
こんな時だから友人とラインでの昔ばなしに花が咲きます。
お互いにゆっくり体をいたわりながら、毎日をすごことの大切さを感じました、
あいさつは、定番の
お互い無理はせんとこな。(笑)
僕たちの世代は若い頃に国と個人の関係を考える機会があったように思います
。
高橋和巳や三島由起夫は小説で、吉本隆明は詩と共同幻想論で、羽仁五郎は文部省解体論で、学生であった僕たちの立ち位置がそれでいいのかという問いを突きつけてきました。
鶴見俊輔の何か行動しなければ何も変わらないという行動論理は魅力的でした。
対立や対峙という言葉に疲れを感じたあとも
何も関わらず傍観するだけでは何も変わらないという気持ちは心の中に流れていたのかもしれませんね。
僕の人生のなかでは、人や国と関わること。それが教育だったのかもしれません。教員という仕事だったのかな。
国と個人を結びつける間にあり、その関係を補完し緩衝材となるものをアソシエーションというらしいですが、学校はそういうものになりきれない国や地方行政の規制を強く受けています。
その中で、規制ギリギリはどこなのかを探ることに楽しみがありました(笑)
今こういう時代だからこそ、「新しい国」を創る子どもたちに「国や故郷」を意識させることが必要で、それは「共感や励まし」と言った個として持つ困難さを解決してくれるアソシエーションとしての学校や学校に勤める若い先生たちの責務でなければならないのではなど、「家のみ」で盛り上がった老人二人でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます