波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

高く手を振る闇

2012年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_2 やると言ったらたいていの人は信じる。楽しみにしている人もいるし、疑ってる人もいる。当然だ。立男は真剣でママヨさんは真剣に反対だ。
    まずスポット4個替えてみた。200Wが20Wになった。これは、ということで階段と廊下も替え、トイレはセンサーつきにした。初期投資は高いが光熱費は抜群に低くなる計算だ。10年は球替え無しで済むと言う。

                    

    なるほど、入ると即点灯。15Wだが新聞も読める。賢い買い物だと満足気に用をたしていたら…?…少しづつ照度が落ち暗闇に。静かにやってるとそうなる仕掛けなのだ。これでは便所でなく不便所だやたら手を振り回したら再点灯した。ママヨさんも闇の中でそうしていると笑いあった。年始めからおめでたい二人だ。LEDは夫婦仲も明るくする。

                   

 だが出た後(トイレをダヨ)すぐに消えない。居間に戻っても落ち着かない。トイレの明暗を首を伸ばして何回もうかがい結果的にスイッチを消しに戻る。短気な立男は自動消灯までの少しを待てない。だが、電球一つでこんなふうに手も足も首も運動させてくれるのは素晴らしい…はずはないから、今朝元に戻した。ママヨさん、しっかり脚立押さえていてヨ

「散歩の一歩」(黒井千次著:講談社)すべて身辺を素材に、エッセーでなく随筆集。20代に読んだ清冽な「春の道標」の情感に始まり、時々の出会いで誠実さに触れ、昨年の「高く手を振る日」に驚く。80歳の感性のみずみずしさに驚く。  ※この本のコメントを送信したら載った。この欄最初の絵文字(本)をクリックするとコメント読めます。

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【その43】 音

2012年01月19日 | 【保管】一寸凡師コラム
 

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  買ったもののなかなか天気に恵まれず、先延ばしになっていた「長男のスキーデビュー」。先日家の前でようやく実現。しかもナイター!(夕食後だったので…)「生まれて初めてスキーに挑戦する人」を間近で、しかもまじまじと観察する機会はとても新鮮。初めて体験する不安定Photo
な世界の上であえぐ長男、腕を支えられながら「スリッ、スリッ」と一歩一歩進む長男。微笑ましい光景。

    さて、12月からサボり気味だった「徒歩通勤」。(このネタ多いなぁ)正月に蓄えた「脂肪」と「怠け心」に喝を入れるため、再始動。久しぶりにゆっくりと見る街並みや夜景に上機嫌。足を滑らせ何度も転びそうになりながらも「ザッシュ、ザッシュ」と毎日楽しく歩いている。この「新鮮な気持ちやすがすがしさ、幸福感」を味わうために、あの「ぐーたらな正月」があったのだと思えば、「あまりあがらない足」や「息を止めないとズボンのフックがしまらなくなったお腹」も愛おしく見えてくる。

「スリッ、スリッ」に「ザッシュ、ザッシュ」。冬はいろんな音がする。

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「季節の足音」

2012年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 由紀さおり(63)歌う「1969」が世界30ヶ国で発売され、異例の大ヒットと今日の朝日朝刊社会面。「上を向いて歩こう」以来か。流行と無縁な波風家が珍しく手に入れ年始めから聴いている。40年以上前のラジオ放送「夜のバラード」(明治製菓提供 、夜10時40分)のテーマ曲が、 ♪ルールールルルーの「夜明けのスキャット」だった。当時高2の立男が「どんな女性が歌っているのだろう」と毎夜想像した歌手が40年経って「欧米が恋した昭和の情感」と評価されるのは何とも嬉しい。 
                                  

 パフ、マシュケナダ、夕月、真夜中のサンバ、いいじゃないの幸せならば…昭和だ、青春だ。「これは!」と聴き入ったのが、「季節の足音」だ。秋元康の作詞。四季を歌い、情景の「少年時代」(井上陽水)、哲学の「季節の足音」の感。しみじみしていてとても好きだ。この曲だけ最近のらしい。
     ♪ 穏やかに/時は過ぎ/今日も輝いて/1日が終わることを/感謝しています
     ♪ 季節の足音は/脈打つこの鼓動/人は/何度 春夏秋冬/巡るのでしょう
  平易な言葉で深い世界描く…AKB48を一度真面目に聴いてみるか…と思った(思っただけだけど)

「売れる由紀さおりさん」のこの記事の左側に「君が代の起立斉唱 大阪府教委が命令 全教職員1万3千人に」、「職務命令違反2回は減給 大阪府知事、条例案の修正方針」の記事。…最高裁判断からこういう手直しにすすむものなのか…。
判決を扱い、「…子どもたちに呼びかけたい。学校の先生はどういう人であってほしいのか。自ら考えてみよう。判決文は最高裁HPで入手できる。中高生なら読みこなせる」(1/18北海道新聞「卓上四季)とまとめた朝の一文、素敵だ。

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機会の平等

2012年01月14日 | 読書

 NYタイムズの「階級に縛られた米国 誰が『機会の平等』に真剣か」(朝日新聞1/12転載)に立ち止まった。オバマ大統領の対立候補者の主張を、低所得の妊婦や子どもの支援、公立学校の質の改善、先進国導入済みの国民皆保険制度の支持、をせず「人生の地位は両親の地位によっておおむね決まる社会…大金持ちの子どもが財産を無税で相続できるような社会」を望んでいるようだと断じる、ノーベル経済学賞受賞の経済学者のコラム。
    米国人の多くが実力主義の社会に生きているという自己イメージを持っているように見えるがそれは幻想、米教育省の長期Photo 調査からは「賢くとも貧しい子どもは、愚かでも金持ちの子どもより学位を取りにくい」国だと結論。

   話変わるが、新年早々の風呂付新年会3人組は、1970年大学入学の同期生。画像からも「昭和」が香る(笑)早口急(画像左)が「今の時代なら俺は大学に行けなかった。学費月千円、寮費もほとんどただ同然だった」は立男も同じだ。アルバイトと奨学金で何とかしのげた。
    「競争条件」は昔の方が平等だったかもしれない。選ばなければ大学全入の今の方が、学費・生活費は大変かもしれない。昔は就職全入時代だった。汚い風体でも許された時代だ。「経済的な理由で大学に行けない子どもに金を出してやりたいぐらいだ」という早口の話、共感できる…そんな金の無いことが悔しいだけだ。「教育」は、生きるための条件の平等、平等の条件をつくる条件だ。38年間、その筋の業界で働き「6083」(60歳万歳)に到達した実感だ  \(^っ^)/

  退職後の「押しかけ的、無料家庭教師」構想もそんなところから。♪ ピンポーン、(ドアが開き子どもが顔を出す)「おじさんだれ?」、「おじさんか、君に勉強をおしえて欲しいとお母さんから頼まれたのだ。入らしてもらうよ。お茶はいらんよ、出前の教室だから」、「ちょっ、ちょっと待ってくれよ叔父さん」…書いているだけで、何だか…興奮するな(笑)………………………………………………………………………………………………………………………………………………

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芸術新潮12月号(没後1周年特集 高峰秀子の旅と本棚:新潮社)
「食うように読む」高峰秀子をコンパクトに活写。「書店というものはバカが入っちゃいけないと思っていた」と12歳の頃。結婚後に辞書の引き方を教えた夫の松山善三へ「辞書は私みたいなバカがさわっちゃいけないと思っていた」の言葉。小学校に2ヶ月しか通っていない高峰。「どんな教育をすれば高峰さんのような人間ができるんだろう」(司馬遼太郎)をあらためて実感。本物を学び知り生きる人間のありように感嘆。昨年の今頃、自伝的エッセー「私の渡世日記」の感想を本ブログでUPした。子どもタレントへの警鐘を思い出す。

Photo_4  「アライバル」ショ-ン・タン:河出書房新社。

文字が一切無くセピア色のイラストが語る究極の絵本。「我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか」(ゴーギャン)の題が浮かんだ。人生の区切りで人生観、死生観、世界観を思ってもみないところに招かれて示されたような感覚。年末にいただいた本だが強く印象に残る一冊。細密な画風、不思議な動物で「ク-の世界」(小田ひで次)を何となく思い出し読み直した。

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【その42】 「バフライ!」

2012年01月12日 | 【保管】一寸凡師コラム

Photo2   早いもので年が明けてから10日あまり。カレンダーを見ながら「あ~、大晦日や年明けは楽しかったなぁ…」と少し淋しい気持ちに。来年のお正月が待ち遠しい。

   さて、ウインタースポーツと言えば「スキー」(と答えてしまう世代)。長男坊もそろそろスキーデビューということで、地元のスポーツ店をプラプラ。一揃えするとそこそこの値段に「なんやかんやとお金のかかる世代」に突入したかと、「息子の成長」と「財布の中身」に目を細めた。

   凡師が小学生の頃、スキー授業は「距離(ノルディック?)」と「回転(アルペン?)」から選ぶことができた。もちろん呼び名は「距離のスキー」と「回転のスキー」。不必要な横文字は存在しなかった時代なのだ。凡師家では「スキーと言えばノルディック!」というのがあって(スキー自体あまり好きではない)、スキーを買いにいっても、ノルディック用の「細いスキー」ばかり見ていた。アルペン用のスキー板Photo
を見ても「なんだこの太い板は。滑りにくそうだな」ぐらいにしか思っていなかった。学校のグラウンドに作ら
れた「コース」(みんなで滑ってるうちに整地されていくコース。まさに真冬の獣道。)このコースからはみ出ないように「ザッシュ、ザッシュ」とスキーを漕いでいくのだ。ものすごく長いストック、かかとがパカパカ浮く金具、槍のように細く長いスキー板、お尻や膝が染みてるアノラック。そして、「バフライ!バフライ!」の声とともに後ろから突進してくる上級生・・・。下手くそな凡師はスキーを履くより走った方が速かったかもしれない。わざわざ歩きにくいものや重い物を身にまとい、手を抜けば後ろから追い抜かれる…。田舎の小さな学校の校庭は、まるで人生の縮図のようだった。

 息子のスキーデビューと時を同じくして、凡師の「距離のスキー」復活なるか。
 
 せめて「バフライ」の意味ぐらい調べてみよう。

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