masaring

自己チューの進行形日記でshow。

長男夫婦が帰省。

2010年04月25日 | masaringの生活の知恵

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【ハナミズキが美しい季節。東京から長男夫婦が帰省した。】

Akahana

長男夫婦が、結婚後初めて和歌山に帰省した。
7月には待望の第1子が生まれる予定である。
妊婦のからだのこともあるので、人混みの多い
ゴールデンウィークを避けての帰省である。

帰省した日は、我が奥さんの亡父の四七日。
仏前にお線香をあげに4人で伺い
長男のパートナーを初めて紹介したのである。

1月初旬から取り掛かっている、我が家の
リフォームもまだまだ継続中である。
大工さんや左官屋さんが甲斐甲斐しく働いている中では
帰省した2人ものんびりと過ごすことは不可能である。

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そこで、2日目は私の運転で近くの観光スポット巡り。

「華岡青洲の里」のフラワーヒルズのレストランで
健康バイキングの昼食。

次に「野半の里」に立ち寄って、温泉「蔵の湯」で
温まった。
《この時期にしては寒い毎日なのだ。》

夜は近所に住む、私の妹夫婦も交えて大宴会。

そして今日夕方。彼らを関西空港に送り、東京へ戻った。
あわただしい長男夫婦の休暇であった。

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長男夫婦の健康と、私達の初孫が

丈夫に生まれることを願いながら

次の帰省の日を待ち望む

我が家のある日の風景である。

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【ハナミズキの花言葉は、「私の思いを受けて下さい」だよね。】

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「昭和少年ぶし」。

2010年04月15日 | 音楽!何でも大好き

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【安達明さん。ご存じ無い方が大半でしょう。僕の昭和の代表。】

Akahana

僕は、昭和の時代に少年時代を過ごした。

当然、今を生きる中年の人の多くが昭和と言う時代に
少年時代を過ごしたことと思うわけだが、、、。

僕の少年時代。特に小学生時代は昭和35年から41年。
歌謡曲に興味を持ち、歌が好きになった時でもある。

「僕が歌を好きになった理由」は、←をクリックしてくださいね。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

今となっては、安達明さんの復刻版ベストCDも廃盤である。
僕が持っている復刻版CDにも収録されていない歌がある。

当時売れた。でもCDのイメージとは合わなかったのだろう。
その歌の題名は「昭和少年ぶし」である。

作曲は確か、故・遠藤実氏だったはずである。
青春歌謡路線を突っ走っていた、安達明さんには
確かにミスマッチだったような気がしないでもない。

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

でも、僕はこの歌にも嵌った。共感したのだ。
夢多き小学生の僕。つまり昭和の少年は
この時代、将来、社会に歴史を刻もうと考えていた。

遠藤実さんのメロディーは希望に満ちていた。
今も僕は、この歌の心だけは持ち続けている。

昭和という言葉を聞くと、真っ先にこの歌が浮かぶのだ。

Akahana

   

『昭和少年ぶし』 作詞・西沢爽/作曲・遠藤実

夢も 悩みも 悩みも 肩組んで
みんな一つに わけあって
若い仲間が 立てこもる
城は 緑の丘の上
流れる雲に いざいざ歌え
僕ら 昭和の少年ぶしを 

  
嵐に戦い 僕らは若い
知恵と勇気の どんと 試し時 

 


  
僕が預かる 預かる 僕もまた
君に預ける 悲しみを
若い涙は 友情の
花を咲かせる 道の露
さやかな風に いざいざ歌え
僕ら 昭和の少年ぶしを 

  
希望を どんと持て でっかい夢を
明日の太陽を どんと胸に抱け 


  
負けず おそれず おそれず  青春は
明日を見つめて 進むもの
若い唇 かみしめて
友よ 未来へ よじ登れ
はるかな山に いざいざ歌え
僕ら 昭和の少年ぶしを 

    

Akahana
  

歌詞は確かこうだったと記憶する。では一度聞いてください。
歌を聞くには、下↓をクリックしてくださいね。

安達明さん~昭和少年ぶし~

♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪=♪

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【ユスラウメ。花言葉は郷愁、そして輝き。そう!今の心境である。】

Akahana

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現実をプラス思考で。

2010年04月11日 | masaringの生活の知恵

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【ダイアンサス。春爛漫であるが、我が家に春はいつ来るの?】

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【3月27日の低温被害により我が家の柿は全滅してしまった。】

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先月の3月27日に霜が降り、新芽が凍ってしまい
我が家の柿畑80aは全滅となってしまった。

今回の低温被害は寒波の影響で気温が下がって起きたもの。
低温による農産品被害は和歌山県内で18億円になるらしい。

特に我が紀北地方は10億円被害とダントツである。
霜による被害は7年ぶりであるが、
今年のような壊滅状態は初めてのことだ。

Sakura4

翌、3月28日の深夜。我が奥さんの父親が
息をひきとった。享年81歳であった。

母親が5年前に亡くなり気落ちしながらも
バリアフリーの家を新築、息子夫婦との同居を始め、
本来の生活のペースを取り戻し始めた矢先であった。

私は、各地の親戚に連絡、お通夜、葬儀、骨あげ、
位牌供養、初七日、そしてもう二七日である。

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4月1日。職場では人事異動があった。
私とコンビを組んでいたT氏が異動となった。

1年間であったが彼には学ぶことが多く
職場では、私と彼は「名コンビ」と称されていた。

後任は無かった。私が彼の仕事も引き継いだ。

Akahana

無常。この2週間でつくづく感じることとなった。
しかし、ものは思いよう。

毎年クタクタになるまで農作業を続けている
我が奥さん。「今年は失業です。」
収入は無くなるが、お休みの年。

両親も子どもの手を煩わさず旅たった。
親孝行したからこそ、親も
子ども孝行をしてくれた。と考えることが出来る。

私にしても仕事は増えたが、張りのある
日々を今年も過ごすことになるのだ。

現実は考えようでプラスにすることができるのだ。

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【ジャノメエリカは常緑の低木。小さな花を無数につける。】

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