2つのコラム
8/4の朝日(「私の視点」)に、国会議員は(安保関連法案で)、専門家(弁護士会等)の意見を謙虚に聞き、世論に耳を傾け、意見の異なる議員間で熟議尽くせと弁護士さん。「目の前に大事なことがあっても、ヒントを与えられても、空気を読みうまく立ち回ろうとする濁った目には何も映らない」と朝日新聞(8/6「ザ・コラム」/原発と私 見えているのに観ていない)に。前者は法律の専門家、後者は新聞編集の専門家。一仕事前、立ち止まってしまった。
授業の準備
教育の動向について近く授業する。相手は夏休みぐらいゆっくりさせてくれよ、の先生たち。自費参加である。普通に考えて、立男が「教えてあげる」「わかったか」はあり得ない。何言ってるのかわからなかったり、話が退屈なら「金返してくれ」が常識だ。立男が受講者なら間違いなく叫ぶ。空気考え心の大声で。バカヤロ----。
この頃、知識人は与えられた問いに対し先生の意向に沿った答案を書こうとする、教員もこの知識人共通の性格から自由ではないという故鶴見俊輔氏の言葉が頭から離れない。やらなくちゃならない授業準備、だが、この言葉が重くのしかかって腰がどうにも上がらなかった。加えて前述のコラム。教育の専門家にどんな話を偉そうにしようと言うのかね君は、という声がどこかから聞こえてきてしょうがない。(次回に続く)
久しぶりに旧友と。70年代、学生が元気良かった時代からの仲、銭湯→居酒屋→バーという通常パターンで気勢あげる 居酒屋の支払いの段で財布がない。最後を思い出すと銭湯の電動マッサージ機100円也。カウンターに届けられていて「家の方に電話したんですよ」と一言。親切なロシアの方に感謝。出かける前、「買ったばっかりのでなく前の財布にしたら」と言っていたママヨさん。恐る恐る家に帰ると静かに笑ってた。そうだよな、馬鹿を馬鹿と言っても仕方ないよなあ…。