電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ベートーヴェンの「ピアノソナタ第15番」を聴く

2010年08月18日 06時05分39秒 | -独奏曲
ベートーヴェンのピアノソナタの中で、第13番Op.27-1(*1)、第14番Op.27-2(*2)、第15番Op.28の3曲は、ほぼ同時期に発表されたもののようです。ところが、その性格はかなり違いがあるように感じます。第14番が例の「月光」などという愛称を持っているだけでなく、第13番とともに幻想曲風の性格を持つなど、ピアノソナタとしてはやや実験的なのかもしれません。この第15番のほうは、実験的な性格は持ちながらも、むしろ落ち着いた気分が特徴的で、交響曲と誤解されそうな「田園」という愛称を持っているのだとか。全曲を繰り返し聴いて楽しむ分には、むしろ「月光」よりもバランスの取れたチャーミングさが感じられます。

第1楽章:アレグロ、ニ長調、4分の3拍子。静かに始まり、しっかりした低音の反復の上に、右手がけっこう自由に歌います。でも、主題がしっかりと印象を残します。
第2楽章:アンダンテ、ニ短調、4分の2拍子。明暗のコントラストでしょうか、思い悩みながら歩いている印象が、途中でかわいい小動物でも見たかのように明るく一転します。再び繰り返しますが、こんどは前とは少し違ったふうに変奏され、静かに閉じられます。
第3楽章:スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ、ニ長調、4分の3拍子。やや幻想的な要素を残した、不思議なスケルツォです。
第4楽章:ロンド、アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ニ長調、8分の6拍子。前の楽章から引き続くような雰囲気の始まりですが、途中から違った印象に。幻想は形式の中に取り込まれ、かっちりしたソナタの風貌が見えてきます。

愛用するパソコンの音楽再生ソフト RhythmBox の再生回数の記録は、通算ですでに40回を超えております。繰り返し聴くほどに味のある曲、演奏です。

演奏は、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー。1987年10月に、パリのノートルダム・デュ・リパン教会でデジタル録音されたもので、制作は馬場敬、録音担当はピーター・ヴィルモース。DENON 33CO-2539 という型番の正規盤です。

参考までに、演奏データを示します。
■ゲルバー盤
I=9'29" II=7'31" III=2'17" IV=4'58" total=24'15"

(*1):ベートーヴェンの「ピアノソナタ第13番」を聴く~「電網郊外散歩道」
(*2):ベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番」を聴く~「電網郊外散歩道」
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モーツァルト「幻想曲ニ短調K.397」を聴く

2010年07月15日 06時01分40秒 | -独奏曲
ここしばらく、通勤の音楽として、モーツァルトのピアノソナタ全集第5巻(マリア・ジョアオ・ピリス:Pf)を聴いております。ソナタのほうも、どこかピアノ教室のレッスンで何度も聞こえてくるような感じで、いかにも親しみやすいものですが、本CD(DENON COCO-70698)の掉尾を飾る「幻想曲ニ短調K.397」が、格別に印象深いものがあります。

CDに添付の解説によれば、この曲はモーツァルトが26歳の1782年に書かれたとされ(異説あり)、未完の曲として残されたものを、ライプツィヒのトーマス教会のカントルだったA.E.ミューラーが最後の10小節を補筆して完成させたものだ、とのこと。1782年といえば、ザルツブルグの大司教と衝突して解雇され、ウィーンに出て歌劇「後宮からの誘拐」を初演し、コンスタンツェと結婚した頃でしょうか。

曲はごく短いものですが、冒頭の低音の響きが、高音コロコロが大好きなモーツァルトとしては異色のものです。右手のチャーミングな旋律が続きますが、じきに音階は崩れ落ちるように下降していきます。ですが、嘆いてばかりもいられないとでもいうように、ごく自然に気分が変わって、明るく終わります。

この曲は、まるで深淵を覗き込むような、遅~い主観的な演奏も可能でしょうし、もともと陽気な若者の一時的な気分の落ち込みといった感じの演奏も可能でしょう。私は、どちらかといえば、あまりのめりこまない客観的なアプローチの方に、チャーミングな魅力を感じます。

■マリア・ジョアオ・ピリス盤 5'58"
■ロベール・カザドシュ盤 5'48"
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モーツァルトのピアノソナタ第11番K.331「トルコ行進曲」を聴く

2010年03月06日 06時17分18秒 | -独奏曲
映画「のだめカンタービレ最終楽章・前編」で、のだめチャンが進級試験で弾く自由奔放なモーツァルトに魅了されました。今までもこの超有名曲を聴いてはきたものの、中学の音楽の鑑賞曲で、試験で歌わされた階名唱の記憶だけがやけに強かったのですが、どうやらこんどは、のだめチャンの映画の場面が刷り込まれたようです(^o^)/
演奏は、例によって若きマリア・ジョアオ・ピリスのデジタル初期の録音(DENON COCO-6790)で聴いております。

第1楽章:アンダンテ・グラツィオーソ、8分の6拍子、変奏曲。シンプルな主題が、短調変奏や、アダージョ、アレグロなどにテンポを変えるなど、さまざまに変奏されます。なんとなく、ピアノのおけいこを連想してしまうのですが、でもピリスの演奏は見事です。
第2楽章:メヌエット、イ長調、4分の3拍子。CD に添付の解説書によれば、モーツァルトのピアノソナタでメヌエットは珍しいのだそうな。でもなかなかすてきな音楽で、この楽章、私は大のお気に入りです。とくに、調が次々に変わっていくさまは、実に見事。
第3楽章:イ長調、4分の2拍子、トルコ行進曲ふうに、アレグレットで、ロンド形式。「どこがトルコ風なんじゃ!」と思わず叫びたくなりますが、言わずと知れた超有名旋律ですので、「こういうのがトルコ風なんじゃ!」と言い返されそう(^o^)/
「のだめ」の映画では、ランランが演奏していたのだそうですが、実に見事な、自由奔放なモーツァルトになっていました。この曲の場面で、当方、不覚にも思わずうるっとなってしまいました(^o^)/
ピリスの演奏は、あれほど奔放ではありませんで、もっと落ち着いたものです。でも、モーツァルトの音楽の躍動感はちゃんと伝わります。

作曲年代は、近年は1783年とされてきているようです。時期的にみて、たぶん歌劇「後宮からの誘拐」とのメディア・ミックスをねらったものなのでしょう。アマチュア向けに易しく書かれているそうですので、そういった狙いは十分に考えられると思います。でも、そういう意図を超えて、聴き始めるとなんとも素敵な音楽です。

録音は、1974年1月~2月にかけて、イイノ・ホールで行われたのだそうで、ヘンレ版を使用したモーツァルトのピアノソナタ全集の中の一枚です。この全集は、1976年ADFディスク大賞、1977年エディソン賞を受賞しています。1974年といえば、PCM録音機の2号機の頃にあたります。DENONでさえ、アナログをデジタルに変換するA/Dコンバータがまだ手作りだった時代。デジタル技術やコンピュータ・テクノロジーが急速に発達した時代。あれはどなたの発案だったのか、大学では、情報科学特論などといった科目が、単位外で開講されておりました。当方も、計算機科学に興味を持ちながらも、大型計算機センターに一台だけの状況では、学生が自分で触ることはかなわず、パーソナル・コンピュータの出現を待たねばなりませんでした。このあたりの記憶はやけに鮮明です。

■マリア・ジョアオ・ピリス盤
I=14'37" II=6'22" III=4'28" total=25'27"
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ベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番」を聴く

2010年01月20日 06時17分42秒 | -独奏曲
ベートーヴェンのピアノソナタ第14番から、「月光」という標題のイメージを取り去って音楽を聴くことは難しくなっていますが、あえてそれを試みてみたいと思います。これは、素人音楽愛好家の感想と考えですので、あるいは大きな勘違いかもしれず、その場合はひらにご容赦を(^o^)/

ベートーヴェンは、1801年に、第13番Op.27-1とこの第14番Op.27-2を、「幻想曲風ソナタ」と題して発表しています。この年の6月には、数年越しの聴覚異常の治療が効果を示さず、演奏や作曲にはほとんど支障はない(聞こえることは聞こえる)が、絶えず続く耳鳴りのために、会話を聞き分けることが難しく、反対に大声をあげられるとそれが耐えられないという悩みを、友人の医師ヴェーゲラーと牧師アメンダに手紙で書き送っています。ウィーンに颯爽と登場し、社交界の寵児となったベートーヴェン、圧倒的なピアノ演奏の技量とレガート奏法により、ご婦人方の人気をさらっていたベートーヴェン。悩みは深かったでしょう。

第1楽章、アダージョ・ソステヌート、嬰ハ短調、2/2拍子。譜面にある、Si deve suonare tutto questo pezzo delicatissimamente e senza sordini. とはどういう指示なのでしょうか。デリケートに、というような意味かと想像しています。次第にはっきりとしてくる聴覚の異常におびえながら、pp で奏される神秘的で静かな旋律にじっと耳を澄ませる姿を想像すると、自分の聴覚を確かめるように静かにピアノに向かう音楽家の姿は、幻想的ではありますが悲劇的でもあります。フェルマータの後、アタッカで次の楽章へ。
第2楽章、アレグレット、変ニ長調、3/4拍子。雰囲気的には一番安定したもので、続く第3楽章へ接続する役割を持つ、スケルツォ楽章でしょうか。
第3楽章、プレスト・アジタート、嬰ハ短調、4/4拍子。焦燥感、苛立ちを強く感じさせる、激しい音楽です。思わず興奮させられるこの音楽こそ、この第14番のソナタの本質なのでしょう。運命に苛立つ、激情の音楽!

テレーゼとヨゼフィーネのブルンズウィック姉妹とは従姉妹にあたる、ジュリエッタ・グイッチャルディとの恋愛は、身分の差などもあり実らずに終わりますが、これは彼の初恋と思われるヴェスターホルト男爵令嬢ヴィルヘルミーネ以来、何度も繰り返されてきたことでした。社交界の寵児といえども、若いベートーヴェンは身分の差を蹴っ飛ばすほどの自覚はまだ持っていない頃でしょう。

いっぽう、17歳の少女のコケットリーを指摘するのはたやすいことです。ですが、31歳のベートーヴェンが、ただ容貌が可愛いからというだけの理由で、結婚を意識するほど夢中になるとは思えません。ベートーヴェンの聴覚障碍(がい)の実状を、もしかしたらジュリエッタは気づいて、知っていたのではないか。彼の運命に同情してくれてもいたのではないか。だが、身分の差を乗り越え、聴覚障碍というハンデを持ちつつある自由な音楽家との恋愛を全うしようという勇気は、17歳の少女には持てなかったのではないかと思われます。この曲が、去って行った少女に献呈されているのは、なにやら象徴的なことのように思います。

このように考えるならば、「月光」という標題はあまり意味をなさない。第1楽章にのみ心を奪われる結果、終楽章の激情の意味を、とらえそこねることになると思います。もちろん、散歩の途中で盲目の少女のために即興演奏をしたというような創作されたエピソードからも、終楽章の激しさを理解することは困難でしょう。

では、ベートーヴェンの聴覚障碍の原因は、いったい何だったのか。これは、また別の機会に。

写真は、2枚のCDが ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)の DENON 盤(33CO-2539)とディーター・ツェヒリン(Pf)による MyClassicGallaery という全集分売盤(GES-9250)、そして LP のほうは、昔懐かしい日本コロムビアの廉価盤ダイヤモンド1000シリーズ、アルフレート・ブレンデル(MS-1052-VX)の最初の録音です。

■ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)盤
I=6'38" II=1'53" III=7'19" total=16'50"
■ディーター・ツェヒリン(Pf)盤
I=5'36" II=2'05" III=6'55" total=14'36"
■アルフレート・ブレンデル(Pf)盤、VOX 旧録音
I=5'55" II+III=9'53" total=15'46"
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ベートーヴェンの「ピアノソナタ第13番」を聴く

2010年01月14日 06時22分45秒 | -独奏曲
以前、記事にするのが難しい曲として、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番、いわゆる「月光」ソナタの名前を挙げたことがありました。お気に入りの曲ではあるのですが、通り一遍の内容になりそうで、手つかず(*)になっておりました。先日、ふと気づいてしまいました。ゲルバーの演奏したこの CD は、いわゆる「月光・悲愴・熱情」という組み合わせではなくて、第13番Op.27-1、第14番「月光」Op.27-2、第15番「田園」Op.28 という構成になっています。ふーむ。ゲルバーのことですから、単純に番号順どおりにしたのではないでしょう。だいいち、録音も番号順ではありませんでした。これも、なんらかの意図があってのことだろう。そんなわけで、正月早々、この三曲を聴き始めました。まず、第13番から。

Op.27-1 と Op.27-2「月光」は二曲セットになっていて、どちらも「幻想曲風ソナタ」という副題がついているのだそうです。19世紀の幕開けの年、1801年に作曲された、ベートーヴェン30歳のときの作品で、この第13番は、ジュリエッタ・グイッチャルディに捧げられているとか。

第1楽章、アンダンテ~アレグロ、変ホ長調、2/2拍子。ピアノ初学者の練習曲みたいなシンプルでゆっくりした始まり。曲想は急にアレグロに変わりますが、再びはじめのテンポに戻ります。ppの指定のある、夢見るような音楽。曲はフェルマータで若干の間をおいただけで、アタッカで次の楽章へ。
第2楽章、アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ。ハ短調、3/4拍子。どこか不安で憂わしげな楽章なのかなと思いますが、曲調はゆったりした情感豊かなものに変わります。ここが第3楽章の始まり、アダージョ・コン・エスプレッシオーネ、変イ長調、3/4拍子。ここは、短いですが、なんとも魅力的な音楽です。
そしてアタッカで第4楽章へ。アレグロ・ヴィヴァーチェ、変ホ長調、2/4拍子。いかにも若いベートーヴェンらしい、軽やかさと輝かしい力強さを併せ持ったような音楽です。そして、中間部で再び第3楽章のアダージョの主題が回想されますが、これが実に印象的。最後はプレストで、飛び跳ねるようにsfしながら、ffでコーダを閉じます。

明確な、かっちりとしたソナタ形式に則った曲ではありませんで、副題のとおり幻想曲ふうな音楽です。
ピアノ演奏は、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー。1987年10月に、パリのノートル・ダム・デュ・リパン教会でデジタル録音された、DENON 33CO-2539 という正規盤です。添付のリーフレットの楽曲解説は濱田滋郎氏。そういえばこれは、ゲルバーのベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」第2弾として発表されたものでした。

(*):いつ記事にできるかなぁ~「電網郊外散歩道」より
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ヴィラ・ロボス「ブラジル風バッハ第4番」を聴く

2009年11月07日 06時16分36秒 | -独奏曲
先に NHK-FM で放送された、ヴィラ・ロボス「ブラジル風バッハ」全曲演奏会の録音(*)をMDで少しずつ聴いています。全部で4時間の放送を1回で聴き通すのは容易ではありませんで、三曲くらいずつまとめて聴いているところです。

全9曲のうち、第5番と第9番の2曲は、ある程度聴いたことがあり、旋律も耳馴染がありました。しかし、他の曲については聴いたことがありませんで、まことに新鮮な体験です。

第6番の、フルートとファゴットのための作品もたいへん印象深く、ぜひ生で聴いてみたい曲目の一つです。第9番のオリジナルは、弦楽合奏のためのものではなくて、実は無伴奏合唱のためのものであることを、初めて知りました。そんな意味でも、エアチェック(^o^)してよかった演奏会です。

さて、前半の小規模な編成の作品の中で、たいへん印象的だったのが、白石光隆さんのピアノ独奏による第4番~ピアノのための。

1. 前奏曲(助奏)
2. コラール(薮の歌)
3. アリア(賛歌)
4. 踊り(ミゥディーニョ)

前奏曲のもの悲しい始まり。ラフマニノフばりの深い響きがありますが、リズムはちょいと違う。活力があるというのか、イキがいいというのか、思い切りロマンティックな旋律であっても、しっかりと現代的な響きとリズムがある。16分07秒のあいだ、聴きほれてしまいました。

Wikipedia によれば、全9曲は1930年~41年にかけて構想されたのだそうで、プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」(*2)やヒルトン「心の旅路」(*3)などに描かれた大戦間期の雰囲気は、こんな感じなのでしょうか。

できれば一人で聴きたい、悲しみの涙が心をうるおすような、そんな音楽です。
今日は、ここまで。ちなみに、写真は「第9番」を弦楽合奏で演奏したMGMのLPレコード(モノラル盤)と、今回の全曲演奏を録音した MD です。

(*):NHK-FMで「ブラジル風バッハ」全曲演奏会の予定~「電網郊外散歩道」より
(*2):プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第2番」を聴く~「電網郊外散歩道」より
(*3):ヒルトン『心の旅路』を読む~「電網郊外散歩道」より
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ベートーヴェンのピアノソナタ第3番を聴く

2009年02月15日 06時40分22秒 | -独奏曲
若いベートーヴェン・シリーズで、アシュケナージ以外のピアニストの演奏を集中して聴いております。ベートーヴェンのピアノソナタ第3番、ハ長調、作品2-3です。当方は、悲劇的な第1番、明るい第2番、そして堂々とした第3番という作品2の3曲を収録したアシュケナージのCDのほかに、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーによるDENONのCDと、スヴィャトスラフ・リヒテルによる演奏を収録したLPを持っていますが、今回は主としてゲルバーの演奏をじっくりと聴いております。
この曲は、ハ長調という調性の共通点や、演奏に30分近くを要する曲の大きさなどから、「小ワルトシュタイン」と呼ばれることもあるのだそうな。ピアノ学習者が、ベートーヴェンのソナタにはじめて挑戦するときに選ばれることも多いのだそうで、言われてみれば「なるほど」です。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ、ハ長調、4/4拍子。ターン タカタカタッタ タンタン、というトリル風の面白い音型を持つ主題で始まります。ピアノの音が、響かせてエネルギーを外に発散しようとするアシュケナージと、どちらかというと響きをコントロールし内向する印象のゲルバーと、面白い対照となっています。
第2楽章、アダージョ、ホ長調、2/4拍子。ロマン的な情感をたたえながら、ゆっくりと歌うような第1部と、分散和音による第2部が交代する自由なロンド形式、と言えばよいのでしょうか。青年らしい、とても素敵な音楽だと思います。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ、ハ長調、3/4拍子。ピアノソナタで、はじめてスケルツォと名乗ったのではないでしょうか。短いですが、テンポの速い、対位法的な要素が強く出ている音楽です。
第4楽章、アレグロ・アッサイ、ハ長調、6/8拍子。華やかな中に力強さも併せ持つ、ピアノの腕前を披露するには格好の音楽です。たぶん、若いベートーヴェンが、のりのりで弾きまくったのでしょう。ゲルバーの演奏は、全体に速めのテンポを取っておりますが、この楽章の速いテンポでもよくコントロールされ、堂々とした勢いのあるリズムの切れ味は素晴らしいです。

アシュケナージのCDは Polydor の POCL-3401 という型番で、第1番とは録音会場が異なっており、1976年の4月に、ロンドンのキングズウェイ・ホールでアナログ録音されたものです。
ブルーノ・レオナルド・ゲルバーのCDは、DENON 33CO-2203 という型番の正規盤で、1987年の7月29日~30日に、パリのノートルダム・デュ・リパン教会でデジタル録音されています。使用した楽譜は児島新校訂の春秋社版だそうです。
リヒテルのLP(Victor VIC-2001)には、「現代ピアノ界の巨人の演奏」という吉田秀和氏の解説が掲載されています。この中でも指摘されていることですが、出だしはゆっくりと始まり、終楽章をクライマックスとして、これに向かって次第に盛り上がっていく、という構造になっています。LPのB面には第4番が収録されていますが、これもたいへん魅力的なものです。使用ピアノはベーゼンドルファーで、1975年の4月に、ウィーンで収録されたアナログ録音。

■アシュケナージ(Pf)
I=9'57" II=8'30" III=3'13" IV=5'05" total=26'45"
■ゲルバー(Pf)
I=9'44" II=7'07" III=2'56" IV=5'02" total=24'49"
■リヒテル(Pf)
I=10'22" II=7'36" III+IV=8'28" total=26'26"

リヒテルのLPは、たしか就職してすぐの頃に、近所の本屋兼レコード店で購入したはず。この頃の記憶はやけに鮮明です。後年の、お金にまかせて購入し、ろくに聴かずに棚のこやしになっているものとは違う、強い印象があります。
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ベートーヴェンのピアノソナタ第1番を聴く

2009年02月08日 08時42分19秒 | -独奏曲
若い時代のベートーヴェンの作品には、晩年には見られない、若々しく活動的な魅力があります。「モーツァルトやハイドンの影響を受け、未だベートーヴェンたりえていない作品群」とは決して言えない、「若いベートーヴェン」という独自の魅力の宝庫です。一例を挙げれば、ピアノ協奏曲第1番や弦楽四重奏曲第1番、そして作品2という番号を持つ、第1番から第3番までの3曲のピアノソナタなどです。この中で、今回聴いているヘ短調のピアノソナタ第1番Op.2-1は、1795年8月30日にハイドンの前で演奏したという、作品2の3曲中の最初の曲目。おそらく、当時のベートーヴェンにとっての自信作だったのでしょう。三つの曲の中では最も悲劇的な気分を持ち、作曲年代は不明とのことですが、ボン時代のものらしい。

第1楽章、アレグロ。ジャンプするようにスタッカートで上行する第1主題が、たいへん印象的です。逆に、第2主題のほうは、対比するように下降する音形が主となっています。悲劇的な気分を持っていますが、リズムは活発に動き、静止した彫像のような悲劇性ではありません。
第2楽章、アダージョ。ドルチェ(dolce)で始まる優しく美しい音楽。後年の、深淵を覗き込むようなアダージョではなく、ちょっとセンチメンタルな要素もなくはない、緩徐楽章です。
第3楽章、メヌエット:アレグレットで。繰り返しの表情が同じではなく、微妙にニュアンスを変えています。スケルツォと言ってよいほどに、すでにロココ風な優雅さではありませんが、それでも充分にチャーミングな短い楽章です。
第4楽章、たたきつけるような激しさを持ったプレスティッシモ。途中、sempre piano e dolce な部分もありますが、再び激しく速い主題に帰ってきます。全体として、動機を展開していく多面性、見事さを感じさせる曲になっています。

ピアノ独奏はウラディミール・アシュケナージで、LONDON POCL-3401という正規盤。第4楽章に頻出する下降スケールみたいなフレーズも、淀みなく一気に、実に見事の一言。1976年から79年にかけてアナログ録音されたもので、なにやらレコード・アカデミー賞とやらを取ったのだそうな。DECCA のアナログ方式のピアノ録音は、通勤の車中ではもちろん、自宅のステレオ装置で聴いても充分に美しいものです。

■アシュケナージ(Pf)
I=5'24" II=4'20" III=3'21" IV=7'10" total=20'15"
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クリスマスの夜にメトネルのピアノ曲を聴く

2008年12月25日 06時32分58秒 | -独奏曲
クリスマスの夜に、単身赴任のアパートで、メトネルのピアノ曲集を聴きました。演奏は、イリーナ・メジューエワさん。1999年の10月に、笠懸野文化ホールでデジタル録音された、DENON COCO-70811 という型番のCDは、同社のクレスト1000シリーズに収録されたメジューエワの2枚目のメトネル作品集にあたります。1枚目のアルバム(*)もたいへん好ましく聴きましたが、このアルバムも、まるでたった一人のクリスマスのために録音してくれたような、ぴったんこの音楽です。

収録されているのは、
(1) 8つの心象風景 Op.1 より(4曲)
(2) ピアノソナタ 変イ長調 Op.11-1 「三部作ソナタ第1番」
(3) おとぎ話 ハ長調 Op.9-2
(4) おとぎ話 ハ短調 Op.42-2 「フリギア旋法」
(5) おとぎ話 嬰ト短調 Op.42-3
(6) 忘れられた調べ Op.39 (5曲)
です。

前半には、どちらかといえばロマンティックな要素の強い、初期の作品が並びます。そして後半には、いわば中期の作品が並んでおり、作曲者の変わらぬ本質と音楽的な変容とが概観できるものとなっている、というところでしょうか。

音楽院時代に書かれたという、記念すべき作品1の「8つの心象風景」は、たった一人のクリスマスに聴くにふさわしい、見事な旋律と響きを持った音楽です。
解説によれば、本CDの最後に収録された「忘れられた調べ」というのは、ロシア革命直後の1919~20年頃の作品だそうで、1921年の、モスクワ音楽院大ホールにおける初演当時は、プログラムに「抒情的作品集」と書かれていたそうな。でも、いつの頃からか、「忘れられた調べ」になっていったのでしょう。たしかに、革命当時の騒然たる空気や、当時の前衛的な風潮を思えば、時代に忘れられた調べのように思うのも無理はありません。でも、一部にある苦汁に満ちた表情などは、間違いなく時代の刻印のような気がします。



(*):「おとぎ話」「忘れられた調べ」などメトネル作品集を聴く
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フォルクレ「クラヴサン組曲第1番」を聴く

2008年08月26日 06時08分09秒 | -独奏曲
まだ8月なのに、雨降りでやけに肌寒い日曜日、フォルクレのハープシコード組曲を聴きました。さらにアパートで単身生活の月曜夜も、クラヴサン(ハープシコード)組曲に耳を傾けてすごしました。演奏は、リュック・ボーゼジュール。NAXOS の 8.553407 というCDで、1994年にカナダのケベックにある聖Alphonse-de-Rodriguez(アルフォンス・ド・ロドリゲス?)教会でのデジタル録音です。

収録されているのは、組曲第1番、第3番と第5番の3曲。フォルクレという作曲家については、残念ながらほとんど知識がありませんが、ルイ14世の宮廷ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者であった父アントワーヌ・フォルクレのヴィオール曲集を、息子フォルクレがハープシコード用に編成したものだそうです。フォルクレ父子の名は、先ごろ読んだ磯山雅著『バロック音楽~豊かなる生のドラマ』の人名索引にも見当たらず。添付のリーフレットによれば、アントワーヌ・フォルクレ(1671~1745)は、J.S.バッハよりも14歳年長ですが、ほぼ同時代の人のようです。

■組曲第1番
(1)フォルクレ (4'02)
(2)コタン (2'50")
(3)ベルモント人 (4'10")
(4)ポルトガル人 (3'46")
(5)クープラン (3'27")
※(total=18'15")

いかにも典雅なフランス・バロック音楽ですが、けっこう活気があり、自宅のステレオ装置で聴くときには、豊かな低音が意外なほどの迫力を示します。演奏しているリュック・ボーゼジュールという人についても、ほとんど知識をもちませんが、音楽の美質を充分に伝える、立派な演奏だと思います。

写真は、ペンタスという花だそうです。
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シューベルトの「さすらい人」幻想曲を聴く

2008年08月16日 07時01分44秒 | -独奏曲
このところ、シューベルトの「さすらい人」幻想曲を聴いています。1816年の歌曲「さすらい人」D.493の旋律をもとに1816年にウィーンで作曲された、ハ長調の4楽章形式の幻想曲です。CDに添付の解説を読むと、それぞれ明確な調・速度表示を持ち、はっきりした性格を持っており、実際は4つの楽章からなるソナタと見ることもできるのだとか。ピアノ・ソナタでありながら、主題の統一性や、四つの楽章が切れ目なしに演奏されるという特徴などに、25歳のシューベルトが試みた、幻想曲という野心的な実験と感じられます。

第1楽章、アレグロ・コン・フォーコ・マ・ノン・トロッポ。主和音が連打される、非常に明瞭な冒頭のリズムが、曲全体を統一しています。曲の始まりでは、いつものシューベルトのイメージとはだいぶ異なり、力感あふれる雄渾な印象を受けます。
第2楽章、アダージョ。歌曲「さすらい人」を主題とした変奏曲。いかにもシューベルトらしい、しみじみと聴くことができる、美しい音楽です。
第3楽章、プレスト。スケルツォ楽章に相当するのでしょうか。リズムは共通の主題と共通のもので、活発に変奏されていきます。トリオ部では冒頭主題がチャーミングに登場。そして、再びスケルツォに戻ります。
第4楽章、アレグロ。シューベルトらしからぬ、ヴィルトゥオーゾ風の見得の切り方ですが、あるいはこれもシューベルトの本来の姿なのかもしれません。

アルフレッド・ブレンデルの演奏(Ph UCCP-7057)は、シューベルトのピアノ曲の録音に精力的に取り組んでいた1970年代のもの。1974年6月にロンドンで収録された、フィリップス原盤のアナログ録音です。速い部分はぐいぐいと、ゆるやかな部分は詩情豊かに演奏しています。速いパッセージも流されずに、技巧が音楽に奉仕している感じ。録音は今なお良好なもので、低音の質もどんよりしたものではなく、好ましい響きです。前半部はやや抑え目に、最後の楽章に向かって次第に盛り上がっていくような構成を意図しているようです。

ミッシェル・ダルベルトの演奏(DENON COCO-70700)は、1993年から94年にかけて、スイスのコルゾー、サル・ド・シャトネールでデジタル録音されたもので、シューベルトを得意とするピアニストらしく、やや遅めのテンポで、ダイナミックかつ詩情豊かな演奏です。意図的に演奏したのでしょうか、それとも録音のせいでしょうか、低音が豊かで明瞭に響きます。どちらかといえば前半部の幻想性が印象的ですが、後半部の巨匠的なところも、シューベルトらしい、割り切り過ぎない沈潜の感じられるものになっているように思います。

■ブレンデル(Pf)盤
I=6'02" II=6'43" III=4'48" IV=3'31" total=20'04"
■ミッシェル・ダルベルト(Pf)盤
I=6'30" II=7'16" III=5'13" IV=3'36" total=22'35"

写真は、2枚のCDとポータブルCDプレイヤー、ブログ記事ネタ用ノートと、ごろ寝の際に愛用している、枕がわりのクッションです。当地の朝晩はやけに涼しく、ごろ寝には最適。残暑を嘆く南国の皆様方には申し訳ないほどです(^o^)/
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「おとぎ話」「忘れられた調べ」など、メトネル作品集を聴く

2008年07月21日 12時49分23秒 | -独奏曲
昨日はうれしい三連休の中日でしたが、終日、果樹園の草刈りに追われました。当地も先日梅雨が明けたばかり、雑草の繁茂が著しく、果樹園と言うよりも雑草園という風情ですので、放ってはおけません。しばらく放置した果樹園は、人が入らなくなると、とたんに荒れてしまいます。ガソリンエンジンの爆音を響かせて、動力草刈り機で樹間の雑草を刈り取り、機械が入れないすき間は、動力草刈り鎌で刈り払います。

午前中四時間、少し離れた場所にある果樹園の草刈りをした後、少し昼寝をして鋭気を養い、夕方からさらに二~三時間ほど、裏の果樹園と畑の草刈りをしました。いや~、よく働きました。シャワーを浴びて、ちょいとビールを飲み、先日ひさびさに購入した「メトネル作品集」を聴きました。夜の音楽として近ごろお気に入りのCDです。

ピアノは、先年、山形交響楽団第177回定期演奏会で、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した、イリーナ・メジューエワさん。CDは、DENON のクレスト1000シリーズの中の一枚(COCO-70756)で、1998年の10月に、岩井市民ホールでデジタル録音されているものです。

(1) おとぎ話 変ロ短調 作品20の1
(2) 4つのおとぎ話 作品26 第1番~第4番
(3) おとぎ話 ホ短調 作品34の2
(4) おとぎ話 ホ短調 作品14の2 「騎士の行進」
(5) おとぎ話ソナタ ハ短調 作品25の1 第1~第3楽章
(6) 「忘れられた調べ」より4曲、作品38の2、38の3、38の6、39の3

冒頭の「おとぎ話」変ロ短調 Op.20-1 は、聴く者に訴えかける力の強い、たいへん印象的な作品です。
「4つのおとぎ話」作品26は、ロマン的な気分が濃い作品で、こちらは静かな夜のおともに良さそうです。
「おとぎ話」作品14の2、「騎士の行進」という副題のついた作品も、変化に富んだ、なかなか充実した作品。
「おとぎ話」ソナタ、ハ短調 作品25の1 は、第1楽章がたしかに近代のソナタを実感させる、ソナタ形式の中にも感覚的な響きを強く感じさせる音楽になっています。第2楽章は夜想曲ふうの雰囲気を持った音楽、そして第3楽章は不安な要素の強い緊張感のある音楽です。
いずれも、ロシア革命前の、1910年前後に書かれた作品のようです。
「忘れられた調べ」のほうは、1919年の夏から20年の秋にかけて、ロシア南西の保養地で、日頃書き貯めておいた作品をまとめたものだそうです。本CDでは、その一部を抜粋で取り上げ、「ダンツァ・グラツィオーサ(優美な舞曲)」、「ダンツァ・フェスティヴァ(祝祭の舞曲)」、「カンツォーナ・セレナータ(夕べの歌)」、「プリマヴェラ(春)」の四曲を収録していますが、雰囲気豊かな演奏、録音だけに、もっと聴いてみたいものです。

ニコライ・カルロヴィチ・メトネルという作曲家・ピアニスト(1880~1954)は、ちょうどプロコフィエフやラフマニノフと同じ時代の人です。ただし、プロコフィエフとは違い、20世紀初頭のアヴァンギャルドには背を向け、ロマンティック指向だったらしい。その意味ではラフマニノフと似ていますが、どうも単純に遅れてきたロマン主義者というだけでもなさそうです。感覚的な要素だけでなく、がっちりした構成感もあり、どちらかというとドビュッシーやラヴェルよりは「ロシアのブラームス」というような比喩のほうが、近い印象を受けます。1921年に革命後のロシアを出て、長く英国に住んだ人だそうで、インドの某マハラジャが彼の作品を支持し、援助したのだとか。時代の波に埋没せずに、次の時代に理解者を増やすことができた、という意味では、幸せな人かもしれません。

録音はたいへん鮮明で、自宅のステレオ装置で聴くと、低音域は豊かに響き、かつ右手の高音域もやわらかくとらえられております。こういうステレオ録音だと、聴いているほうにはオーディオ的な満足感もあります。

写真は、単身赴任アパートの近所の家にある、ガクアジサイです。こんもりとした形にルリシジミの群れが乱舞するような色のバランスが薄暮の中にたいへん見事で、気に入っています。
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シューマン「アラベスク」を聴く

2008年06月14日 07時13分26秒 | -独奏曲
ようやく週末になりました。この春に入社した会社の研修で、一ヶ月ほど自宅を離れている娘も帰宅し、ようやく家族の平均年齢が下がりました(^o^)/

今朝は、アンドラーシュ・シフのピアノで、シューマンの「アラベスク」作品18を聴いています。DENON の MyClassicGallery という全集の中の1枚、GES-9252 の末尾に収録されたものです。手元にある資料 "The History of DENON PCM/Digital Recordings 1972-1987" によれば、1977年3月に、武蔵野音楽大学ベートーヴェン・ホールで収録されたものだそうで、作曲したR.シューマンも演奏したシフも、本当に若い頃のもの。青年期の憧れがいっぱいにつまった音楽です。

30年前、デジタル録音も勃興期で、プロセッサーも日進月歩でした。某筑波の大学院で、友人のそのまた友人が、マイコン・キットと音響カプラーと電話回線を使って、300ボーで「ピー・ガー」とコンピュータ通信をしていました。ひそかに使っているはずなのに、特有の音でもうバレバレ。それを喜んで見ている私も若かった(^_^;)>poripori
泊めてくれた友人も、病気のため、若くして鬼籍に入りました。この時期、彼の冥福と奥様のその後の幸福を祈りつつ。

■アンドラーシュ・シフ(Pf) 6'34"
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ウラジーミル・トロップのピアノで「ロシアン・メランコリー」を聴く

2008年05月20日 05時30分15秒 | -独奏曲
何気なく購入したCDが、お気に入りになることがあります。先日入手したばかりの、ウラジーミル・トロップ(*1)のピアノで「ロシアン・メランコリー」というCD(DENON COCO-70934)も、そんな幸せなケースの一つ。1999年の11月に、アクトシティ浜松のコンサートホールでデジタル録音されたもので、昨年の暮れにクレスト1000シリーズの中の一枚として再発売されたばかりです。曲目は、

グリンカ
 (1) 夜想曲《告別》
 (2) マズルカの思い出
ボロディン 「小組曲」より3曲、
 (3) 修道院にて
 (4) 夢
 (5) 間奏曲
ムソルグスキー
 (6) 瞑想(アルバムの頁)
A.ルビンシュテイン
 (7) 即興曲 Op.16-1
 (8) メランコリー Op.51
レビコフ
 (9) ワルツ(おとぎ話オペラ「クリスマス・ツリー」より)
 (10)マズルカ イ短調 Op.8-9
 (11)無言歌 ニ長調
カリンニコフ
 (12)悲歌
 (13)エレジー

というもの。グリンカやボロディンなどもそうですが、カリンニコフのピアノ曲なんて、初めて聴きました。レビコフさん(*2)にいたっては、名前も「はじめまして」です。

全体に、ロシアの音楽好きが集まるサロンで、誰かがお得意のピアノを弾いてくれている、といった雰囲気の曲集です。単身赴任先の小型スピーカでは、ピアノの響きは十全とは言いがたいのですが、それでもこれらの曲目の魅力は十分に伝わります。週末に、自宅のオーディオ装置で聴くのが楽しみです。

写真は、先日ふらりと散歩してきた山形県郷土館・文翔館です。

(*1):ウラジーミル・トロップ氏についての情報
(*2):Wikipediaより、「ウラディーミル・レビコフ」の項
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リストのオルガン曲は通勤の音楽には似合わない?

2008年05月18日 06時09分47秒 | -独奏曲
リストのオルガン曲を聴いていて、オルガンとピアノの違いを感じています。聴いているCDは、argo の「リスト/B-A-C-Hによるプレリュードとフーガ、Reubke/詩篇第94番によるソナタ」(430-244-2)で、オルガン演奏は Thomas Trotter です。



最初のリストの「B-A-C-Hによるプレリュードとフーガ」は、もう最初から威圧的なパイプオルガンの響きで、圧倒されます。と同時に、荒れた路面のロードノイズが大きいときには、二つの音の相乗効果で、どこかの工場の機械騒音のようです(^o^)/
第2曲のリスト作曲、交響詩「オルフェウス」の次に、Reubke 作曲、「詩篇第94番によるソナタ」が登場しますが、これがけっこう長大なソナタで、25分以上かかるものです。音色も、威圧的な部分がなくもないのですが、全体に抑制的で瞑想的なところが多く、静かに聴くことができます。
第4曲、リストの「アヴェ・マリア」、第5曲、同じく交響詩「プロメテウス」が収録されており、リストのオルガン曲を堪能することができますが、どうもパイプオルガンの音は、マイカー通勤の音楽には合わないようです。

さて本日は親戚の法事に出席、夜はN響アワーで、サン=サーンスの交響曲第3番の予定。再びパイプオルガンの豪快な響きを楽しみましょう。
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