以前読んだ本で、宮本常一著『山と日本人』(*1)に、興味深い記述がありました。ニホンオオカミが絶滅する明治以前に、馬や牛を飼育していた村人にとって狼は最大の脅威であり、共同で狩りをしたり、陥穴を掘って狼を落としたりしたとのことです。その狼を狩る奉行の話というのですから、書店で見つけた本書はきっと面白いに違いないと感じ、読み始めました。
郡方、郷目付の岩泉源之進が、お役目の帰路に不審死との知らせがあり、岩泉家の人々は驚愕します。長男の寛一郎は病床にありましたが、嫁の幸江とその嫡男、寛一郎の弟で部屋住みの亮介の暮らしとなります。父・源之進の死は狼に襲われ崖下に転落したものとの証言があり、その線で収拾されましたが、山々に慣れている父がただ狼に驚き転落死したとは思えず、亮介は必ずしも納得していませんでした。
日常は下男と端女の夫婦が支えてくれますが、親族は寛一郎が出仕できずに俸祿だけをいただくわけにはいかないと心配します。そこへ、兄の代わりに亮介が狼狩奉行に就任せよとの藩からの下命があり、亮介は近年増加しているという狼害について調べ始めます。
火縄銃を持つ猟師の協力を得て、「黒絞り」という頭の良い大きな狼が率いる群れと対峙しますが、黒絞りは火縄銃の狙いを察知して猟師を襲います。襲われた猟師は恐怖心にかられ、役に立ちません。そんなところへ父の最期に立ち会った下役の松岡武吉が訪ねてきて、「野馬別当は不正をしておる…」という最期の言葉を伝えます。しばらくして、牧場の別当(管理者)である中里賢蔵が馬を不正に密売しているということをつかみます。
村の子供が狼の犠牲になるに及び、藩は狼害を放置できなくなります。鷹狩のお供をする者たちが大勢で巻狩を行いますが成果は上がらず、逆に手薄になった牧場を襲われ馬が被害にあってしまいます。亮介は、むしろ少人数でチームを組み、連射のきく弓で倒すことを考え、弓に秀でた番方の竜二と組むことでしだいに成果を上げていきます。一方で、野馬別当の不正を探っていた松岡武吉が殺害され緊迫感が増す中で、馬医の中川や兄・寛一郎、兄嫁の妹・美咲らの助けを得ながら次第に真相に迫っていきます。このあたりはまるで良質のミステリー小説のようです。そして、黒絞りとの対決は陥穴作戦というところが、『山と日本人』の記述を思い出させるものがあります。
以下、ネタバレを防ぐためにあらすじは割愛しますが、たいへん面白く読みました。帯にある「選考委員、満場一致!」のコピーがなるほどと思われる読後感は、なかなか良いものでした。帯に「静謐なるデビュー作」とあり、この落ち着いた文章が新人作家のものとは驚きでしたが、調べてみたら1958年生まれの66歳、還暦を過ぎての作家デビューでいくつかの賞を受賞しているようで、必ずしも本書が処女作ではないようです。ああ、やっぱり。そうだろうなあ。若い人とは思えない、余計な雑音のない文章は、古希を過ぎた読者には好ましいものでした。
(*1): 宮本常一『山と日本人』を読む〜「電網郊外散歩道」2024年2月
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