電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『孟嘗君』第4巻を読む

2006年04月16日 20時18分52秒 | -宮城谷昌光
桜前線はもう福島県と山形県の県境あたりまで来ていると思いますが、開花を前に気温の方はやや足踏み状態です。昨日今日と家内も風邪気味で、終日自宅で過ごしました。こうなると、読書もはかどります。『孟嘗君』第4巻を読み終えました。

「それぞれの道」の章は、斉の宰相である鄒忌(すうき)の悪役ぶりが描かれる。馬陵の戦いで、孫子の指揮のもと、斉軍は魏に劇的な勝利をおさめる。しかし、凱旋する田忌将軍を待っていたのは、讒言により反逆者として亡命する運命であった。田文の親友である夏侯章の父は、田忌将軍のために重傷を負う。
「父と子」の章では、隻真とともに田嬰を仇と狙う隻蘭が、実は真犯人である鄒忌に騙され復讐心を利用されて、心ならずも王の子を宿したこと、そして鄒忌の手から田文に救われる経緯が描かれる。
「流別」の章では、白圭のもとで隻蘭が王の子を産む。蘭は誤った復讐心により失った心の平安を悔い、黄河の治水に挑む白圭のもとで無償の事業に打ち込む田文を慕う。白圭は蘭を洛芭(らくは)と改めさせ、田文を慕う心を憐れみながら、秦の公孫鞅のもとに行かせる。最後の一夜を共にした洛芭は、田文の子を宿す。
「壮者の時」の章では、秦の孝公が没し、暗愚の子・恵公が即位する。宰相である公孫鞅を憎む恵公は、商鞅の亡命を許さず、これを討った。公孫鞅の妻・風麗は白圭の妹であり、逃亡の途中で山賊の手に落ちる。田文らは身代金を運び、風麗らを救い出す。
一方、「靖郭君」の章では、田文の子を伴って秦を脱出した洛芭が子どもと離れ、趙の公叔家に捕われの身となる。偶然に出会った養父隻真に、真の仇は田嬰ではなく鄒忌であることを伝え、ようやく脱出に成功する。その頃、鄒忌は政敵の田忌の復帰を妨げるべく楚に向かうが、その隙に田嬰は謹慎を解かれ、韓の昭侯と魏の恵王を斉の威王のもとで同盟を結ばせることに成功する。この外交上の成果により、田嬰は靖郭君と呼ばれるようになる。
「徐州の戦い」の章では、田文が楚の亡命先に田忌将軍を訪れる。斉の威王は、魏との外交上の成果を賞し、鄒忌を罷免し靖郭君・田嬰を宰相とする。斉と楚の戦いは楚の勝利に終わるが、田嬰家の食客であった張丑を伴って公孫閲が粘り、田嬰の失脚は阻止される。

斉の国を蝕む悪役・鄒忌の存在感はたいへん大きいものがあります。田嬰の最大の政敵であると同時に、田文・洛芭の二人にも、不倶戴天の敵役でもあります。これだけ強力な悪役を描くと、いかに打倒するかが中心になり、悪役が倒れた後の描きかたが難しいと思いますが、さてどうでしょうか。

写真は、河原のネコヤナギの新芽です。
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宮城谷昌光『孟嘗君』第3巻を読む

2006年04月15日 16時39分38秒 | -宮城谷昌光
講談社文庫で、宮城谷昌光『孟嘗君』を再び読み始めた。今日、第三巻を読了。このWEBLOGによれば、ちょうど1年前の4月に、第2巻の記事を投稿(*)し第3巻について書こうとしたら、サーバがこみ合って記事が消失したことがわかる。最近はゴールデンタイムを避けているので、記事の消失という事態は経験していない。これはシステムの強化あるいは表示の工夫などが効果をあげているためもあるのだろう。

「決闘の時」では、捕えられた妻・翡媛(ひえん)を救うべく、単身で花館に乗り込む養父の白圭を田文は尊敬する。花館においてクーデターを計画していたのは、趙を頼る公子緩を中心とする公孫頎と政商・恢蛍らの一味だった。孫子をかくまいぬいた白圭らは、恢蛍を討ち果たすため、国境へ向かう。
「東方の風」の章では、斉召と厳建、白圭、そして鄭両らが斉巨の仇である恢蛍を討ち果たす。斉に戻ることができない翡媛は、孫子の助言に従い翠媛(すいえん)と名を変え、田忌将軍のもとに身を寄せる。白圭が戻れば斉の貴族・田嬰の実子である田文と翠媛との別れが近づく。
「斉の軍師」の章では、孫子がいかにして斉王の信頼を得て軍師となるかを描く。競馬で王の駿馬に勝つ方策を献じた孫子は、田忌により王に推挙され、魏に攻められた趙を助けるために、田忌将軍に従い出発するが、その背後には宰相・鄒忌の悪意があった。
「桂陵の戦い」では、孫子の兵略により、田忌の率いる斉軍が四万の魏軍を打ち破る。田文は生母・青欄に会うが、実父・田嬰は鄒忌の悪意により壊滅の危機にあった盟友の田忌を救うため外交交渉にあたる。
「再会」の章では、田文が夏侯章らの友人を得て成長するが、田嬰を仇と誤信する隻信の娘として育った蘭と運命的に出会う。田嬰の毒殺は未然に防いだものの、田嬰は文が実の子であることを知る。田文の優れた資質を田嬰家の人々は知るようになるが、田文は暖かい家庭を知らず、白圭と翠媛を思いながら孤独な生活を送る。
「馬陵の戦い」の章では、秦に唆された韓が魏を攻める。孫子に師事し孫子の真価を知るがゆえに、他国に奪われるより孫子を殺そうとした龐涓(ほうけん)は、将軍として出撃し、韓軍を撃破する。斉の威王は韓を助けると決意し、孫子を陰の元帥とし、田忌・田肦の二将軍を急派する。これが多くの説客を率いた田文の初陣であった。孫子の兵略は冴え、龐涓(ほうけん)はハリネズミのように多くの矢を受けて死ぬ。

この巻から、白圭が次第に後景に退き、田文が主人公として登場してきます。このあたりの自然な展開が実にうまい。

ところで、田嬰がなぜ実子・田文を赤ん坊のうちに殺すことを命じたのか。それは五月五日生まれの子どもは不吉だからだというのですが、ではどうして日本では五月五日が子どもの日なんでしょうね。ちょっと理解できません。

(*):宮城谷昌光『孟嘗君』第2巻を読む
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再び宮城谷昌光『香乱記』を読む

2006年02月19日 23時17分54秒 | -宮城谷昌光
しばらく前に図書館から借りていた宮城谷昌光著『香乱記』の返却期限が近付いた。昨日と今日、全三巻を一気に読み終えた。昨年春に読んで以来、二度目の読了。毎日新聞社刊の単行本三冊で、たぶん文庫にはまだ入っていないのではないか。

秦が倒れ、項羽と劉邦が争う時代を背景に、斉の田三兄弟、特に田横を人間性豊かに描いた作品である。酷薄な項羽と腹黒い劉邦の争いは卑しいが、侵略を是としない斉の在り方はすがすがしい。最後は騙し討ちのように亡国の憂き目を見るに至るが、主従の信頼が最後まで保たれ、読後感は悪くない。また田横を慕う薄幸の女性たち、小伽、希桐、蘭などが登場するけれど、なぜ希桐が去らねばならないのかは最後までよくわからない。

先日、高校の同級生の集まりがあり、『デイヴィッド・コパーフィールド』第1巻を持っていったところ、見事に会場に忘れてきてしまった。うかつなことだ。まことに残念無念(^_^;)>poripori
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宮城谷昌光『華栄の丘』を読む

2005年10月20日 19時16分54秒 | -宮城谷昌光
かつて大国であった国が、滅亡の淵から小国を立てる。商(殷)が暴虐の王とともに滅び、残された民が立てた国が宋である。強大な二つの国、楚と晋との間にあり、宋王・昭公の死により即位した文公は、襄王夫人の推挙により、華元を右師(右大臣)に任命する。出目で太鼓腹の巨躯を持つ華元は、争いを好まない。先手を打ち勝ちを狙うことをせず、相手に攻めさせて大義を得ることを重視し、見事に防ぎきるタイプだ。乱世とはいえ、戦で何万人も殺すことを常とする将軍や王を主人公とした物語を読んでいると、なんだか殺伐とした気持ちになる。だが、争わず勝とうとせず、義において負けないことを主題とした王と宰相の物語は、いっぷう変わった味わいがある。
文公と華元の信頼関係は、心を打つものがある。華元がとらえられたとき、文公は「わが庫が空になろうとも」華元を救えと命じた。無残な戦国の時代に、こういう話は心洗われるようだ。何度か読み返してなお後味の良い中編である。

剣道や柔道とは異なり、弓道の試合は相手が強いから負けるのではない。相手がいかに強かろうと関係がない。外すのは自分である。勝とうとして勝てるわけではない。淡々として的を外さなければよい、つまり負けなければよいのである。華元の流儀に、ふとそんなことを思った。

自己に苦しみ、徳の薄さを哀しむ士仲に対し、華元は言う。
「徳は、生まれつき、そなわっているものではない。積むものだ。足もとに落ちている塵をだまってひろえ。それでひとつ徳を積んだことになる」

20世紀、道端のゴミ集積所から、ゴミ袋が一つ、邪魔っけに道路に転がっていた。若者は足で道路の端に蹴り寄せる。通り過ぎた後、すれ違ったいきつけの床屋のじいさんが、どっこいしょとそのゴミ袋をあるべき場所に抱え上げていた。四十年前の光景を思い出し、中年となったかつての若者はただ恥じいるばかりである。
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宮城谷昌光『楽毅』(二)~(四)を読む

2005年08月07日 19時07分39秒 | -宮城谷昌光
昨日、書店で宮城谷昌光『楽毅』の第二~四巻、札幌で探せなかった分を購入し、昨日と今日で一気に読了した。長い軍事の物語である。

首都を失い、中山王尚を助けて趙軍とゲリラ戦を戦った楽毅だったが、最後に六百名が残るだけとなる。王は断を下し、辺境に引退することに同意、ここで中山国は滅び、楽毅は失意のうにち中山を離れ、魏の孟嘗君のもとでようやく生気を取り戻す。やがて、魏王の正使として燕に赴くこととなるが、燕の昭王は楽毅を高く評価し、当面利の薄い魏との同盟に同意することで楽毅を得、斉への復讐の第一歩を踏み出す。楽毅は燕王の厚い信頼のもとで外交と軍事に才能を発揮し、ついに斉を平定するが、理解者であった燕王昭の急な逝去と楽毅を憎む愚かな太子の即位により趙に亡命、若い趙王の敬愛を受けながら晩年を送る。

名将・楽毅の物語の主題はやはり軍事であり、為政者としてよりも将軍としての事績が主となっている。将軍の活躍の前提条件は命じる王の理解と支持であり、この点て名宰相の政治的物語とはやや異なる色合いを見せている。
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宮城谷昌光『晏子』を読む

2005年05月22日 20時58分27秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光の『晏子』第1巻~第4巻を読んだ。前半の第1巻と第2巻は、父・晏弱の物語だ。後半の第3巻と第4巻は、子・晏嬰の物語である。

春秋時代の中国で、使者として斉王・頃公に拝謁しようとした晋卿が、王の生母にその容貌を哂われ、激怒したことから、斉と晋の間に険悪な空気が流れる。王の命により断道の会に赴いた晏弱は、辛うじて死中に活を得、斉に帰還し復命したことで、亡命貴族に過ぎない立場から一転して斉の将軍となる。優れた人格を備え、智謀と戦略により東方の諸国を従えた晏弱は、斉の政変を越え見事に対処することで、人々の信頼と期待を集める大夫となるが、国の存亡をかけた危難の最中に急死してしまう。
そして、戦乱の中で三年の喪を通した晏弱の息子・晏嬰は、小さな体に父の意を受け継ぎ、霊公、荘公、景公と三代の王に仕え、諌め教えた。その毅然たる進退は、春秋戦国の世にあって、見事なまでに一貫している。

父・晏弱が途中あまりにあっけなく死んでしまうので、一時はどうなることかと思ったが、父と子の物語だったのですね。
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宮城谷昌光『青雲はるかに』を読む

2005年05月11日 20時46分20秒 | -宮城谷昌光
集英社文庫で、宮城谷昌光の『青雲はるかに』を読んだ。大望を抱いた貧しい男・范雎(はんしょ)は、学問を基に諸国を巡るが仕官の道を得られず、空しく故郷に帰ってくる。故国でただ一人理解し待っていてくれた友人の妹の病を救うべく、意に沿わない仕事に就くが、そこで冷酷な魏の宰相・魏斉により無実の罪に落とされる。無残に鞭打たれ、厠室に投げ込まれて蛆虫の餌食になるところを、死の寸前で救われた范雎は、じっと身を潜めて気力と健康の回復を待つ。彼を救ったのは、不幸にも魏斉の妾とされていた最愛の女性・原声と、楚の貴族の娘でありながらひたむきに范雎を愛する女性・南芷らであった。やがて、友人らの奔走で魏を脱出することができ、張禄と名を変えて秦の昭襄王の知遇を得、徐々に秦の政治を変えていく。一つ、また一つと魏の領地を少しずつ蚕食するように削り取る秦の背景には、范雎のたぐいまれな戦略眼があった。ついに秦の宰相となり、仇敵・魏斉の手から最愛の女性・原声を奪い返し、魏斉を倒し復讐を果たす物語である。

いろいろな復讐の物語があるが、デュマの『モンテ・クリスト伯』の復讐は後半かなり陰惨な色を帯びてくる。物語の描き方は、そこまでするか、という気がするときもある。ただ、克明に描かれてはいないが、実際には『青雲はるかに』における復讐のほうが、多くの戦役を経て実現されているわけで、死傷者の人数はずっと多いのだろう。白起将軍の残虐行為などは、目をおおいたくなるほどだ。本書は、読後の爽快感があるだけに、そのことを見失いやすいように思われる。

写真は、九龍側から見た香港島の夜景。
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宮城谷昌光『孟甞君』第2巻を読む

2005年04月16日 21時58分34秒 | -宮城谷昌光
講談社文庫で、宮城谷昌光著『孟甞君』第2巻を読了し、第3巻を読みはじめた。風麗を妻に迎えた公孫鞅は秦の第一次変法を行う。風洪は商人・白圭と名を変え、30歳にして学問を志し、翡媛もまた翠媛と名を改めて白圭の妻となった。窮地に陥った孫子を救い出すために協力した田嬰は、超文の父であることが明らかとなり、斉召は策謀により殺された豪商・斉巨の仇をうつ。前半の主だった登場人物がほぼ出揃ったのではないか。

少しずつ少しずつ読み進めても、二度目なので話の流れがわかるためか、途中でわからなくなる心配はない。かえって、物語の工夫、面白さが楽しめる。これまでのところ、どこから見ても主人公は風洪だが、しだいに田文の比重が大きくなっていく。このあたりの自然な転換は、実に見事だ。
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宮城谷昌光『太公望』を読む

2005年02月17日 19時26分22秒 | -宮城谷昌光
『王家の風日』に続き、宮城谷昌光の『太公望』を読んでいる。『太公望』は二度目だ。眠る前に少しずつ読むので、文春文庫でようやく上巻が終わるところ。先日『王家の風日』で受王と其子の物語を読んでいるため、其子と望がなぜ出会うことになったか、よくわかる。描く角度は違うが、同じ時代、同じ登場人物が出てくる。ただし、『太公望』の方がわかりやすく物語として魅力的だ。
若い頃、世界の歴史を習った。そのとき、殷と呼ばれた中国の王朝の始まりを知ったが、商とはこの殷のことを指すのだという。
「殷」については、フリー百科事典"WikiPedia"(*)に詳しい。
商の末期、すさまじいばかりに暴虐の限りをつくした帝紂(受王)は、古代ローマの暴君ネロをもしのぐ存在だろう。結果として受王を支えた其子は、暴君ネロに対するペトロニウスのような存在なのだろうか。シェンキヴィッチの物語『クオ・ヴァディス』では、ネロとペトロニウスは緊張関係と一種のなれあいの混じった関係として描かれているけれど。
(*): フリー百科事典「WikiPedia」
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コーヒーを飲みながら『王家の風日』を読む

2005年02月11日 12時20分35秒 | -宮城谷昌光
休日、午前中に子供を駅まで送り、図書館で本を三冊借りてきた。その後、短時間の雪かきをして少々汗をかいた後に飲んだコーヒーが、たいへんにおいしい。
コーヒーについての蘊蓄はなにもない。種類も銘柄も特別にこだわらないから、店で購入してきたものを、コーヒーメーカーで淹れて飲むだけである。コーヒーがさめないうちに、借りてきた本をめくりながら、どれから読みはじめようかと眺めるのは実に楽しい時間だ。
で、宮城谷昌光『王家の風日』を読みはじめた。太公望の物語につながる内容だけに、時代や登場人物など、比較的よく理解できる。ああ、それで望と箕子とが出会ったのか、という具合だ。ただ、商の受王はそれほど甘く評価していいのか、とも思う。私は、織田信長が天才的合理主義者であったと高く評価する人よりも、信長は残酷だから嫌いだ、と評した藤沢周平に共感してしまう。
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