波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その六拾玖】

2021年01月19日 | 【保管】言葉のケイコ

愛しき子どもたち

年末、ひょっこりと卒業生が家にやってきた。なんと、お隣さんの息子さんの奥さんだという。私が引っ越してきたときから、ずっと気になっていたそう。人違いだったらどうしようと思いつつ、きっと本人だと信じて訪れてくれた。小さなお子さんが二人いるということで、写真も見せてもらった。ケイコ、なんだかおばあちゃんの心境(笑)。それにしても世間は狭い。あちこちで卒業生に声をかけられるし、パパの一番下の弟の奥さんも卒業生だし、本当にいつもその狭さに驚いてしまう。地元で頑張っている子たちを見ることができるのは嬉しいし、単純に、私のことを覚えていて声をかけてくれることは嬉しい。もう子どもが5人いるなんて子や、消防士として活躍する子、病院の受付で働く子など、様々。みんなちゃんと中学生の頃の面影を残しているのも、さらに愛おしさを増す。

いつどこで誰に声をかけられるかわからないという緊張感。だからちゃんとしなきゃと、職を離れた今も心がけている。いつも私は「私のことなど早く忘れなさい」と卒業生を送り出しているが、声をかけられて確かにほっとして喜んでいる自分もいる。声をかけてもらえるくらいには、安心できる存在だったのかなと思えるから。「先生の笑顔を見たかった」と言ってくれる子もいる。だから私はいつでも笑顔でいられるように生きていこうと思えるのだ。

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大学入学共通テスト

2021年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 

題のテスト【国語】やってみた。200点満点、80分。結果は149点、そのうち現代文(評論と小説で100点)が79点。古典70点(古文と漢詩で100点)。起き抜けの朝6時から朝飯前8時まで(時間オーバーですが)、最後までやり通したのが偉い(笑)。思考力や判断力を見るのか、2つの問題文とか別資料とか、視線をあちこち動かさなければならない。新聞掲載なので活字が極端に小さく難渋。漢字問題も、民俗、喚起、援用、隔てる、投影を知っているだけでは駄目で、同じ意味使いの熟語4つから1つを選ばせる。

確に「何が書かれているのか」をつかむことと、普段の常識的な考え方が問われる問題だなあ、が感想。現代文で間違った3問(減点21点分)で強く思う。古文は問題文の意味がほぼわからなかったが(笑)、設問がヒントに。「ああっ、こういう問いをするのだから、こういう意味の文章なんだろう」と。
公立高入試【国語】は還暦後もずうっと解いているが、大学入試問題と傾向がよく似ている。小中高の国語授業の変化が進んでるのだろう。高校で小説教材が扱われなくなる話聞いたが、大事なことは感情偏重の文学教育にせず、小説の言葉を正確に読む力の指導だろう。
1月の大学、2月の高校入試のテストをやってみるのは悪くない。点数どうのでなく「さて、やってみるかな」の意欲は失いたくない。


体重計に乗り、「ポーク加齢」なんて言葉遊びして笑う。「加齢うどん」浮かび、これどんなウドンかなあ ママヨさんが髪を切ってきた。もう少ししたらママヨさんに髪を切ってもらおう国会始まり首相の施政方針演説聴く。言葉がことごとく軽く聞き手の心にちっとも届かない。深刻だね。

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ベネシアさんの秋

2021年01月16日 | 読書


10年以上『猫のしっぽ 、カエルの手』を観ていた。日曜夜の定番TV、今も過去映像を時々やってる。ベネシアさんの目が見えなくなってきて(アルツハイマーの一種)、あの庭は、あの料理は、あの大原の古民家の手づくり暮らしはどうなるのだろうと心配していた。

図書館で借りた『ベニシアと正、人生の秋に    ー正ありがとう。すべて、ありがとうー』(風土社)、考えるものがあった。波風氏と近い年齢の夫婦(夫62歳、妻71歳)の波乱と言える人生、その後半の今(人生の秋)それまでの夫婦の歩みの概括、今後予想される暮らしと決意感じた。満足な仕事も無く当然頭金無くあの古民家を買うことになってしまったこと、正が冬山滑落で死線さまよったこと、バツイチ子持ちのベニシアが前夫から養育費をもらわずオックスフォード大留学の長男の学費を『庭』で捻出したこと、娘の統合失調症発症で正が家を出たこと、庭づくりの意味・・・画面に映されないこんな綱渡り的『出たとこ勝負』人生があったとは。

(発行時の2019年)、正が三食作っている。ベネシアはハーブの手入れできず「いま唯一私ができるこ」として、落ち葉や雑草をさがすしかできない庭作業。自然の摂理は人生にも分け隔てない。そんな時、人は歩いてきた半生をどう振り替えるのだろう。この本では今が一番静かで実りの季節、副題に「正ありがとう。すべて、ありがとう」とあった。正直な生き方が暮らし方を決め、そういう暮らし方が生き方を豊かにするのだなあ。読み終わり、誰にでもなく、ありがとうという気持ちが湧いた。


『ネコのしっぽ、カエルの手』には、キャッツテールやカエデの特徴のように、植物を愛し、暮らしに取り入れ、植物とともに生きてきた昔の人々の心を表しているようだ 「(半藤一利さんは)文春では役員も務め、『文春リベラリズム』を具現化した人・・・・それは戦後のブルジョア民主主義であり、社会のリーダー的役割担った・・・・文春には右派の流れもあるが、それとは一線を画し、一つの系譜をつくり今につながっている」(昨日の朝日新聞、保坂正康『半藤利一さんを悼む 昭和史の誤りを克服  継いでいかねば』)

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日本の現代史を

2021年01月14日 | 読書

半藤一利さんご逝去(享年90)の報。昨年から『昭和史 1926~1945』を時々開き、全17章のうち、日露戦争に勝った意味(はじめの章)から、ドイツのソ連侵攻(第10章)まで読んでいる途中だった。手にしたのは、一昨年の朝日新聞「平成の30冊」に挙げられていたからで、歴史書は本書だけだったような気がする。

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名前は前から気になっていた。文藝春秋の編集者、奥さんの祖父が夏目漱石、『日本の一番長い日』の作者、明晰で歯切れ良い紳士として。この作家が、なりゆきと勢いで始めた無責任な戦争・それが戦後も通底していることの探求、憲法を守り育てる積極的な発言を行っていることを知った。どちらかというと体制側の総合雑誌と思っていた文藝春秋、その編集長だったことも知り、ものごとを一面的・先入観で判断しては駄目だと思った。

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『昭和史』を手に取ったのは、当時の安倍政権の振る舞いにとても危険を感じたからで、現代史に触れておきたいと思った。感覚でなく道理ある判断をしたかった。ママヨさんが大学で腹ペコ先生からそれを学び生き生きしていたいこともあった。昔から、外国文学を避けていたのは登場人物の名前が覚えられないからで、歴史が苦手なのは年号が頭に入らないからだ。だが、半藤さんの文章は、講義録が元本で大変に平易で面白く、波風氏のような歴史嫌いには最適な教科書だ。
前よりも、今の方がもっとこの本を読む意味がある。まるでノモンハンやインパールのような再現が進んでいるのだから。


朝ドラ『おはなはん』、主演の樫山文枝さんが可愛かった、中3の波風立男君は一発で好きになった。大人になっても時々、どうしているかなあ、舞台がんばってるんだろうなあと思うことがあった。訃報で、初めて旦那が綿引勝彦さん(享年75)だったと知った。合掌。

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言葉のケイコ【その六拾捌】

2021年01月12日 | 【保管】言葉のケイコ

 

を読まない年末年始

もう10日以上本を読んでいない。帰省も旅行もできない状況だからこそ本来であればたくさん本を読みたいところではあるが、どうにも私は自分のルーティンが崩れると本を読む余裕がなくなるらしい。年末年始、ともちゃんは学校が休みだから家にいる。さらには大掃除やら年始の諸々の準備やらで慌ただしい。それに追い打ちをかけるように、続く雪かきの日々。大晦日も元日も、頭の中は雪かきのことでいっぱい。そうなると活字を読む気力もなくなり、じっとテレビを眺めてぼーっとしては雪が積もれば外に出る、の繰り返しだった。年賀状に波風先生が、「お正月、本を読む時間はありましたか。」と書いてくださったのを見つめつつ、「時間はあるのですが余裕がありません」と心の中で返事。そうしてせっせと雪かきに励む毎日。普段はこの時期は帰省しているので、家の前に雪を溜めずに済んで良かったのだろうとプラスに考えてみる。それでももう雪はしばらく勘弁してほしい。北国に住む者の宿命とはいえ、なかなかしんどい。札幌のマンションに住む親友のカコヨのことが、ちょっと羨ましくなる瞬間(笑)。

私にとって本を読むことは生活の一部なので、きっとまたすぐに本を読みたくて仕方がなくなる日が来る。その日のために、次はどんな本を読もうかを考えておこう。読まなければいけない、のではなく、読みたいときに読みたいものを読むことができる。今の状況は、とても幸せだ。


【波風氏談】今年最初の読書交流会は1月31日(日)。これを読書のプレッシャーと思うか、励ましと思うか、それはケイコさんに任されています(笑)

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