電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ただいま面白く読んでいる本は

2021年05月11日 06時01分08秒 | -ノンフィクション
先月、香月美夜著『本好きの下剋上』第5部第5巻と一緒に購入してきたのが、永田和宏著『タンパク質の一生〜生命活動の舞台裏』です。先ごろ読了した『上杉鷹山』に続き、硬派の岩波新書赤版です。今、前二章を読んだところですが、「DNA→mRNA→ポリペプチド→タンパク質」といういわゆる「セントラルドグマ」のあたりは、よく承知しています。そういえば、昔は大学生になってはじめて学ぶ先進分野だったけれど、50年後の今は高校の生物の教科書に出てくるレベルの内容になっているらしい。しかし、分子シャペロンの役割を論じる第三章あたりからは、アンフィンゼン効果を当然のように信じていた昔の学生(私)には新鮮な記述が続きます。うーむ、そうなのか! 新型コロナウィルス禍で昔取った杵柄の生化学・分子生物学的素養が役立つ場面が多かったけれど、これはちゃんと時代の進歩をフォローするべきだろうか。



もう一冊、隣の『本好きの下剋上』のほうは、あまりネタバレの心配をせずに、そろそろ記事にしてもよさそうな頃合いかも。こちらは再読、三読、とにかく面白い。ありがたいことに、ブログの記事ネタに困ることがありません。

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小関悠一郎『上杉鷹山〜「富国安民」の政治』を読む

2021年05月02日 06時01分12秒 | -ノンフィクション
2021年1月刊の岩波新書で、小関悠一郎著『上杉鷹山〜「富国安民」の政治』を読みました。上杉鷹山の本は興味をもってあれこれ読んでいますが、近世史を専門とする歴史家の立場からはどのように見えるのかが興味深いところです。
本書の構成は、次のとおりです。

序 章 上杉鷹山は何を問いかけているか
第一章 江戸時代のなかの米沢藩
 1 開発・成長の時代
 2 一八世紀の経済変動
第二章 「富国安民」をめざして
 1 江戸時代の「富国」論
 2 竹俣当綱と上杉鷹山
 3 「富国安民」の理論
 4 三谷三九郎と馬場次郎兵衛
 5 殖産政策の展開――郷村出役と村々
第三章 明君像の形成と『翹楚篇』
 1 明君録とはなにか
 2 莅戸善政と上杉鷹山
 3 莅戸善政の思想と『翹楚篇』の鷹山像
 4 『翹楚篇』と寛政改革
第四章 「富国安民」の「風俗」改革
 1 藩財政と民のくらし
 2 莅戸政以の藩政構想
 3 文化初年の民政の展開――北村孫四郎の奔走
第五章 「天下の富強の国」米沢
 1 「富強」藩イメージの形成
 2 高まる名声とその広がり
 3 「富国強兵」を問い直す

本書では、「ダメ地元に名君到来」という立場は取りません。むしろ、若い藩主を名君として育てたものは何か、という点を解明しようとするもので、竹俣当綱や莅戸善政ら執政たちと多くの人々の努力を具体的に描いていきます。

竹俣当綱は、若い鷹山と共に、荻生徂徠の高弟であった太宰春台の著書『産語』を精読し、「富国安民」「尽地力説」などを掴み取ります。経済的困窮の極にあった藩財政の転換のために、取引停止された状態だった三谷家手代を米沢に招聘し、この『産語』を贈って地の利を尽くす殖産計画を提示し、一定の成果を得ます。領内各地に駐在し、農村行政にあたっていた郷村出役たちと殖産計画について協議し、青苧から漆に変更しています。このあたりは、藤沢周平が『漆の実のみのる国』で描こうとしたところでしょう。

莅戸善政は竹俣の六歳下で、鷹山の言行録『翔楚編』を執筆編集しています。これを書き写す形で各地に広がりますが、人は徳を備えるだけでなく積極的に顕示することが大事だと考えていたのでしょう。同様に、政治は人々にわかる形が望ましく、人口増加策として出産給付を行い、他からの移住を奨励し、次三男の土着策を進めます。このあたりは、ふつうの農民の暮らしを重視し、民利を確保するという点で、富国は民の利のため、すなわち安民のためという鷹山の思想を強く打ち出していることが注目されます。

また、藤沢周平『蝉しぐれ』の中で、牧文四郎の役職が郷村出役だったわけですが、この郷村出役の活動が興味深いものがあります。例えば、郷村出役・北村孫四郎は、村々の立て直しのために手引書『冬細工之弁』を書き、写本を三冊作って示達します。これは仮名書きで村役人にも読めるものでしたので、問題に応じ自分たちで取捨選択して対応することができました。さらに『北条郷農家寒造之弁』に改稿、村役人たちに酒を振るまいつつ趣旨を説き、養蚕を通じて収益を確保すること=金銭収益の必要性を重視しています。いたるところに桑を栽培して村をたてなおし、官民ともに潤う「富国」を実現しようとしたものです。また、力田者の表彰や子どもへの教訓書とするなど、富国と安民を同時に追求した莅戸善政と北村孫四郎との意思疎通が指摘されます。



私が特に印象的だったのは、自ら執筆編集した手書き「本」の影響力です。自分でやってみるとわかりますが、コピーするのさえ大変なのに手書きで写本をするというのは実に大変な労力です。相当の意気込みと根気がないと実行できるものではありません。印刷文化がまだ普遍的でなかった時代に、手書き本の写本が驚くべき広がりを見せていたこと。文字、文章、本がもたらすもの、すなわち思想や熱気や倫理・在り方などが、かなり広範囲にしかも深く伝播していたことに驚かされます。上杉鷹山の名君たるところが後世に伝えられたのは、実にこの「伝えたいことがあるならば本を書け」という手書き本の文化によるところが大きいのかもしれません。

実は、米沢市の上杉博物館では、開館20周年特別展(*1)を開催、テーマが「上杉鷹山の生涯〜藩政改革と家臣団」ということです。とくに鷹山の個人的偉業としてとらえるのではなく、実務を担う家臣団との関わりに着目して展示するもののようで、4月17日(土)〜6月20日(日)まで。サクランボ収穫作業が始まる前に、これはぜひ観たい。新型コロナウィルス禍の現状を考え、混み合わない平日だろうなあ。

(*1):米沢市上杉博物館開館20周年特別展「上杉鷹山の生涯」〜「米沢日報デジタル」より

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門田隆将『死の淵を見た男』を読む

2021年04月22日 06時01分01秒 | -ノンフィクション
東日本大震災と福島原発事故から10年ということで、この三月には様々な企画が展開されましたが、その一環でしょうか、TVで映画「Fukushima50」が放送されました。おそらくスクリーンで観たならば圧倒的な迫力に震撼させられたのでしょうが、自宅の書斎で明るい照明の下、CM時には当時のブログ記事などを読み返しながらあの事故の経過を追体験しました。それと同時に、購入したまま積読状態だった原作『死の淵を見た男』(門田隆将著、角川文庫)を読みました。



2011年3月11日の東日本大震災に伴う大津波で全電源を失った福島第一原子力発電所が冷却機能を失い、炉心溶融を起こして暴走する中で、現場のスタッフたちが格納容器の爆発という最悪の事態を防ごうと苦闘する一部始終を描いたノンフィクションです。

10年前、「ベント」という言葉の意味するものがよくわかりませんでした。「ベント」の成否が、当地山形を含む東日本全体がチェルノブイリ化するかどうかを決めたのですね! 本書を読むと、まさに現場スタッフの奮闘と偶然の幸運が、東日本全体の壊滅的状況を辛うじて回避できた要因だったことがよくわかります。

極限状況に置かれた現場と、的はずれな思い込みで迷走する東電本店と政府首脳部の動きが対比されるあたりは、物語を善悪の二元論で割り切りがちな読者をミスリードしやすいのではないかという懸念はありますが、なるほどそういう状況だったのかと今更のように再認識でき、たいへん有意義でした。



率直にいって、こんな状況を作り出したものは何だったのか、むしろそれが知りたいと感じます。

  • 原子力の平和利用を旗印に米国GE社の沸騰水型原子炉を購入することになった経緯(*1)とその背景。昔の東電社長は最初は原子力導入に懐疑的だったはず。
  • 放射性廃棄物という問題を先送りし、当面の利益を享受して電力を確保したことで得た経済的利益と、それを背景とした政治資金や広告資金などの社会的影響。
  • 「千年に一度の災害にいちいち対処していられるか」という発想よりも、むしろ非常用電源設備を地下に設置するという発想の方に、豪雨災害で被害を受けた高層タワーマンションに共通する怖さを感じます。たとえ米国では津波よりも竜巻のほうが危機の度合いは高かったとしても。

実際の意味するところはもう少し時が経ってからでないと見えてこないのかもしれませんが、それにしても原子力の導入を無理に急がせすぎた戦後政治の責任は重いと言えそうです。

映画では、復興オリンピックになるはずだった東京大会がエンディングとなっていましたが、新型コロナウィルス禍ですっかり事態は変わってしまいました。映画の幕切れはちょいとピント外れだったなあ。

(*1):東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯〜Wikipedia より

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有坪民雄『誰も農業を知らない』を読む(2)

2021年03月26日 06時00分41秒 | -ノンフィクション
有坪民雄著『誰も農業を知らない』を読んだ感想の続きです。

「国産米が安い輸入米に変わった」とすると、抑えられる家計の出費はいくらくらいか。途中の議論は省き、結論だけから言えば、年間の米消費量は1人あたり60kgとして、@110円/kg×60kg=6,600円 安くなるので、1世帯4人の家族ならば、1世帯あたり
 6,600円/人×4人=26,400円
の節約になるそうです。一方、自動車の任意保険の1世帯あたりの平均支出額は約10万円とのこと。
これに対する考え方ですね〜。
万が一の自動車事故の保証のために毎年毎年10万円を支出するのに、お米の輸入による3万円弱の節約と引き換えに国内に耕作放棄地が大量に生じてしまってよいのかという問題。
これを重大問題だと考えるセンスは、やはり農業に近い人のものなのかも。広々と広がる水田の保水力が集中豪雨による被害をくいとめているという機能は、失われて初めて頻発する洪水被害として実感することでしょうし、里山の畑や果樹園が荒廃すれば野生動物が市街地に侵入することが日常になるということも、おそらくは身近に現実になってみてはじめて実感することでしょうから。

第4章:農家出身のサラリーマン世代が引退していなくなり、農家経験のない世代が多数派になっている現代。農家を敵視し、田畑で枯れ草を燃やす煙に苦情を言うクレーマーの出現も、そのせいなのかも。
第5章:農薬の否定は難しい。無農薬で長期間に渡り病虫害に対抗するのは困難で、木酢液やニコチン液などは農薬以上に強毒性と指摘します。たしかに、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」はインパクトが強かったですが、当方、小学校低学年でノミ・シラミ対策で首や頭にDDTをかけられた記憶を持つ世代です。DDT禁止による残留毒性低減の功績とともに、途上国ではマラリア死者が増加したという別の側面を考えると、見境のない乱用が問題の本質であって一律に禁止すればよいというのは少々違うのではなかろうか、という考え方は成り立ちます。確かに、某ネオニコチノイド系殺虫剤の空中散布をやめたらしばらくして果樹園にマメコバチなど訪花昆虫が戻ってきています。環境ホルモンの観点からも農薬を見直し、害の少ないものを使っていくという方向性は、経験的にも理解できます。



私自身は、他の人にこうすればよいと勧めるコンサルティングのようなことは考えていませんで、自分の農業経営の経験から考えているだけですが、主張の多くは理解でき、共感するものも多いです。たいへん興味深い本でした。

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有坪民雄『誰も農業を知らない』を読む(1)

2021年03月25日 06時01分57秒 | -ノンフィクション
しばらく前に購入してから少しずつ読んでいた単行本で、有坪民雄著『誰も農業を知らない〜プロ農家だからわかる日本農業の未来』を読みました。2018年12月に第1刷が刊行され、私が購入したのは翌2019年の9月で、同年8月刊の第5刷とあります。おそらくは順調に増刷され話題にもなっていたのでしょう。たしかに、書店では平積みになっていた記憶がありますし、また読んでみて主張の多くは理解でき、共感もできるものでした。

本書の構成は次のとおりです。

第1章 第二次農業機械革命の時代
 IoTは革命になりうる
 もうひとつの革命――遺伝子組み換え・ゲノム編集
 農業のイノベーションの歴史
 いま、農薬は安全である
 農業IoTは地域振興と矛盾する
第2章 無力な農業論が目を曇らせる
 無知な人ほど言いたがる「農業にビジネス感覚を」
 「農業にはマーケティングが欠けている」のか?
 大規模農業のアキレス腱
 夜逃げする無農薬農家
 六次産業化は絵に描いた餅の典型
 ハイテク農業の大失敗を直視せよ
 日本農業の問題点は戦前から指摘されてきた
 なぜ農家は儲からないのにやめないのか
 現実の議論をしよう――コメ輸入をシミュレーションする
第3章 農家も知らない農業の現実
 誰も農業を知らない
 農業知らずの農業語り
 実は農家が変化するスピードは速い
 農林水産省は本当に無能か
 ピントがずれている農協改革案
 農協解体は得か損か
第4章 農業敵視の構造を知る
 「農家は甘えている」
 農業が儲かっていた時代
 「明るい農村」の時代
 農家出身のサラリーマンがいなくなる意味
 邪悪なクレーマー
 明るい材料
第5章 新しい血――新規就農・企業参入・移民
 脱サラ就農はラーメン店をやるより何倍も有利
 誰をバスに乗せるのか――新規就農者に望むこと
 農薬を否定する人は農業の適性がない
 企業が農業参入で成功するためには
 農業は外国からの移民を認めるべきか
第6章 21世紀の農業プラン
 遺伝子組み換え作物の栽培を実現せよ
 兼業農家を育てよ
 中央官庁移転は農業道県に
 海外市場は開拓可能
 辺境過疎地は選別せざるをえない
 農協の経済部門を半アマゾン化せよ
 地元から優秀な農業起業家を育てよ
 「農業経済学・経営学」を農学部から追い出せ
 食育を推進し、学校給食予算を増額せよ
 農家よ、戦え!

さらに、帯のキャッチフレーズがすごいです。

その農業改革案はピンぼけです!
大規模農業論、6次産業化……机上の改革案が日本農業をつぶす。
農家減少・高齢化の衝撃、「ビジネス感覚」農業の盲点、農薬敵視の愚、遺伝子組み換え作物の是非、移民……専業農家のリアルすぎる目から見た日本農業の現状と突破口。

さらに、裏表紙側の帯にはこうあります。

  • 大規模農業ほど価格下落に弱い
  • 6次産業化は絵に描いた餅の典型
  • 無知な人ほど言いたがる「農業にビジネス感覚を」
  • なぜ農家は儲からないのにやめないのか
  • コメ輸入をシミュレーション――さほど安くならない現実
  • いま、新規就農はしやすい。しかし適性がある。
  • 海外市場は開拓可能
  • 兼業農家を残すべき理由
    ……などなど、目からウロコがボロボロ落ちてくる、誰も書かなかった〝ぶっちゃけ〟日本農業論!

著者は1964年生まれ、経済学部経営学科を卒業後に船井総合研究所に勤務、コンサルティングの経験があるらしい。その後、退職して専業農家の跡継ぎとなり、2haの農地で米と60頭の和牛を肥育する農家となっているそうです。なるほど、現役農家の立場からの発言ですので、理解しやすく共感もできるということなのでしょう。

個人的に興味深いと思った点を列挙してみます。
まず第1章:農業におけるイノベーションについて。(1)農業機械のIoT化、(2)遺伝子組み換え・ゲノム編集技術、(3)肥料と農薬、について注目していること。
第2章:大規模農業論について。大規模生産=コストダウンできるとは限らない。経営規模と生産性・効率の図は説得力があります。効率が最大化するには適正規模があり、あちこちに点在する小規模農地を寄せ集めても、機械の積み下ろしと移動に時間が取られるだけ。作物の管理がやりきれなければ、収量や品質が落ちてしまいます。このあたりは、経験上からも言えます(*1〜3)。

(※:長くなりそうなので、2回に分けます。)

(*1):今年の桃の農作業まとめ〜収穫と出荷は過去最高だが反省点も〜「電網郊外散歩道」2019年9月
(*2):2020年の川中島白桃の収穫・出荷状況は〜「電網郊外散歩道」2020年9月
(*3):今年の桃の出荷額は大幅な増加でした〜「電網郊外散歩道」2020年9月

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芥川仁・阿部直美『里の時間』を読む

2021年02月20日 06時00分11秒 | -ノンフィクション
図書館から借りた岩波新書で、芥川仁・阿部直美著『里の時間』を読みました。2014年秋に刊行されたもので、季刊新聞「リトルヘブン」で取材した日本各地の「里の暮らし」を身近な自然の風景をバックに撮影したカラー写真つきルポルタージュとなっています。カバー表紙に記された紹介がいいですね〜。


「都会は、玄関から一歩出っと金かかるべ。ここは一歩出っと、晩のおかずが採れるんだ。」------古来、素朴な自然が残る各地の集落を訪ね、自然と共につつましやかに暮らす人びとの日々の営み、身近にある「幸せ」の姿をさり気ない写真、飾り気ない言葉でそっと伝えます。」

全く、そのとおりの内容です。書かれているのは「ふつうの田舎の暮らし讃」であり非常に魅力的なのですが、ではあるのですが、どこかに同調しきれない気分が残ります。

それは何なのだろうと考えてみると、都会人が「これこそふつうの田舎のやり方」だと考えていることがどうにもステレオタイプだからなのかも。例えば伝統的な料理を作るのに、あれが足らん、これをもう少し、という具合に、しばしば勘と経験でやっているところが描かれますが、我が家の元気老母はキッチリ量を量って味を決めていましたし、ご近所の料理自慢の婆ちゃんも計量する派でした。きちんと量るのは都会風スタイルで、田舎は「人間らしく」適当に、とは限らない。それは単なる個人の性格の違いなのではなかろうか。

「玄関から一歩出ると」の違いで、都会の美観や便利さのためにかけられている労力や経費の大きさを見なければ都会の一面しか見えていないように、「玄関を一歩出ると晩のおかずが採れる」ほどになるまでに払われている維持管理の労力を見ないのは不公平でしょう。ユートピア的田舎観みたいなものがちらほらと垣間見えるところに、田舎在住の者として違和感を感じるのかもしれません。

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橋本健二『新・日本の階級社会』を読む

2021年02月13日 06時01分00秒 | -ノンフィクション
2018年1月に刊行の講談社現代新書で、橋本健二著『新・日本の階級社会』を読みました。「新」とあるからには「旧」があるのでしょうが、理系の石頭を自認する当方には全く記憶がありません。それもそのはず、著者はどうやらジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団の大ファンらしい(*1)という共通点から興味をもって選んだ読書です。

いやいや、それにしても日本の「階級社会」がテーマです。かつては一億総中流と言われた日本社会内部の格差が問題視され、「氷河期世代」とか「ロスト・ジェネレーション」などと呼ばれて「ワーキング・プア」が大きな話題になったことは承知しておりますが、現在の社会の状況が大きく言ってどうなっているのか、そのとらえ方とは別に、社会の実態の方には興味があります。

本書の構成は次のとおりです。

「格差社会」から「新しい階級社会」へ───序に変えて
第一章 分解した中流   
第二章 現代日本の階級構造
第三章 アンダークラスと新しい階級社会構造
第四章 階級は固定化しているか   
第五章 女たちの階級社会
第六章 格差をめぐる対立の構造
第七章 より平等な社会を
参考文献
あとがき

本書のデータは、かなり多面的な指標をもとに分析されていますが、個人あるいは世帯の年収が重視されるのは調査が行われ統計が存在し把握しやすいという理由が大きいのだと思うけれど、「資本家階級」などというとスゴイ資産を連想しますので、なんだかイメージが違いました。

本書では、資本家階級、新中間階級、正規労働者、アンダークラス(非正規労働者)、旧中間階級の4+1階級という区分になっています。この中の、アンダークラスという区分の増加は、まさに「超氷河期時代」「ロスト・ジェネレーション」「ワーキング・プア」などの言葉が指し示す人たちが主流のようで、このまま高齢期に突入したときには、かなり深刻な問題になりそうだというのは理解できます。とくに、生活保護費がパンクしそうな予想が、素人にも容易に想像できてしまいます。その意味では、解決の道を示し得ているとは思えないのですが、現代社会の現状を統計数字としてリアルに把握する上ではたいへん役立ちました。



本書を離れて、自分が見聞した経験の中で、触発されて思い出したものをいくつか挙げてみると:

  • ある20代の女性と10代で障碍を持つ若者(男子)の対立の場面。収入の少ない男の子が、女性の安定した収入をうらやむ発言があったとき、女性は「私も努力したのよ! キミは努力していない、その差よ!」と言い放ったのでした。極端な自己責任論の無慈悲さを感じました。
  • 30代で失明した妻を70代までずっと支え続けた祖父の言葉。目の見えない人を24時間ずっと世話をすることはできない。大事なことは、できるだけ自分でできるように環境を整えることだ。具体的には、床にモノを置かないことだ。
  • 定時制高校で一年生の担任をしていた若い先生の話。16歳になりアルバイトができるようになった母子家庭の生徒が、頑張って昼間働いて6万円の給料をもらえることに。そうしたら、親が病気で生活保護を受けているために、そのうち4万円は没収されてしまうことがわかり、手元には2万円しかのこらない。3ヶ月後には、「どうせ取られるのなら、働かないほうが楽だ」と言うようになったとのこと。働かないほうが楽だと教えてしまう制度ではなく、働いて車の免許を取るための費用を貯えるなど、今の境遇を脱しようとする前向きな姿勢を育てる制度であるべきなのでは。せめて働く定時制高校生には例外規定を設けるくらいのことがあってもよかろうに。


(*1):ジョージ・セルを知っていますか:Do you know George Szell ?

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紙の博物館編『紙のなんでも小事典』を読む

2020年11月15日 06時01分13秒 | -ノンフィクション
講談社のブルーバックスで、紙の博物館編『紙のなんでも小事典』を読みました。香月美夜『本好きの下剋上』に刺激されて紙の作り方に興味を持ち、たまたま見つけたものを図書館から借りてきたのでしたが、意外にすんなりと読めました。「パピルスからステンレス紙まで」という副題のとおり、洋紙、和紙、その他いろいろな紙についての薀蓄を読みやすくまとめたものです。構成は次のとおり。

第1章 「紙頼み」現代社会――ますます必要になる紙
第2章 「漉き」こそ紙の上手なれ――伝統的な製紙法
第3章 「紙技」を機械技へ――近代的な製紙法
第4章 紙は世につれ国につれ――紙の歴史
第5章 源紙物語――すばらしい和紙
第6章 紙をも恐れぬ使い道――意外な紙製品
第7章 紙ならぬ身――意外な素材の「紙」
第8章 捨てる紙あれば拾う紙あり――紙のリサイクル

とくに興味深かったのは、製紙法の歴史や和紙の特徴などでした。オフセット印刷には向かないらしい和紙も、レーザープリンタやインクジェット・プリンタでは使えるのだそうで、それは面白そうです。一句うかんだら毛筆でサラサラと、というような才能はありませんが、なんでもコピー用紙ばかりでは味気ないですので、和紙、クラフト紙、ケント紙、アート紙、その他いろいろな紙を工夫して使ってみたいものです。

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山本紀夫『ジャガイモのきた道』を読む

2020年11月07日 06時01分34秒 | -ノンフィクション
先日、図書館から借りた岩波新書で、山本紀夫著『ジャガイモのきた道〜文明・飢饉・戦争』を読みました。岩波新書創刊70年の記念年であった2008年の5月に第1刷が刊行されているようで、著者は1943年に大阪で生まれ、「あとがき」にあるように、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』に影響を受け、この道に入ったもののようです。本書の構成は次のとおり。

はじめに ジャガイモと人間の壮大なドラマを追って
第1章 ジャガイモの誕生―野生種から栽培種へ
第2章 山岳文明を生んだジャガイモ―インカ帝国の農耕文化
第3章 「悪魔の植物」、ヨーロッパへ―飢饉と戦争
第4章 ヒマラヤの「ジャガイモ革命」―雲の上の畑で
第5章 日本人とジャガイモ―北国の保存技術
第6章 伝統と近代化のはざまで―インカの末裔たちとジャガイモ
終章 偏見をのりこえて―ジャガイモと人間の未来

思えば、週末農業で果樹ばかりにエネルギーを集中し、野菜畑は老母と妻にまかせきりにしていたところを、退職して自由になった昨年一年間、私も野菜作りに参加し始めました。そこで経験した里芋やジャガイモなどイモ類の栽培はたいへん新鮮で、とくに日本での歴史の新しいジャガイモには興味があります。

アンデスの山岳地帯で、野生種ジャガイモから毒を抜く方法が工夫されて栽培されるようになり、品種改良を経て高い生産性を発揮するようになります。やがてヨーロッパを経て江戸時代に日本に伝えられ、とくに東日本の寒冷地に救荒作物として定着していきます。この過程がたいへん興味深くおもしろい。十代の頃、学校で習った飢饉対策の救荒作物は甘藷先生と呼ばれた青木昆陽とサツマイモの話ばかりで、東日本におけるジャガイモの意義などは聞いたことがありませんでした。その意味でも、日本史における白河以北は一山三文扱いなのだなと感じます。

将来の食糧危機にもジャガイモの可能性を説く著者の見解はあまり当たってほしくないけれど、気候変動時代の新型コロナウィルス禍の渦中では絶対に起こらないとは言い切れないところがコワい。



例によって、著者の文脈とは無関係に、個人的に興味を持った点は次のとおり。

  • アイルランドの飢饉の原因は、単一品種のジャガイモだけに依存する災害になっていたこと。真菌類のフィフトラ・インフェスタンスが原因。
  • 16世紀に日本に伝えられた救荒渡来作物は、(1)カボチャ、(2)サツマイモ、(3)ジャガイモ。
  • 18世紀にはドイツ・オランダ等、北ヨーロッパを中心にジャガイモ栽培が普及し、主食化した。
  • アンデス山地で標高差が1,000mにおよぶ高低差を持つジャガイモ栽培の理由は、植え付け時期をずらすことで収穫時期を変え、危険分散すること。(垂直分散)
  • 5年に1回ずつ植え付け、四年の休耕期間をおく理由は、線虫被害の防止にあり、他品種混植も病虫害耐性の違いに基づき、全滅を回避するアンデス山地に適した方法。(水平分散)
  • 栄養豊富なジャガイモの欠点は水分量が多いことで、長期保存が難しい。加工食品の工夫が必要になる。

などです。たいへん興味深く、収穫したら数日〜一週間ほど晴天の乾燥したお天気で乾かす必要がある理由も納得しました。

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桜井俊彰『長州ファイブ〜サムライたちの倫敦』を読む

2020年11月05日 06時00分26秒 | -ノンフィクション
今月11月新刊の集英社新書で桜井俊彰著『長州ファイブ〜サムライたちの倫敦』を読みました。一昨年に読んだ中公新書で柏原宏紀著『明治の技術官僚〜近代日本と長州五傑』と共通の方向性ですが、中公新書のほうが伊藤博文と井上馨を除く三人の、技術官僚としての役割に注目したものであるのに対して、本書は最も若い長州ファイブの一人で「鉄道の父」と呼ばれる井上勝(旧名:野村弥吉)を中心に取り上げたものです。語り口は平明で、むしろざっくばらんな講話を聴いているような趣です。

本書の構成は、次のようになっています。

プロローグ 英国大使が爆笑した試写会での、ある発言
第一章 洋学を求め、南へ北へ
第二章 メンバー、確定!
第三章 さらば、攘夷
第四章 「ナビゲーション!」で、とんだ苦労
第五章 UCLとはロンドン大学
第六章 スタートした留学の日々
第七章 散々な長州藩
 休題 アーネスト・サトウ
第八章 ロンドンの、一足早い薩長同盟
第九章 「鉄道の父」へ
エピローグ 幕末・明治を駆けた長州ファイブ
あとがき
長州ファイブ年譜

ご覧のとおり、密航留学の実際の姿と思われるエピソードが多く語られており、読み物としても面白く、これならば高校生あたりにも面白く読めるのではないかと思います。

とくに興味深かったのは、著者も四十歳代で留学したというUCL=ロンドン大学の性格を伝えるあたりで、「ガワー街の無神論者たち」とオックスブリッジを出た保守層から非難されたロンドン大学の開放性、革新性が印象的で、だからこそ東洋のサムライ青年たちを受け入れる許可を出したのだなと納得できました。



ただし、本書の意義をあとがきのように「留学のすすめ」にまとめてしまうのは少々疑問です。古くは遣隋使・遣唐使の時代から長州ファイブまで、留学生が日本を作ってきたのだから、コロナ後の若者よ海外を目指せ、というだけでは、正直に言っていささか物足りないように感じてしまいます。

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水谷正大『LaTeX超入門』を読む

2020年09月12日 06時01分39秒 | -ノンフィクション
講談社から2020年7月に刊行されたブルーバックスで、水谷正大著『LaTeX超入門〜ゼロから始める理系の文書作成術』を読みました。たまたま図書館で手にして、ちょうど試そうと思っていた Cloud LaTeX というオンラインサービスについての記載があり、借りて読んでみた次第です。

考えてみれば、LaTeX 本を買わなくなってからしばらくなります。最初に購入したのが奥村晴彦著『美文書作成入門』の初版第1刷(1993年)で、FM-Towns に GNU-2 CD-ROM から高橋忠志版 TeX/LaTeX を導入、この本の記述を手がかりに、便利に使い始めたものでした。以後、改訂されるごとに購入し、便利に使っていました(*1)が、今手元にあるのは2007年の改訂第4版が最新です。その意味では、本書は実に13年ぶりに接する LaTeX 本です。



コンパクトな新書版のサイズではありますが、本書の構成は次のようになっています。

第1章 LaTeX にできること
第2章 Cloud LaTeXで始める LaTeX
第3章 LaTeX 文書の書き方
第4章 文書を構成する書式(概要/引用/文章の配置/箇条書き/書体/特殊な記号の表示 など)
第5章 数式を書く
第6章 便利な機能を使いこなす(ハイパーリンク/文字列の変形/ルビ/縦書き など)
第7章 参考文献と索引
第8章 作表
第9章 スライドの作成
第10章 作画
第11章 さらに進んだ使いかたの仕方

この中で、パラグラフ・ライティングを含む通常の LaTeX 文書の書き表し方については特に変わったところはありませんが、改訂第4版までの奥村本には記載のない、Cloud LaTeX 等のオンラインサービスの使い方やそこでの画像に関するテクニック、縦書き日本語文書クラス jlreq、スライドの作成 beamer パッケージ、高機能な作画法 TikZ/PGF などに関する記述は、初めて知ることが多いです。おそらくは、私が TeX/LaTeX から離れていたこの10年の間に、大きな変化が起こっていたのでしょう。



また、奥村本をはじめ従来の LaTeX 本は分厚く高価なものが多かったうえ、TeX/LaTeX システムのインストールと設定には、細かく気を使うことが多かったので、いざ使い始めるまでの関門が高かったように感じます。Cloud LaTeX のようなオンラインサービスを使えば、環境設定の面倒もありませんし、ブルーバックスのような安価でコンパクトな本があれば、理系の学生さんたちには便利だろうと思います。新型コロナウィルス禍の影響で大学を続けることが困難になっている若い人が多い時代に、これから LaTeX で論文を書こうという学部学生・大学院生にとってはかなりの福音になっているのかもしれません。

(*1):LaTeXで資料を作成〜「電網郊外散歩道」2005年1月

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上野千鶴子『おひとりさまの老後』を読む

2020年08月20日 06時01分23秒 | -ノンフィクション
文春文庫で、上野千鶴子著『おひとりさまの老後』を読みました。帯のコピーが「結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり」「もう老後は怖くない! ひとりで安心して死ねる」にひかれて手にしたのですが、全体的にはなるほどと納得できる、説得力のあるものでした。

本書の構成は次のとおり。

第1章 ようこそ、シングルライフへ
第2章 どこで どう暮らすか
第3章 だれと どうつきあうか
第4章 おカネは どうするか
第5章 どんな介護を受けるか
第6章 どんなふうに「終わる」か

内容としては、もっぱら女性向けに「ひとりでも別に寂しくはないし困らない」「住み処があり、おカネがあり友人がいること」「介護される覚悟とコツ」「人は死んで記憶を残す」など、1948年生まれの著者が女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニアとして培った経験が存分に活かされたものなのでしょう。

たしかに、家事能力を養い、住処とお金などの生活基盤の上で、友人との付き合いに丁寧に対処していれば、あとは介護を受ける覚悟とコツをわきまえて、一人暮らしは可能であり、そういう社会的制度、基盤もある程度できている、のかも。



では、本書でカバーしきれないものとは何か? それは多分、恵まれない境遇にある人には必ずしも当てはまらないのではなかろうか、と思える点です。例えば、住む家もお金もない場合はどうか、あるいは重い障碍をかかえた子を持つ親は、「親亡き後」を危惧しながら、責任のない「おひとりさま」の自由をどんなにかうらやみ夢見ることだろう。著者は、「それはアンタが選んだ結果でしょ」と言うのか、それとも? 

それらは、本書のカバーする範囲を超えています。でも、主として統計数値を扱う社会学的研究においても、思わず絶句してしまうような個々のケースに、著者が胸を打たれることは少なくなかったのではなかろうか。話題になった東大の入学式での祝辞(*1)は、広い意味では、たぶんそういうことも含めた、後進に対する激励だったのだろうなあ。

(*1):平成31年度東京大学学部入学式祝辞
(*2):上野千鶴子「私が東大祝辞で伝えたかったこと」〜東洋経済オンライン

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コクヨ株式会社『コクヨの結果を出す整理術』を読む

2020年08月11日 06時01分16秒 | -ノンフィクション
以前、単行本で出ていた『コクヨの結果を出す整理術』が文庫本になっているのを見つけ、買い物帰りに書店で購入して来ました。三笠書房の「知的生きかた文庫」という、何やら「こちょびたい」(*1)シリーズ中の一冊です。

Part 1 コンパクトにまとめる  001〜030
Part 2 わかりやすく分ける   031〜060
Part 3 気持ちよく使う     061〜080
Part 4 自由に楽しむ      081-〜100

という具合に、社内オフィスが定位置を持たない「フリーアドレス制」をとっている同社の流儀が、一般家庭の書斎に役立つ面がどのくらいあるのか疑問な面もありますが、まあ、それなりに面白かった。「キーボードは小さいものを選ぶ」とか「カバンの中身はA5でそろえる」とか、無難なところはすでに実践しています。しかし、中には「ん?」と首を傾げるような内容も。例えば

  • 書類は4枚を「1枚にまとめる」 これは、コピー機の編集機能を用いて、A4文書4枚をA4両面に縮小しようというものです。うーむ、実例では4枚の見積書を 4 in 1 で3枚減らすとあるけれど、4枚の紙を1枚にコピーするなら計5枚になって紙の無駄だし、画面上4枚分を1枚に縮小集約するのなら、もともとの画面が無駄の多い様式だったということなのでは。老眼世代には、縮小 4 in 1 などというと、情報量ゼロに近いかも(^o^)/
  • 「手帳兼ノート」を1冊持ち歩く B5サイズのバインダーにルーズリーフのノートを入れて、スケジュールもノートもこれ一冊で間に合わせる、というもののようです。スケジュールは Excel で自作し、打ち合わせの内容をノートに書くという運用みたい。同様のことは、現役当時に試みていましたが、仕事のバインダーを自宅に持ち帰らないようにしていましたので、結局はスケジュール管理用に手帳を別に持つ必要があり、二度手間になるため、手帳に一本化することになりました。

逆に、今更ながら「なるほど〜!」と思ったのは次の点です。

  • 分類は「その他」から始める はじめは何でもかんでも「その他」に入れておき、増えてきたら専用フォルダーを利用して区分していく、というやり方です。まあ、はじめは「音楽」「読書」「コンピュータ」「散歩」「Weblog」等で始めた当ブログが、「Weblog」の肥大化に伴いカテゴリーが独立していき、現在のように増えてきたのと同じ理屈ですね。

いや、整理術の前に机上の乱雑さを整理整頓することが先でしょう、とアホ猫(母)が言っています。まことにごもっともで(^o^;)>poripori

(*1):「こちょびたい」は、山形弁で「こそばゆい」「くすぐったい」のような意味。
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ハーバート・パッシン『日本近代化と教育』を読む

2020年06月05日 06時01分59秒 | -ノンフィクション
1980年にサイマル出版会から刊行された単行本で、ハーバート・パッシン著(國弘正雄訳)『日本近代化と教育』を読みました。購入したのが1988年11月と書き込みがありますので、実に32年ぶりの読了ということになります。おそらくは、渡米時の体験から日本社会の特質を考えることとなり、その一助として本書を手にしたのだったろうと思いますが、今となっては忘却の彼方、しかしなぜか本書への関心は消えずに残り、古本屋に売り払うこともせず、このたびようやく読了した、という次第です。

本書の構成は次のとおりです。

I 近代化を目指して
 1章 教育の近代化
 2章 徳川期教育の特性
 3章 近代教育の基点
 4章 明治政府の教育理念
II 工業化と教育
 5章 日本社会の変化と教育
 6章 高等教育の特質
 7章 教育の中のイデオロギー

ここで、著者パッシン氏は、コロンビア大学の教授の地位にありましたが、もともとはカリフォルニア州モントレイにあった陸軍日本語学校の秀才で、戦争をきっかけに日本研究を専門とするようになったけれど、その研究スタイルは少々異色で、「インドやメキシコなど中後進社会を社会学者の目でつぶさに観察」した結果、「今日の日本をもたらした原動力」として見出したものが「日本近代化における教育の普及と充実」であったとのこと(訳者まえがき、p.5)。

このことは、今となってはすでに常識となっていることではありましょうが、原著『Society and Education in Japan』が書かれた1965年には、たぶんまだ常識となってはいなかったろうと思われます。

前半の、徳川期の教育と明治期の教育の特性がとくに興味深く、統計データをもとに描かれる社会の変化は、必ずしも一直線ではない。とくに明治政府の教育理念として森有礼の姿勢の捉え方はおもしろいものです。すなわち、

  • 科学技術の進歩のためには欧米風の懐疑もしくは批判精神も重要だが、明治の指導者たちが目指す絶対的立憲君主制には脅威となる。
  • 義務教育部門において道徳心と愛国心を徹底的に叩き込んでおけば、エリートを対象にした大学レベルの教育においては学問の自由や批判的合理主義を基調にしても大丈夫である。

というものです。なるほど、これが戦前のアカデミズムにおける一種の自由さと、義務教育レベルの苛烈な修身主義・国家主義との対比を説明するものかと腑に落ちました。

後半の、1950年代から1960年代前半の社会事情を基礎に書かれた内容は、私よりも少し上の世代のことを想定すればよくわかる内容で、意外性はあまりなく、むしろ現代社会と当時との隔たりを大きく感じます。こんなに遠く離れてしまったのだなと、思わずため息が出るほどです。背景にあるのは、やはり団塊の世代の人口急増の頃と、少子高齢化が進行する現代との違いでしょう。



購入直後の1988年頃に読めていれば立派なものでしたが、たぶんその頃は MS-DOS や config.sys などの知識を猛烈に探求していた頃で、有意義な読後感を持てたかどうかは疑問です。むしろ、32年も経過した後の今だから、客観的にゆったりとした見方で受け止めることができる、といったところでしょうか。

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高橋義夫『沖縄の殿様』を読む

2020年05月23日 06時01分23秒 | -ノンフィクション
明治維新の後、米沢藩主・上杉茂憲(もちのり)は県令として沖縄に赴任します。そういう史実があったことは承知していましたが、雪国生まれの元大名がなぜ南の島沖縄に行くことになったのか、またそこでどのような生活をしていたのか、実はかなり不思議でした。たまたま当地のローカルテレビで、作家の髙橋義夫氏が沖縄を訪れ、上杉茂憲の足跡をたどるという番組を観て、『沖縄の殿様〜最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記』という中公新書の存在を知り、さっそく入手して読んでみたものです。

本書の構成は次のとおりです。

序章 雪国と南島
第1章 沖縄の発見
第2章 沖縄本島巡回
第3章 教育と予算
第4章 刑法と慣習
第5章 上杉県令の改革意見
第6章 政治的刺客
第7章 辻遊廓
第8章 県費留学生
第9章 那覇八景

元大名というと、苦労知らずのボンボンというような誤解が生まれがちですが、上杉茂憲は明治維新と戊辰戦争という荒波を経て、廃藩置県の翌年にあたる明治五年、華族に海外留学を促す明治天皇の勅諭に従い、およそ一年間の英国留学をしているそうです。この間に妻と長女を亡くしたばかりか、側室の不義が発覚、継室と離縁し、三十六歳で十五歳下の妻を得てようやく身辺が落ちつくという、公私ともに苦労人だったようです。明治十四年に沖縄県令に着任することになったきっかけというのが、やっぱり「家計の窮乏」によるもので、初代県令鍋島直彬が病気で辞任した後に、池田成章を抜擢する形で上杉に決まった、ということのようです。

しかし、当時の沖縄は、宮古島の上納船が台湾に漂着し、乗組員が現地住民に殺害された事件をきっかけに「征台の役」が起こり、軍事力を持って琉球国を琉球藩として帰属を清国に認めさせ、賠償を勝ち取り沖縄県を設置するという、いわゆる琉球処分を行って十年にも満たない頃でした。この微妙な時期に、「県治においては決して美治の急施を要むべからず」との方針のもとに、上杉新県令が発令されたことになります。

ここからは、上杉県令の沖縄の旅を記録した『沖縄本島巡回日誌』等をもとに、様々な視点から茂憲が庶民生活を視察した様子が具体的に描かれます。端的に言えば、薩摩藩の過酷な収奪に発する貧しさと借金、およびそこから派生する諸問題です。

具体的な中身は省きますが、上杉県令は改革意見を政府に上申します。ところが、これが明治政府の沖縄統治の方針に異を唱えたとして問題になります。その回答が、政治的刺客として尾崎三良を送り込み、上杉の県政を覆すことでした。このあたりは、改革派の支社長に本店側が腹心を送り込み、改革を頓挫させるという権力闘争を思わせるドラマです。

では、上杉茂憲の改革案はすべて水泡に帰したのかというと、必ずしもそうとは言えないのが救いです。著者は、教育の振興や内地への県費留学生の推進などをあげ、彼らの活躍が沖縄振興に貢献したとして、上杉の人材育成策を評価します。たしかに、「外交的・政治的に微妙なのだから、旧のまま放っとけ、あまり急に変えるな」という方針は政治的には老獪なのかもしれませんが、例えば辻遊郭に対する上杉県令が立てた規則を、遊郭側の苦情に応じて旧に復した結果が、笹森儀助の『南島探検』における指摘「成年男子の六割が梅毒に感染」し、「徴兵の予備検査をこころみたが徴兵適当者は百人中二、三人しかいなかった」(p.183)という惨状になってしまったのではないか。



歴史に「If〜」はなく、上杉県令の統治を美化するのも必ずしも正しいとは言えないのでしょうが、それにしても尾崎の妨害がなく、もう少し上杉県令の統治が続いていたらどうなっていたのだろうかとちらりと想像してしまいます。と同時に、やっぱり明治政府というのはある意味元テロリストの政権であり、本性というか、軍事的・強権的性格はここにも流れているのだな、と痛感させられます。

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