(3/17) 被害が出ているようですが、見守るしか出来ません。
オフィシャルにアクセスできないと、J友さんより。
ほんとですね、朝の8時前。アクセスできません。
停電のせいかしらん💦
心配がいっぱいだけど仕事に行ってきます。
(3/16 ) 東北地方でかなりの地震のようで、また!と
驚いています。
東北のJ友様大丈夫ですか?
関東地方の皆様も大丈夫ですか!
なんでこう何度も・・
どうぞ、ご無事をお祈りしています。
(3/17) 被害が出ているようですが、見守るしか出来ません。
オフィシャルにアクセスできないと、J友さんより。
ほんとですね、朝の8時前。アクセスできません。
停電のせいかしらん💦
心配がいっぱいだけど仕事に行ってきます。
(3/16 ) 東北地方でかなりの地震のようで、また!と
驚いています。
東北のJ友様大丈夫ですか?
関東地方の皆様も大丈夫ですか!
なんでこう何度も・・
どうぞ、ご無事をお祈りしています。
先週はお休みだった「ジュリーにチェックイン!」が帰ってきました(^-^)
パーソナリティは田名部真理さん。
ジュリーにチェックイン!(3月15日)
火曜日歌謡曲では、沢田研二さんの曲を
毎週、お届けしてまいります(^^♪
今日も沢山のメッセージを頂いてます。
有難うございます。
こちらメッセージ
『いつも楽しく拝聴させて頂いておりますよ。
真理さんこの度、日本レコード大賞歴代大賞曲
人気ランキングトップテン、暫定1位
沢田研二さんの「勝手にしやがれ」だ
そうですね~。わ~い!
当然、1位になるでしょう』
ということでね、頂いています。
さすがチェックして頂いて、有難うございます。
じゃあ、リクエストおかけしましょう!
といきたいところですが、お調べしたところ
これもう2月にかけているんですよ、残念。
でもこの情報はやっぱりこの番組でも
お知らせしたいということで、採用させて
頂きました。チェック、有難うございます!
そんな中、じゃあ一曲目、何をおかけしようかと
いうときに、こちら埼玉県から頂いています、
有難うございます。
最近、ザ・タイガース時代の英語の歌とか話題に
なっていた、このコーナーなんですけれど
メッセージ
『2週間前に英語の歌がかかっていたので
私も英語の歌、リクエストしたいと思います。』
ということで、リクエスト頂きました
こちら沢田研二さんの20枚目のシングル
昭和52年の発売になります。
沢田研二さんで「メモリーズ」
ジュリーの豊かな声がより印象に残る曲
こちら「勝手にしやがれ」と同じころに
リリースされて、西ドイツで先行発売も
されていたそうなんですね。
沢田研二さんで、メモリーズお届けしました。
(続きます)
「日本レコード大賞」歴代大賞受賞曲で好きな曲は?【人気投票実施中】
現在、2位に倍以上の差を差をつけてブッチギリの1位です(^-^) 2位と3位、曲名を聞いたこともないわ。
投票締め切りは、明日3月17日です。一度きりしか投票できません。まだの方はお早くどうぞ~!!
1977年に発売した「MEMORIES」のレコードジャケットは、私のとても好きなジュリーです。
海外で発売されるせいか、陰影の濃いジュリーの画像が、いつものジュリーよりもかなりエキゾチックに写っています。いかにも外国人に受けそうな画像を選んでいるのではないかと、1977年当時の私はそう思いました。今でも、多くのレコジャケの中で一番好き
肝心の「MEMORIES」に関しては、はて どんな曲やったかな??という程度で、サビのメモリーズ♪メモリーズ♪で、ようやく思い出しました。正直に言って、海外で売れるようには思えませんでしたけど(^^;
ジュリーが海外でレコードを発売していたのは、1975年~1978年までですが、欧州、北米、オーストラリア、北欧、インドネシア、香港等、まさに本気の世界進出だったようです。マジに全世界やないの!!そこまで世界各地で発売していたとは思って無かった・・というのが私の本音です(^^;
1978年の「Rock’n’Roll Child/「You’re My Life」が最後になったようです。ジュリーが海外でレコードを発売をやめたのは『本気でやるなら、日本にいてはダメだと言われたけど、僕にとって日本で売るのが第一だから。』と話していたのを覚えています。1978年は大賞を受賞した翌年、ジュリーにとってまず日本、と言う選択は無理からぬことで正しい選択だったと思います。
(夜のヒットスタジオ、1976年)
13日の日曜日、兵庫県の加東市で「キネマの神様」を見てきました。市内に映画館は無く、市民に安く良質な映画をという、企画でしょうか。会員なら500円で私達は800円。でも安い。
加東市は兵庫県中部のローカルな小さな町です。私自身、加東市には桜を見に来たことがあるくらいで、どういう所か全く知識なし(^^;
JR加古川駅から、車で約1時間くらいだったかな。会場の地域交流センターは、なかなかシャレた赤タイルの外装
あの東大王の井沢さんや、立川志らくさんなど、有名人も講演に来るのね。
本日「キネマの神様」、私にとっては4回目。DVD買ってるけどね。やっぱり大きなスクリーンで見たい(^-^)
朝10時半の回で、入りは6割くらいかしら。やはり、観客は中高年が多し。
始まったら、映画に字幕が入っていて、え!と思った。
最初はスクリーンに文字が邪魔じゃないの?と思ったんだけど、細かく誰が喋っているとか、電車の音が聞こえるなど、慣れればけっこうわかりやすい。
何よりも、映画を3度も見たのにも関わらず、全く聴き落としてた外から聞こえる音とか音楽とか、小さくて聞き取りにくい台詞が全部文字になって読める。映画が伝えたい、登場人物の細やかなやりとりや機微が、改めて心の中に入ってきた。ここでは、こんなことを伝えたかったのかと。
もちろん私の目当てはジュリー。一緒に行ったJ友さんは菅田さんの時、眠くなったと正直な感想でしたが、私は反対に字幕のせいか、淑子とゴウちゃんの不器用な二人の台詞のやりとりが、今回心に沁みました。若くて、だからこそお互いに周りが見えていなくて。まさに大船調のメロドラマかもしれない、でも心を通わす二人がいじらしくて、未来に向かう姿が可愛らしかった。
その若い二人はすっかり歳をとって、夢も希望も無くして、キャストがジュリーと宮本信子さんに変わる。ライブではあれだけカッコイイのに、ジュリーはスッカリ老いた風采のあがらないお年寄りの78歳。風呂上がりのパジャマ姿のゴウが、機嫌よく母さんビール!二人のやりとりを見ていたら、ジュリーの実際の家でのお姿もこんなんじゃないのかと、思ってしまった。
借金まみれのほんとに困った、縁を切りたくなる親父なのに、ジュリーが演じたら憎めないのよね~!映画を初めて見た最初は、どうしても志村さんの影がチラついたけど、このダメ親父は今はジュリーの為の役だったと、そう信じている。
号泣などはしないけど、やっぱり最後の方で何度も、家族の温かいやり取りに涙が滲んでしまう。ラストで映画女優の園子が、ゴウちゃん行こう、とスクリーンから誘いに来る。老いたゴウから若いゴウが抜け出るシーンは、志村さんよりもジュリーの方が、より自然であったろうと思える。最後の沢田研二のクレジットに、また何度目かの感動をして涙を拭いて終わりました。
私は気がつかなかったんだけど、J友さんによると、ジュリーのゴウが登場したら、周囲の観客がザワついていたそうです。みなさん、多分 ジュリーを見るのは数十年ぶりの方ばかりなんでは。いや、ドタキャンの時にワイドショーで観たかしらん(^^; あの時の姿ともかなり違いましたね。
兵庫県は、たつの市の赤とんぼ文化ホールでも上映されます。ここは、10年ほど前に2年連続でジュリーも公演したんだけど。もうないのかな。
会館の今後の予定に、おお~!!
土井先生じゃありませんか~!!
会館の友の会に入れば半額の1000円。入会しました。今から楽しみです~(^^♪ ちょうど、映画の公開時期くらいになるかしらね! 土井先生の上の徳永ゆうきさんは、朝ドラ「カムカム」に出てます。
加古川市では、来週の3月22日に講演があります。土井先生、きっと全国で講演されていて、お忙しいのですね。
帰り道、私が前から行きたかった第二次大戦の戦績である加西市の鶉野飛行場跡にJ友さんが、寄って下さいました。
ここでは戦時中に紫電改のパイロットの訓練が行われていたそうです。若い隊員たちが訓練をして、飛び立っていったのでしょうか・・ 現在、紫電改の模型が置いてあり、私も操縦かんを握らせてもらいましたが、操作室の想像以上の狭さに驚きました。
2度と戦闘機に乗って、誰もが戦いに出ることなど有りませんように。
鶉野飛行場跡(姫路海軍航空隊鶉野飛行場、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡)は、第二次世界大戦の戦局が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和17年に着工し、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。
只今、「キネマの神様」について編集中なんですが、こちらをお先に
「土を喰らう十二ヵ月」に出演の滝川鯉八さん⇒
【鯉八の映画でもみるか。】『土を喰らう十二ヵ月』でも見るか
ジュリーについての箇所のみアップ
行くのかな??
twittesで知ったときは、1位と3位でした。
【ムビコレ MOVIE COLLECTION】
1位、沢田研二という名優、妖艶なスターで在りながら自然に物語を生きる才能
4位、沢田研二、里山暮らしも13年前に亡くした妻の遺骨を納められず…
今はウクライナの映画が上にきました。
人気記事ランキング
J友さんから教えて頂きました。2017年の記事
「話題の画像」
J友さんより画像を送っていただきました
承太郎さんは、凄いマッチョな男性でした(^^; ⇒嘘だろ承太郎!?「灰とダイヤモンド」のジュリーがまんま3部のジョジョのコスプレ!
(記事)「ジュリー」こと沢田研二さんといえば、元「ザ・タイガース」で有名な1960年代後半に活躍した歌手です。グループ解散後はソロで活動し、今のビジュアル系バンドの走りとも言えるスタイルを確立、中性風なルックスと奇抜な衣装で当時の女性に大人気でした。そんな彼の衣装がとあるキャラにそっくりだと話題になっています。
紺色の帽子とジャケットに紫のマフラー、所々にアクセサリーが散りばめられてどう見ても『ジョジョの奇妙な冒険』第3部の主人公空条承太郎ですね。知らない人が見たら確実にコスプレだと信じるでしょう。ただこの曲が発表されたのが1985年でジョジョ3部開始が1989年だということを考えると荒木先生がジュリーからインスピレーションを受けたのは間違いないでしょうね。先生の作品は洋楽からファッション雑誌から元ネタがあるので有名です。
私たち若い世代ではジュリーと聞いたら「TOKIO」を歌っている人位のイメージしかなかったのですが、こんな格好をする人だったんですね。今見てもすごい格好だなって思うのですから当時からすれば相当奇抜なファッションだったに違いないでしょうね。
京都のJ友さんからお知らせです。
関西方面にお住いの皆さま、再再再度
4月22日.23日
「キネマの神様」いかがでしょうか?
けいはんなプラザって、どこ?と思ったら、近鉄が最寄りのようです。
一部が切れてしまいました(^^;
こちらで詳しく⇒けいはんな映画劇場
先日、歴史ウォーキングで大阪の豊中を歩きました。
そこで山田監督のお父さまが、90年前に設計したという
赤い三角屋根の生家の前を通りました。
この生家については、去年の7月の豊中の
「キネマ」先行上映会の時に、監督自身が話していました。
2歳までしか住んでいなかったそうですが
今も残っていることが素晴らしい✨
現在は別の方がお住まいだそうですが、
とても90年前に建てられた家には見えない。
お洒落で素敵なお住まいです。
山田監督の「小さなおうち」のモデルに
なっているそうですが、
その主演は松たかこさんでした。
「キネマの神様」はまだ続きます。
J友さんから教えて頂きました。⇒沢田研二という名優、妖艶なスターで在りながら自然に物語を生きる才能
『“いい男”ジュリーの艶姿がお茶の間を魅了していたあの頃
1970年代から80年代にかけての日本を知る人ならば、沢田研二の活躍を誰もが鮮やかに記憶しているだろう。・・』
昨日は「キネマの神様」がノミネートされていたので「日本アカデミー賞」を見ました。もっとも、ノミネートされている映画の中で観たのは「キネマの神様」だけなんだけど・・(^^;
もう45回もやってるのね。「太陽を盗んだ男」の頃は、まだこの賞が始まって3回目のことだった。黒澤明監督が本場の米アカデミー賞を模した日本独自のこの賞が出来た時に、認めないと言ったのを忘れないけど、くれるものは貰えばいいよね。この賞には関係ないと毎年ほぼ無視しているのに、去年と一昨年は、出演者が見たくて少しだけ見ました。
キネマの神様のノミネートは、華やかに人気スターが揃った男優賞とか女優賞には縁が無し。
いっぱい各賞にノミネートはされていたようだけど。菅田さんや永野さんは別作品でノミネートです。「キネマ」の関係者の方々は、この場に来ていたの?
ようやく最優秀作品賞です。「キネマの神様」ノミネート
もう一人の主演のはずの菅田将暉さんは殆ど映らず、完全にジュリーが主演のようです。予想のとうり、最優秀はとれなかったんですけどね。ちなみに出席しない人に賞はくれません。
「太陽を盗んだ男」の時、ジュリーはノミネートされていたけど、コンサートで欠席。菅原文太さんが助演賞を貰って「ゴジやジュリーは賞を貰っているのに、自分だけ貰えていなかった」など受賞スピーチで話していました。
それはともかく、美しい人気女優たちの色とりどりのドレス姿や、ハンサムな人気男優たちが一堂に会するのは、日本芸能界のトップを走る人たちの縮図を見ているようで、とても華やか!特に誰のファンでもないのに、けっこうワクワクしました。出演映画を全然見てはいないのだけれど。
菅田将暉さんは1人だけ、カジュアルな服装で登場し、皆の意表を突いていました。お隣の役所広司さんは、ポケットチーフが青と黄色のウクライナカラーで、思わず見入りました。
笑ったのは小栗旬さんが、月9の菅田さんの恰好で登場した事。見た目がソックリに見えたけど、チャンネルが違っているけど、いいのかな? 二人はNHK「鎌倉殿の13人」で共演中です。
最優秀賞はやっぱり本場のアカデミー賞にノミネートされている「ドライブマイカー」でした。他の主要賞は誰がとったかな~? さっぱり覚えてないわ~(^^;
⇒【日本アカデミー賞受賞一覧】「ドライブ・マイ・カー」作品賞、監督賞、主演男優賞など最多8冠
新人女優賞にノミネートされていた、三浦透子さんは「カムカム」ではひなたの友人役で、皆がヒラヒラした華やかなロングドレス姿の中で、一人だけ黒いカチっとしたパンツスーツで、かえって目立っていました。この方の個性にはドレスよりも、パンツ姿の方がお似合いでした。
なんと、彼女は二代目なっちゃんだったんですってね、あの可愛いお子様が!と、ビックリです。
11年目の3.11。
ジュリーのオフィシャル画像が変更されていました。
まだ花をつけていない忘れな草のポット苗が
一昨日、園芸店で売られていて、
ジュリーの気持ちを思っていたところです。
3.11から11年目、まだ悲しみも
原発の記憶も癒えないのに
ウクライナの原発が攻撃されたという
ニュースに恐怖を感じています。
なんとか早期の平和的な解決は
できないものかと願うばかりです。
J友さんから見せて頂きました。「阿久悠と松本隆」中川右介著
中古本だそうですが、なかなか面白く読みました。阿久悠と松本隆が作詞家として輝いていた、あの時代のジュリーや人気歌手たちを、私はリアルタイムでお茶の間で見ていたんですから。
かって、歌は世に連れ 世は歌に連れ・・と言われていた、日本人全員が知り、誰もが歌い聴いていた歌謡曲。時代と共に歩み、その時代を彩るものであった歌謡曲が、お茶の間の中心にいなくなって久しい。曲は個々人のものとなり、21世紀になると、誰もが知るヒット曲というものが無くなりました。
本は題名のとうり、時代を造った二人の人気作詞家を取り上げ、売上枚数を比較することにより、二人の作詞以外の、あの当時売れていた歌謡曲も一緒に語り尽くすという作品です。
阿久悠さんといえばジュリー。なので、本にはジュリーとの関係が始まった1975年から、二人の関係が終わるまでが、一年間ごとに出した曲と、その売り上げ枚数も書いてあります。
年間で売れた阿久、松本の作品と、その他ヒットした多数の曲との売上枚数の比較から、その時代を読み解いていくので、歌手本人についての作者の主観はほぼ排されています。例えジュリーであっても、歌が上手いとかキレイだとかは別問題、問題なのはあくまで曲の売上枚数です。阿久悠さんと松本隆さんの詞自体についての考察なども、深く掘り下げたり追及はしない、けれども詞の比較や時代の変化を読み解きます。
ジュリーのところを、ちょっとだけ
年間で、ジュリーだけではなく阿久悠さんが関わった歌手とその売り上げ枚数、松本隆さんのヒット曲と関わった歌手。その二人以外の年間のヒット曲の売り上げ枚数も描かれていて、そのヒット曲の殆どを自分がわかる、知っているという事実に我ながら驚くとともに、いや、それは当然だと思ったり。
70年代から80年代にかけてのあの頃、何が流行っていたのか、誰が売れていたのか、それを今でも覚えているので、本に書いてあることが いちいちそうだったと腑に落ちます。なのでスラスラと矢継ぎ早にページをめくることができました。ジュリーのファンじゃなくても、あの当時の日本人の多くが、お茶の間で歌謡曲を聴いていた時代です。
「スター誕生」という阿久悠最大の「作品」が作られた経緯と、それにまつわる芸能プロダクションやテレビ局の思惑、ナベプロ帝国の翳りなど、淡々とその事柄が語られる。決して一人の歌手に熱くならずに、その売り上げや事柄を正確に記す。淡々とクールな筆致にかえって信頼を覚えました。
ジュリー以外では、淳子に百恵、新御三家など、阿久悠、松本作品を歌っていない当時の人気アイドルたちが多数が取り上げられて、そんなこともあったなぁ、こんなアイドルいたな、世良さん原田真二さん・・と遠い眼で思い出しました。(世良さんはカムカムに出てましたね。)
不運な曲として1976年の「ウインクでさよなら」が取り上げられ、新幹線の事件のせいで謹慎し、TVで歌うことが出来ず、さしてヒットもしなかった・・の件には、今でも心臓がチクリと痛みます。私だって京都駅の改札で(比叡山の当日)「また来たのか」と国鉄職員に言われたくらいだから、当時の国鉄職員の意識の低さ、失礼さがよくわかるというもんです!腹立つわ~(-_-;)(殴ったらあかんけど💦)
1976年の「ウインクでさよなら」夜のヒットスタジオより
そしてピンクレディーが登場、彼女たちの「スター誕生」でのデビューまでの初めて語られる秘話、初めは全く周囲から期待されていなかったという裏話が面白かった。スタ誕、もちろん私も見てたわ!
ジュリーとピンクレディーは、78年のレコード大賞で激突しますが、その裏話がなんともはや・・💦 その年の紅白をボイコットした、ピンクレディーのその後の一気の凋落から解散には、もの悲しさを感じましたが、ボイコットの事など、とっくに私は忘れていました。そんなこともあったなぁ・・
1978年の暮れの紅白は、ジュリーが大トリ!紅組は百恵ちゃん! 裏番組のピンクレディーなんぞ、私は微塵も気にかけなかった。多くの日本人は裏番組のピンクレディーなど忘れ、ジュリーと百恵ちゃんの紅白を見たんだと思います。それは、この年の紅白の視聴率にも表れているはず。
賞というものに権威が無くなり、旨味が無くなったいま、芸能界の裏で蠢いていた利権やフィクサーたちは古いものとして、時代と共に消え去ったのだろうか?時代は変わったんだろうか?いやいや、旨味のあるものには誰しもが群がるもの・・そういうものは形を変えて無くなりはしないと思います。
阿久悠さんとジュリーの蜜月は1979年まで。長いジュリーの歌手人生の中で、たった4年間だったのかという感慨と、なんて濃密で華麗な時代だったんだろう。そのあまりの華々しさ、強烈な印象が、後のジュリーを縛る枷にもなったのかもしれない、と思うとちょっと切ない・・
しかし、曲の売り上げ枚数という物差しだけでは、歌手本人や時代を語れないのも事実。例えば阿久悠作品ではない「TOKIO」は、最高で売上8位だけど、今ではジュリーの代表作の1曲と言っていい。東京の曲と言えば「TOKIO」TV画面から、いまでも良く聴こえてくる。文中にも、枚数では売れた「LOVE抱きしめたい」より、ジュリーが歌わなければ売れなかったはず、ボギーなんて誰も知らない、と言われてしまった「カサブランカダンディ」の方が、曲としては後の印象に残ったと書かれています。
80年代からは松本隆さんが作詞家の代表にとって変わったと言えるけど、その後のページは流し読み('◇')ゞ 松本さんは現在関西にお住まいで、去年あたりからよく新聞で当時に関するインタビューを拝見します。結局、松本さんも懐古の時代の人なんだろな。今となれば。
いつ出た本なのかと奥付を見たら、2017年。割と最近の本でした。阿久悠さんが出した本は何冊か読んだけれども、売り上げ枚数で比較した本は他には無かったかも。作者の中川右介さんは、1960年産まれの作家・評論家で、60年産まれなら、ちゃんとその時代を知っているだろうから、本書に信頼がおけました。
昔からのジュリーファンなら、読めばとても懐かしさを覚えるだろうし、新しいファンの方なら、曲の売り上げ枚数と言う動かせない事実の前に語られるジュリーなので、当時のジュリーの人気のほどがおわかりになるはずです。そして、だんだんと売れなくなってゆく流れを、レコードの売り上げ枚数と言う、シビアに隠せない事実で感じることが出来るでしょう。
レコード大賞の裏話にも興味を惹かれると思いますので、新しいファンの方にもおすすめです。
ジュリー様と関りのある、マキノノゾミさんと、佐野元春さんが芸術選奨を受賞しました。と、J友さんより。今朝の新聞に載っていました。
国の文化庁がくれるんだから、権威があるんやろな。と思いながら、賞の内容がよくわからないというのが本音です。自治体からの賞は頂けても、上から貰うものは、ジュリーは貰えそうにもないと思うけど、マキノさん、佐野さん、おめでとうございます✨
J友さんのガーデンより
静岡の河津桜が満開と、TVで報じていたので、こちらの河津桜はどうか?と見に行ってきました。早い木はもう8分咲きくらい。週末か週末明けには満開になりそうです。
灘浜
住吉川沿いの公園
こちらの河津桜は満開で、花色もさらに濃いピンク色です。
暖かくなっているので、満開も早くなりそうです。
神社の紅梅
毎週楽しみにしている、ラジオ関西・Playlist of Harborlandの火曜日歌謡曲、田名部真理さんの「ジュリーにチェックイン!」の放送は昨日はお休みでした。神戸市民にお馴染みの、サンチカのサテライトスタジオが改装のため、閉鎖されることになり、特別番組の放送になりました。
「ジュリーにチェックイン!」は、読みやすいようにブログに新たにカテゴリーを作りました。カテゴリーの「ジュリーにチェックイン!ラジオ関西」をクリックしていただくと、今までにアップした記事が読めます。
チェックインが始まったのは、2020年の10月からですが、最初はジュリーの曲が流れるだけなら聞くまでも無いかと思っていました。曲だけではなく、色々ジュリーの近況なども取り上げられていると知ってから、真面目に聴き始めたのは12月頃からだったかな。
なので初めはブログにも、内容はごく簡単にアップしているだけで、毎週詳しくアップし始めたのは、2021年の春頃からです。というわけで完全ではありません。
久々に見直して見ると、ファンの気持ちの移り変わりも番組内のメッセージで反映されていて、1年ちょっとの間におきたジュリーとファンとの間の事も辿れました。新型コロナの影響はともかく、去年はツアーは再開されたし、数十年ぶりの主演映画は公開されたし、その都度「ジュリーにチェックイン!」では、ファンからの浮き立つようなメッセージが紹介されました。
その前年、2020年の12月の「ジュリーにチェックイン!」では「澤會が12月26日に解散するのです。澤会とはジュリーのファンクラブなのですが 公演事業部も同時に解散して、来年はライブは多分無いと思います(涙)」という、ファンからのメッセージが紹介されていました。
本当にあの当時は、澤會の解散はまさに青天の霹靂で💦、全く考えたこともなかったので、今後はどうなるのかと思いました。しかし澤會が解散したとしても、ジュリーはライブは続けるだろうという確信だけは私は持っていたので、ただ成り行きを見守るしか有りませんでした。
翌2021年の1月の「ジュリーにチェックイン!」では、辻本清美さんが国会で、時の御上(おかみ)に質問していたと書いていました。去年の秋に選挙があって、辻本さんは今はただの人。「御上」である首相も交代しています。前の首相の名前はなんやったかな?と、すぐに名前が出てこない始末 1年すぎただけで世の中はもうだいぶ変わりましたね~ 驚いてしまいますわ。
今は3月の新年度、ツアーの申し込みはいつ頃になるのかな?その前に、他に何かいいことないのかな?と、6月に74歳を迎えるアイドルに、今日もときめいています
J友さんから、プチジュリー情報をいただいてました
『5日土曜夜の「逃亡医F#8」ご覧になりました?「お前がパラダイス」と「いくつかの場面」が、オペの場面で流れました。』
何故にオペ場面で?ジュリーの曲が?と不思議に思っていたら、皆さん誰しもが何で?と思っておられたようで、8日の朝日新聞に質問が掲載されていました。
「はてなTV」
脚本の福原充則さんアルバム曲の「いくつかの場面」を選ぶなんて、ジュリーのファンじゃないんですか?