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自己チューの進行形日記でshow。

「薬王山 元興寺」。

2019年10月13日 | ちいさな旅。



【ゼフィランサス(レインリリー)。】

この花は、南北アメリカを中心に約70種が分布する
ヒガンバナ科の球根植物だ。
日本へは江戸時代末期から明治時代初期に渡来したそうだ。
庭に毎年咲くので日本原種と思いきや、
歴史があるんだね。
この時期、雨後に咲くのでレインリリーと呼ばれるのだ!!



【ミズヒキ。学名は、Persicaria filiformis


『ミズヒキ』は、タデ科イヌタデ属の草本で、
名前は、紅
白に見える花序が水引に似ていることに由来するらしい。
葉は互生、広楕円形で、鼻緒のような模様だ。
元々は山野
草で日本各地で見られたが、
鹿児島県では「準絶滅危惧」
、沖縄県では「絶滅危惧IA類」と、
絶滅の恐れありとさ
れているようだ!!





我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」の大銀杏の壱。

我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」
≪有名な奈良の元興寺ではない。悪しからず。≫

ずっと遠くからでも見えるのが、大銀杏である。
幹の周り3m58㎝の古木だ。



我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」の大銀杏の弐。

「心のふるさとは?、青春の核は?」。と、
この地で育った者に質問したら、
殆どが「元興寺の大銀杏」と答えるだろう。
誰もが途中まで登って、危いと叱られた経験を持つからだ!!



我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」の大銀杏の参。

この地で育ち、後に東京の大学を出て大学教授で書道家、
そして、有名な著述家の随筆に「青春の大銀杏」があるが、
その銀杏は、この「薬王山 元興寺」の大銀杏である。



我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」の蘇鉄。

元興寺の木と言えば「銀杏」、そして「蘇鉄」である。
太いもので東主幹1m24㎝。
寺の前の道は、「万葉の道を訪ねて」のハイキング・コース。
案内のボランティアは、必ず「蘇鉄」と「銀杏」を紹介する。
蛇足だが我が家の「多羅葉」の木も!!



我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」の大師像と三鈷の松。

本尊は、薬師如来である。「かつらぎ八薬師霊場めぐり」では第四番、
「伊都地方四国八十八ケ所遍路」では第七十八番だ。
本堂の前には、お大師様の像。
そして、高野山のそれと親子の
「三鈷の松(さんこのまつ/3枚葉を付けた葉もできる)」も!!



我が家から西へ30mの「薬王山 元興寺」の森。

境内の西には、亡伯父の揮毫の「忠魂碑」と「第二次世界大戦戦死者の墓石群」。
今は桜と樟等の森となっているが、忠魂碑の手前は、
僕たちが子どもの頃は広場で格好の遊び場だった。
ソフトボールの練習もした。
少子高齢化の今は、もう子どもの姿は無い!!





『ジニア・プロフュージョン』。

ジニアは、百日草のことだが、
僕の子どもの頃には寄せ植え用なんて無かった。
『ジニア・プロフュージョン』は、「ヒャクニチソウ」と「ホソバヒャクニチソウ」を
交配して作られた園芸品種らしい。
豊富な花色と、耐病性と矮性(大きくならない性質)が特徴で、
年々、人気が高まっているそうだ。

我が家でも、プランターの寄せ植えにしたが、
色とりどりに6月から、ずっと咲いている!!

コメント (7)
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