小さいスケッチブックで始めたものだから、上と下に紙を貼り足して描いた。23㌢100㌘の…南蛮?しし唐?と首ひねっていたら手紙が入ってた。いわく、「長い長いピーマンはノルウエーで食後の種を持ち帰り今春植えてみましたら現地のものよりも長くなりおどろいております」と書いてある。つくづく思う。世界は広い、人間の知恵と好奇心は素敵、面白いなあ。
面白いものが次々と目の前に来る秋。顔を知っている人の丹精した実りが、「こういのを描けるのか、お前は」と主張、いや命令する。偉そうというより本当に偉いのだ。圧倒的な存在感で鎮座している野菜様たちだ。描けなければ食べるな、神々しい雰囲気醸す。描く前から立男は負けている。落葉きのこを 描かずに食べてしまったのをずうっと反省し続ける。そんなこんなで、ピーマンを明快・シンプルな波風的な画風も忘れて、学校へ行く直前までひたすら描く。長ネギも描く。こっちも紙の長さが全然足りない。途中でママヨさんが大きなスケッチブックを持ってきてくれたがもう遅い。気分は大工仕事の時と同じだ。ひたすら手を動かす。いつものように、「俺はこういう絵を見たかった」と思った瞬間が終了の時、全力疾走で書き続ける。息はする。時々、絶命しない程度に息を詰める。
この頃、「数十年に一度」の天候異変続く。昨日、道内豪雨で88万人避難勧告の特別警報。広島や礼文の大変さが広がっている。以前、立男が今住んでいる凸凹原野を平した住宅地を大雨が直撃して完成直前の住宅の前の道を一晩で流し去ったことがあった。大勢が見物に出かけ近くの教員住宅に住んでいた立男もそこにいた。包丁で豆腐をスパッと切ったような土砂崩れに唖然とした。忘れた頃に自然の驚異を人間は知ると聞いていたが、忘れる暇なんかない内にこれでもかと怖さを焼き付ける。秋の夜、長い長いピーマンと茄子の王様をさすりながらテレビの警戒情報に見入る。今日から学校が始まったママヨさんは新書でチェルノブィリを読んでいた。