波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

実り3

2014年09月12日 | 図工・調理

Photo_3 小さいスケッチブックで始めたものだから、上と下に紙を貼り足して描いた。23㌢100㌘の…南蛮?しし唐?と首ひねっていたら手紙が入ってた。いわく、「長い長いピーマンはノルウエーで食後の種を持ち帰り今春植えてみましたら現地のものよりも長くなりおどろいております」と書いてある。つくづく思う。世界は広い、人間の知恵と好奇心は素敵、面白いなあ。



 

 面白いものが次々と目の前に来る秋。顔を知っている人の丹精した実りが、「こういのを描けるのか、お前は」と主張、いや命令する。偉そうというより本当に偉いのだ。圧倒的な存在感で鎮座している野菜様たちだ。描けなければ食べるな、神々しい雰囲気醸す。描く前から立男は負けている。落葉きのこをPhoto_7 描かずに食べてしまったのをずうっと反省し続ける。そんなこんなで、ピーマンを明快・シンプルな波風的な画風も忘れて、学校へ行く直前までひたすら描く。長ネギも描く。こっちも紙の長さが全然足りない。途中でママヨさんが大きなスケッチブックを持ってきてくれたがもう遅い。気分は大工仕事の時と同じだ。ひたすら手を動かす。いつものように、「俺はこういう絵を見たかった」と思った瞬間が終了の時、全力疾走で書き続ける。息はする。時々、絶命しない程度に息を詰める。


 

 この頃、「数十年に一度」の天候異変続く。昨日、道内豪雨で88万人避難勧告の特別警報。広島や礼文の大変さが広がっている。以前、立男が今住んでいる凸凹原野を平した住宅地を大雨が直撃して完成直前の住宅の前の道を一晩で流し去ったことがあった。大勢が見物に出かけ近くの教員住宅に住んでいた立男もそこにいた。包丁で豆腐をスパッと切ったような土砂崩れに唖然とした。忘れた頃に自然の驚異を人間は知ると聞いていたが、忘れる暇なんかない内にこれでもかと怖さを焼き付ける。秋の夜、長い長いピーマンと茄子の王様をさすりながらテレビの警戒情報に見入る。今日から学校が始まったママヨさんは新書でチェルノブィリを読んでいた。
 

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実り2

2014年09月11日 | 図工・調理

Photo 瑞々しいのも良いが水気無くなったのも味わい深い。左の画像、干し山葡萄。青とも黒とも言える色味、実が縮んPhoto_2 で見えてきた枝振りというか茎の様子。人もこんな風に素敵に枯れていくなら面白い。淡々としながら残すべきものは残して老いていく静かさ。


 右画像、干し桜桃。6月の頃はあんなに鮮やかな赤だったのがこんなに凝縮して「いったい元はどんなだったかな?」と思い出させる存在に。しゃぶると微かな甘み。間違いなく静かに生きている。上手に朽ちていく途中だ。昨日と今日のイラスト、興に任せて一度に描いた。茄子も山葡萄も「描け、今のうちだ」と言っているようだった。

 

今日から後期の授業開始。昨日、学生たちの意見を聞きながら「若いな」と思った。その分、立男は自分の歳を感じていた。「干し上がった波風立男」になるには道は遠い 王様の茄子育てた方が不在時に傘を届けてくれた。長ネギと23㎝100㌘もある不思議なピーマンも。この場を借りてお礼申し上げます。今朝、食べます。

 

 

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実り1

2014年09月10日 | 図工・調理

Photo  茄子の大様。堂々としていて、色つや立派で輝いている。内側からエネルギー充実し皮の張りと拮抗している。この野菜の生物学的資質により軽いが威厳に満ちている。人間学的に軽い立男もいつかは…。いいただいた家来みたいな少し小ぶりのを食べたが…旨かった。王様は絵に残しておくべきで描いてみた。人にも伝えたいので絵はがきに。はがき2枚分、上下の〈その1〉と〈その2〉の2枚組に。王様をいただいた時、嬉しくて傘を忘れた。ザルに鎮座したのを「傘忘れの王様茄子」と名付けた。



 中学の恩師が育てたPhoto_3 ニンニク。年々大きくして青森産に負けないみごとな姿かたちに育てた一品。素揚げに塩で食べさせていたがこれが何とも…。芽というか茎を伸ばした子どもの身長ぐらい長いのを沢山のニンニクとともにいただいたが嬉しくてその面白いのを忘れてきた。種と肥料と育て方レシピもいただいたのでさっそく仕込みだ。

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今週の教訓、嬉しいときには落とし穴がある。さて、山葡萄と桜桃の干したのもいただきこれも楽しんで描いた。それにしても、この茄子はすごい。

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秋の実り

2014年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 土日に旭川へ。お盆に行けなかった遅い墓参りで栗拾う。蝉の声聞くいつもの林が、晩夏には静かな実りがあった。大きな十字架と祭壇を中央に配し、規格統一された小さな石の墓標が地面からわずかしか高さを持たずに整然と並ぶカトリックの墓地はいつ訪れても清い空気が流れている。そこに、イガ栗がポツンポツンと配されている。雨後の高い青空に白い雲が浮かんでいた。

 恩師から自家製のにんにく、サクランボのジャム、干した山葡萄いただく。帰りに「道の駅」で南瓜求めたら無農薬トウキビくれた。行く前日、勇知の方に見事な茄子と胡瓜とミニトマトいただき、嬉しくて傘忘れる。旭川から帰って来たら玄関に大きなナメコみたいな落葉キノコが置いてあった。家ではインゲンが実り、枝豆の膨らみは遅い。

 描き残したい実りが集まってきたと思ったら、後期の学校が今日から始まる。

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Photo_3 時間やりくりして旭川美術館に。名だたる作家たちの展覧会、中~後期老人がかくも豊穣な表現を!ママヨさんが熱心に見入っていた どうしても見たかった「旭川家具の日フェア」に。木彫みたいなフロアスタンド求める。絵からも、家具からも、素通りできない何かが…。

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【その179】意味

2014年09月07日 | 【保管】一寸凡師コラム
Photo_3 秋は心と体の調子を崩しやすいと荒馬さんから聞いたが、42歳の凡師も現在「口内炎」と闘っている。喋っても食べても痛みが走る口内炎。凡師と荒馬さんが最近気に入っている言葉「Everything Happens for a Reason(全てのことには意味がある)」に当てはめて考えると、「喋りすぎるな、食べ過ぎるな」と凡師を戒めているのだろうか。何事もやりすぎは禁物。気をつけたい。
 さて、昨日参加した講演会。講師の先生は臨床心理士で「心」に関するお話。心の調子を崩しやすいこの季節。参加した講演会が「心」に関すること。これにも意味があるのだろうか? こちらも気をつけたい。
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