波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

文章の心得(下)

2015年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

【※10月2日「文章の心得(上)」から続く。】
 図書館から帰る道々、「人は人、自分は自分」だと思った。立男がめざす文章は、第1に誠実さ、第2に明確さ、第3にわかりやすさだ。加えて、第4に面白さだ。このうち最初の3つは「文書心得帳」(鶴見俊輔著:ちくま学芸文庫)の受け売りだ。原稿を送る前にこの本を再読しておけばよかった。    鶴見さんは繰り返し繰り返し、「余計なことは言わない」、「紋切り型の文章を突き崩す」ことを教える。文章の技法というより、人間のあるべき姿を言っている気がする。前者はそのままで、後者は「安易に多数に寄らず、自分の言葉で」という感じだ。「重大な問題を抱えてあがいているというか、そのあがきを伝えているのが、いい文章ではないか」の教えは、痺れるような深さがある。鋭さで無く深さが。    文章でも絵でもデザインでも、作者の人間性は誤魔かせない。その点で、昔は無駄がなく一直線に迫る完成度にあこがれたが、今は痛々しいような「あがき」が愛おしい。なんにせよ、スラスラといくものには真実は宿らず、多弁・能弁は本質から滑る気がする。あっ、俺のことだと思ったら、ママヨさんが「この頃、話がくどい」と言った。あがいているんだよ、僕は。【おしまい】

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第74号/愛称

2015年10月03日 | 【保管】腹ペコ日記

愛称

まめたの愛称がどんどん増えていく。「まめちゃん」「まめくん」をはじめ、表情から「わるた」「さるた」。むちむちの身体で「おもちちゃん」。ぷくぷくのほっぺから「まめぱんまん」。愛称が増える分だけ親バカっぷりが増していくような気がする。

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「思っていた以上に可愛い」と毎日つぶやく相方さんと、「この可愛さは写真では伝わらない」と言いながら毎日写真をとる腹ぺこと。親バカを存分に発揮しつつある両親を横目に、まめたはスクスク成長中だ。

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こちらではまだ「旅の人」であるところの腹ペコ家だが、ありがたいことにいろんな人に関わってもらいながら育てられているように思う。愛称が増えると同時に、名前を呼んでくれる人が増えること。そうしてまめたにたくさんの愛情が伝われば嬉しい。

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文章の心得(上)

2015年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝、原稿を一つ書いて送った。新聞週間の特集紙面の依頼だ。何を書けばよいかわからないので、図書館に行って重い縮尺版を棚から引っ張り出して読んで来た。なるほど毎年10月15日にきちんきちんと特集している。     前々から、某新聞に「新聞評」を書いている人は「新聞への提言・苦言」を書く約束だ。この評、立男は勤めている職場の宣伝に少しでもなればと引き受け4月と8月分を書いた。以前に、同じ新聞のコラムを書いたから何とかなるだろうと思って引き受けた。が違った。    新聞に書くというのは独特の緊張感があるが、コラムは自分のことを書く気楽さがある。だが、新聞評は1ヶ月分の新聞(かなりの分量。夕刊もある)を読んで書かなければならない。新聞は真面目に作ってあり、真面目に書かないと誰かに叱られそうなのだ。字数もコラムの倍、筆者の写真つき(親戚にすこぶる評判の悪い)、逃げようなく唸りながら書く。今年の8月はよりによって政治の歴史的な転換点だった。    今回は字数がいつもの半分だが、その分新聞への思いが濃縮されているようで、縮尺版を前に猛烈に疲れた。世の中にはこんなに難しく新聞を読んでいる人がいるのだ。正面のガラス窓から中庭の見える閲覧室で「こういうのは苦手だ。やりたくネー」と立男は小さな声で吠えた。隣の若い人はしばらく前から動かない。敷居があるから見えないが寝ているんだろう…いいなあ。 ※今回のイラストは「波風漱石」風、続編(下)は「与謝野ママヨ」風で。

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