故郷ザルツブルグの大司教と決別し、ウィーンに出たヴォルフガングは、1784年、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットという管楽器にピアノを加えた、「ピアノと管楽器のための五重奏曲」変ホ長調(K.452)を作曲します。当時流行していた管楽器アンサンブルに、得意のピアノを加えた工夫が、モーツァルトらしいと言えるでしょうか。
しばらく前に近所のCDショップでたまたま見付けたクラシックのCD、ひっそりと売れ残っておりました。たしかに華やかなオーケストラ作品でもなければ弦楽四重奏などの格調高い室内楽でもない。いくらモーツァルトの作品と言っても、ヘンな編成の曲ですから、売れ残るのも当然かもしれません。
捨てる神あれば拾う神あり、いやちがった、残りものに福あり、だったかな。実は私もあまり大きなことは言えません。ジェイムズ・レヴァインのピアノと、アンサンブル・ウィーン=ベルリンというカルテット、すなわちハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)、カール・ライスター(Cl)、ギュンター・ヘーグナー(Hrn)、ミラン・トゥルコヴィッチ(Fg)という演奏家の「顔ぶれ」だけで購入したものです。言ってみればとってもミーハー的な選択。
でもいいじゃないですか。結果が良ければ。1986年8月、ザルツブルグでのドイツ・グラモフォンによるデジタル録音(UCCG-9575)。併録された若きベートーヴェンの作品「ピアノと管楽のための五重奏曲、変ホ長調、Op.16」も同様にたいへん楽しめるもので、大正解でした。
第1楽章、ラルゴ~アレグロ・モデラート、(10'13")。ゆったりと始まる序奏の素朴な響きに魅せられます。とにかくピアノがやけにかっこいい。
第2楽章、ラルゲット、(9'22")。中間の緩徐楽章ですが、管楽器が次々と交替で優美な旋律を奏でます。同じ時期のピアノ協奏曲の緩徐楽章に通じる、美しい調べです。
第3楽章、アレグレット、(5'31")。モーツァルトの音楽のフィナーレは晴れやかで開放的で、なんてすてきなのでしょう。絶望して暗く終わるのではなく、音楽的な解決が、気分も開放的にさせてくれます。
しばらく前に近所のCDショップでたまたま見付けたクラシックのCD、ひっそりと売れ残っておりました。たしかに華やかなオーケストラ作品でもなければ弦楽四重奏などの格調高い室内楽でもない。いくらモーツァルトの作品と言っても、ヘンな編成の曲ですから、売れ残るのも当然かもしれません。
捨てる神あれば拾う神あり、いやちがった、残りものに福あり、だったかな。実は私もあまり大きなことは言えません。ジェイムズ・レヴァインのピアノと、アンサンブル・ウィーン=ベルリンというカルテット、すなわちハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)、カール・ライスター(Cl)、ギュンター・ヘーグナー(Hrn)、ミラン・トゥルコヴィッチ(Fg)という演奏家の「顔ぶれ」だけで購入したものです。言ってみればとってもミーハー的な選択。
でもいいじゃないですか。結果が良ければ。1986年8月、ザルツブルグでのドイツ・グラモフォンによるデジタル録音(UCCG-9575)。併録された若きベートーヴェンの作品「ピアノと管楽のための五重奏曲、変ホ長調、Op.16」も同様にたいへん楽しめるもので、大正解でした。
第1楽章、ラルゴ~アレグロ・モデラート、(10'13")。ゆったりと始まる序奏の素朴な響きに魅せられます。とにかくピアノがやけにかっこいい。
第2楽章、ラルゲット、(9'22")。中間の緩徐楽章ですが、管楽器が次々と交替で優美な旋律を奏でます。同じ時期のピアノ協奏曲の緩徐楽章に通じる、美しい調べです。
第3楽章、アレグレット、(5'31")。モーツァルトの音楽のフィナーレは晴れやかで開放的で、なんてすてきなのでしょう。絶望して暗く終わるのではなく、音楽的な解決が、気分も開放的にさせてくれます。