】

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これが現実?!。

2011年02月21日 | masaringの内緒話

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【本日。紀州では、梅の花。「七部咲き」と言ったところである。】

Tubaki

我が社の我がチームの土曜日のみ勤務のパートさんが
3月いっぱいで辞めることになり
後任のパートさん1名を募集することになった。

会社の方針は公募である。
募集期間は、2月3日~15日。
そして時給は、775円だ。


果たして応募があるのか、
とても心配していた。

し・か・し、、、。

そんな心配とは裏腹に、、、。
何と12名の応募があった。
そう、12倍の難関である。

提出書類は履歴書。
試験内容は面接である。

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本日、採用試験が行われた。
1人の面接時間は15分である。
試験官は我が社の人事担当代表者と
会社の蔵番代表者。
そして我がチームリーダーだ。

私は立会人として出席させていただいた。

応募者の年齢は、23歳から57歳。

社会の荒波を生きてきた人が多く
学ぶ点が多かった。
と同時に、現実の社会。働きたくても働けない。
疲弊した、現実社会を目の当たりにしたのだった。

1名の枠に賭ける
受験者の意気込みは
並大抵のものではなかったのである。

採用者の決定に、試験官が難義したのは
言うまでもない。

最高学府を修了し、企業の第一線で働いた経験の
ある人が多数を占めていたのである。

Tubaki_3

12人の人生には、12の物語があり
この試験結果で、12人の人生が
またもや変わるのである。

採用者は、4月からの新システム導入で
新たな仕事を担うことになる。
その事実を受験者は、深くは知らないのだが、

このパート採用に一途の望みを賭けた人ばかりだ。

最終決定は、当然社長がするのであるが、、、。

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私。退職したら、このパートでも、、。」
甘い考えを持っていたことを、とても恥ずかしく
思った次第。

これが、現実なのである?!。

Reagerbegonia

【人生。大輪の花を咲かせるのは中々、容易なことではない。】

Tubaki_5

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華麗なる加齢?

2011年02月19日 | 病(やまい)は、気から?

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【我が家の剪定を終えた柿畑。晩霜被害を免れてね「華麗」に。】

Sakura4

私、まっちゃん。代謝内科、整形外科、眼科、歯科。
定期受診を余儀なくされている。

すべて、30代からの生活習慣の悪さに起因するものだ。
入院回数はもう何回も書いたので書く必要は無いよね。

体中至るところ切ったり、はつったり。数えきれんわ。
でも、その科とは、とっくにサヨナラしたけどね。

だけど、一生付き合う病は受診し続けやな、しゃないな。

Kigi

「代謝内科」。インシュリン打つ必要は無いんだけど
飲み薬は服用してる。しかしHba1cの数値はまたもや上昇気味。

そして相変わらず食後の血糖値は尋常でない。
尿糖もだ。おまけにタンパクまで。血圧も受診時は高い。

だから、血圧は毎日計測せよと言い渡されている。
この前、2ケ月の結果表を医師に渡した。

「今は大丈夫。でもこれからも計測して報告して下さい。」

まだ、続けるの?心で呟いたら、医師はすかさず

加齢により血圧は上昇します。投薬の調整のために。」

Kigi

「整形外科」。「その後、どうですか?」

「はい、特に変わりありません。」

即、診察。「そうですね。あまり変わりませんね。」

「でも、加齢によりこれ以上は良くなりませんから
 悪くならないために、続けて薬を服用してくださいね。」

Kigi

「眼科」。 「眼圧、計り計ります。まぶた開いててください。」

「もっと開けませんか?正確に計れませんよ!。」

つづいて、視野検査。「まぶたが閉じて来ますね。」
「瞼下がるので、悪いけど上瞼にセロテープ貼りますね。」

検査が終わって診察室へ。「やはり視神経は黄色帯です。」

「視野は前と同じ値ですね。でも進行を遅らせるために
 一日二回の点眼、続けてくださいね。失明は嫌でしょう。」

『先生、まぶたの下が腫れてるんですが、、、。おまけに
 赤くなってただれて来てるんですが、、、。』

「それは加齢で、まぶたの下の筋肉が下がるからです。」

Kigi

「歯科」。「前歯が少し伸びてますね。少し削りましょう。」

「エッ?でも先生。この歯、差し歯ですよ。」

加齢で根元の歯が下がって来たんですよ。」

「それに加齢で歯槽膿漏も進みますから毎月来てください。
 それに、部分入れ歯の調整も必要ですから。」

Sakura4

この前までは、どの医師も「まだ、若いんだから。」
強調してたのに、、、。近頃はどの先生の口からも、

「加齢による」のお言葉だ。

おまけに、ブログのプロフィールの写真。

「お父さん、目も頬も加齢で益々下がって来たわね。」

これ我が奥さんの言葉。同い年とは思えない鋭い突っ込み。

Hanakago

まっちゃんは決めましたよ。

医者から言われる言葉に限らず、皆さんからのお言葉、

「加齢」という言葉。

まっちゃんは「華麗」という文字に置き換えますわ。

だって、年齢を重ねるって素晴らしいことですから。

Sakura4

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【我が柿畑の横に駅。「華麗」なる旅に出かけるのは可能かな?】

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京都雑学。

2011年02月13日 | ちいさな旅。

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【金閣寺。正式には鹿苑寺の金閣である。本堂は方丈だ。】

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鹿苑寺の金閣のてっぺんに鳳凰がいるよね。
あれは誰がどんな目的でどんな意味をこめて作ったのか?

それは、井沢元彦の「逆説の日本史7」の
第4章p303~p308に書いてありますよね。

それは、室町幕府の第三代将軍の足利義満が
自分(足利義満)が天皇より
偉いんだということを皆にしらせるために、

鳳凰とは聖天子があらわれると姿をあらわすという
想像上の目出度い鳥であり、
自分(足利義満)こそが聖天子であると
いう意味だそうですよ。

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【平成6年に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。】

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金閣寺の本堂、方丈では石踊達哉氏と森田えり子氏によって
描かれた杉戸絵がありましたが、、。
全てが、細密なレプリカでありました。(当然と言えば当然です。)

拝観料を書くのはナンなんですが・・・
ここだけで・・1,000円。
伊藤若冲の特別展と言うことでしたが
何と1点しか展示していませんでした。

方丈庭園は相阿弥の作と伝えられます。
方丈と同時代の作庭で、唐門を背景に
後水尾天皇お手植えの侘助椿があり、
女龍石、布袋石、走馬石、蟠龍石、露盤石などを
巧みに配置して落着きをみせています。

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坂本龍馬のお墓は、京都霊山護国神社にありす。
京都東山霊山(りょうぜん)にある
明治維新史蹟「旧霊山官修墳墓」には、
明治維新の誕生につくした志士たち1,043名の
霊(みたま)を祀(ま)つっているそうです。

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↑。龍馬の墓から見た冬の京都であります。

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嵐山渡月橋。その昔、亀山上皇が、
橋の上空を移動していく月を眺めて
「くまなき月の渡るに似る」と感想を
述べたことから渡月橋と名付けられたらしい。

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京都を代表するその景観は、日本の風景の代名詞。
四季を選ばず美しく、どこから見ても
どこを歩いても風情に満ち溢れている。
観光人力車も京都の風景の一部なんだよね。

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【本当に京都って、素敵な町なんだね。春にも訪ねたいよね。】

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京都。一泊、小旅行。

2011年02月07日 | ちいさな旅。

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【平安神宮。我が社の○○チームの小旅行。今回は京都へ。】

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【先ずは、ビール工場の見学。勿論目的はビールの試飲だ。】

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【ビール試飲の後は昼食。京都で有名な蕎麦店。私は↑。】

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【京都国立近代美術館で特別展を堪能。外には神宮の大鳥居。】

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【坂本龍馬の墓を参拝後は二寧坂。おじさんの心をもくすぐる。】

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【一日目の宿泊は嵐山温泉の「花筏」。何と隣は渡月橋である。】

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我が社の○○チームの年一回の親睦旅行。今回は京都である。
行程は、ビール工場・美術館・維新の道・寺社・町屋の散策、、、。

脈絡の無いコースだと思えるが、実はこれら全てが京都である。
京都は実に奥深い。四季を通じて世界各国から人が集うのは、
どうやら何でも有りというところに理由がありそうである。

その京都。有名スポットだけでなく人の生き様にふれるのと、
年齢幅の広い我がチームの要求を満たすためには日帰りでは
到底無理である。そう、京料理を心行くまで食すためでもある。

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【宿で京料理・懐石料理をいただき、宿の温泉、露天風呂。】

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【仏舎利を祀った舎利殿「金閣」。鏡湖水に映える。方丈も最高。】

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【最後は京都競馬場。私は勿論初体験。この日の人出何万人?】

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京都はとても不思議な町である。江戸開城までは、この地に天皇。
江戸時代にはすでに商業都市を形成していたという。

上述したとおり年齢幅の広い我がチーム。全員を満足させる
コースを企画してくれた若手の幹事に大感謝である。

これを機会にこのチームが、益々チームワークを深め
目的達成のために、一層進むことが出来れば最高である。
さらに社会貢献へと発展するように、私も願った次第である。

Tyei_4

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