人を嫉妬する自分に思い悩んでいるのですか。
確かに貴方のいうように嫉妬は目に見えない脅威ですが、「嫉妬」という感情の動きは、ごく自然な心の動きなのではないでしょうか。
たしかに、僕らの同年代の人間は嫉妬を隠します。
「男として恥ずべきことだ」という昭和の教育を受けてきたからです。
今の時代にはそぐわない、ある意味での「正義」だったのだと思います。
「美学」と言えばかっこいいのてすが、単なるなるやせ我慢だったのかもしれません。
男の嫉妬する姿は何度も見たことがあります。女性の嫉妬する姿は余り見たことがありません。
僕が目にしたのは力がありいつも認められている人が、それ以上の力を持つ人に出会った時、「嫉妬しているがゆえの不可解で理不尽な行為」を行うというパターンですね。
僕は力もなく、「承認要求」もあまりない人間だったので傍観者でいることが多かったのです。
だから、する側やされる側の気持ちは残念ながらあまりわかりません。
ただ、真面目で一途な人ほど「正義」にこだわるように思います。
「正義」を貫く美学が「承認要求」を生み出すトリガーになることもあるようですが、僕は、こうした行動の美学の価値は時代により変化するものだと「三島由紀夫氏の自決」で知りました。
「嫉妬」を隠すことが美学だという方もいますが、僕の周りの連中は「嫉妬」を「リスペクト」に変換するタイプと「嫉妬」から「諦め」に転じるタイプがいたようです。
「嫉妬を隠して平静を装う」というのは真面目なタイプの感覚で、「嫉妬をあからさまに表現して、右往左往したり、仲間に八つ当りする」のが、僕の周りの連中でした(笑)
「嫉妬してから、どのような行動をするか」が人としての価値だと僕らは思い込んでいました。
「嫉妬すること」自体で、迷ってるより「嫉妬したから、次にどんな行動をすればいいかで悩んだほうがいいかも」ですね。
乗り越える努力をするのか、負けを素直に認めるか
割合、簡単な判断だけだとおもうのですが。
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