ただ今、「奇跡のジュリー展」の途中ですが、
J友様から ツイッター情報をいただきました。
今日の秋田県民会館でしょうか。
@Y124T625J: 会場から乗ったタクシーの運転手さん、
三年前にジュリーとサリーを乗せたって。サリーがご機嫌だったそう。
前に ここでお知らせした、BSプレミアム「シリーズ東京」
http://www.nhk.or.jp/hakken/tokyo/program/141022.html
シリーズ東京第3回 「街はこうして輝いた ~六本木・川添梶子~」
今日は、キャンティのマダム川添梶子さんでした。
セクシー・・というより、いかにもコケットリーで 少女のようなマダムの写真。
実際、いたずらっぽいポーズがお好みだったそうです。
タイガースの映像が少しくらいは流れるかも、という期待でみましたが
番組の初めは、キャンティのある六本木、飯倉辺りをルポ。
今も残る、欧風のアパートメントや、閉鎖した外国人用の
診療所など、その歴史も建物も美しく、日本ではないような魅力に溢れていて
それだけで、私はもう十分に興奮してしまい、瞳孔が開きっぱなし!
ああ~あの建物が見たい どうか、この先も大事に保存されますように!
と深く心から願ってしまいました。
六本木の街の移り変わりや、記憶に残る歴史などを
その街で暮らしてきた人の、今も記憶に鮮やかな証言などで辿る。
キャンティの物語が語られる前から、すでに番組にドップリ
「奇跡のジュリー展の④」を書くのは頭から飛んだ
とりあえず後回しねm(_ _)m
この物語の主人公、マダムタンタンの魅力的なことと言ったら・・
生まれも育ちも、シモジモの一般人とは かけ離れた美しい人です。
多くの文化人が、惹きつけられるように キャンティに集うはず。
美しいものを見極める独特の審美眼、自身の持つ多彩で豊かな才能が、
その美しさを、さらに魅力的なものにしている。
夫が、明治の元勲後藤象二郎の孫、という経歴も凄いが
自身も神戸生まれで、父は三井物産のロンドン支店長。(だったと思う)
戦後まもない日本の混乱期にも関わらず、
イタリアで彫刻家のエミリオグレコに師事。
数カ国語を話す堪能な語学力、マダムの華やかな経歴は瞠目に値した。
庶民の私からは、あまりにも遠過ぎる場所の人だが
マダムの持つ華やかな魅力と吸引力はよく理解できる。
タイガースに関しては、動かない白黒画像と「モナリザの微笑」が流れました。
マダムデザインの、タイガースの衣装は、中世の王子様のイメージ。
あの、印象的な首から下げた鎖は、道路を遮断する時に使う物だったとは・・
パンツが白いスキーズボンで、ファッションを正式に学んだわけではないが、その自由な発想力が素晴らしい✨
と、いくらでもここで延々と、キャンティ物語を語ってしまいそうになって
この辺にしておきます。(奇跡のジュリー展の続きを書かないとね)
世界的に有名な著名人が集まるキャンティは、プライドが高そうなインテリ?
ピーにトッポが、いかにも影響を受けそうなお店です。
そこでジュリーはおとなしく、バジリコ・スパゲティを食べたと。
J友さんから、安井かずみさんがジュリーの「25周年」のTV放送で
「キャンティに来ていた人は、みんながジュリーに注目していたわよ」と
言っていましたね、とのメールがきました。
タイガースのアルバム「ヒューマンルネッサンス」でトッポのボーカルの
「730日めの朝」という曲があるけど、トッポの高音とサリーの低音が
からみ合う、詞も曲も面白い曲です。
この歌詞が
「タンタンタンタン 白い光 白い光さ♪」
このタンタンは、もちろんマダムのことだとJ友さんが言っていたので
ええ~?と驚いたのですが、今は多分、そうなのかもしれないと思います。
下は、マダムとトッポの映像
タンタンは、なんと46歳の若さで突然 心臓麻痺で亡くなってしまいました。
下の画像はJ友様からです。あの鎖を下げた衣装
下のパンツが白いスキーズボンじゃないですが、トッポとサリー
※鎖は、道路を遮断する時に使う物だった
ジュリーがつければ、いっぺんにグレードがアップします!