電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」を聞く

2007年01月09日 05時42分20秒 | -室内楽
連休最後の午後、シューベルトのチェロ・ソナタ イ短調、D.821、いわゆる「アルペジオーネ・ソナタ」を聞きました。ただし、アルペジオーネという楽器ではなく、現代のチェロによるもので、リン・ハレルのチェロ、ジェームズ・レヴァインのピアノ演奏です。1974年10月に録音されていますが、もちろんアナログ録音。RCA原盤で、レヴァイン指揮ロンドン響とのドヴォルザークのチェロ協奏曲に併録されている、R25C-1012というレギュラープライスのCDです。

第1楽章、アレグロ・モデラート。憂いをおびた第1主題が印象的です。
第2楽章、アダージョ。ゆったりとチェロが奏でる、優しく豊かな音楽。わずかに哀愁を感じさせる抒情的なメロディと、寄り添うようなレヴァインのピアノも美しい。
第3楽章、快活なアレグレットのはずですが、シューベルトの音楽にはデリケートなかげりがあります。

このCD、実はリン・ハレルの演奏に興味があり、求めたものでした。ジュリアード音楽院でレナート・ローズに師事し、チェロを学んでいた青年が、ガンで父を失い、その二年後に自動車事故で母を失います。ロバート・ショウとレナート・ローズの推薦によりクリーヴランド管弦楽団のオーディションを受けた青年は、生活のためにその職についたのでした。若くしてクリーヴランド管の首席奏者となっただけでなく、レナート・ローズの遺産の愛器をゆずられた、というエピソードもまた、彼の実力を示していると思います。このあたりの話は、孫弟子さんの「ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団が好きだ」というHP(*1)で拝見(*2)していました。ジェームズ・レヴァインとともに、いわばジョージ・セルの弟子でもあります。

この対話の中で、リン・ハレルはこんなエピソードを語っています。

オーケストラに職を得ることにより生活の安定を得た青年は、ソリストとしての華やかな生活に少なからず憧れを持ち、オーケストラで演奏することに飽きてしまいます。すると、厳格で知られるセルは若いチェロ奏者を呼び、こんな話をするのです。

"セルは、私がブラームスの第2の第1楽章の第2主題を好きかどうか訊きました。 で、私は好きだと答えました。するとセルはブラームスの3番の第3楽章の最初を好きかどうかと訊きました。 私はまた好きだと答えました。 するとセルはこう言いました。 「まあ、なんだ、わかるだろう、自分一人ではそういうのを弾くことはできんのだよ。 そういうメロディはたくさんの人間で弾くことを想定されて作曲されてるんだ」 その後、オーケストラの曲をどうやって練習したら、チェロのセクション全体のようには弾けないために不満を感じていらいらしたりすることがないようにできるかということを話し合いました。 セルは、こういうものは音楽史上の至宝であるということ、自分が曲全体の中の統合されてかつ重要な一部であると感じることができなければならないこと、そして私がそう感じない限り不満を感じないようにはならないこと、を語りました。 それで私は彼の部屋から晴れやかな顔で出てきました。 なんてすばらしいことだ、オーケストラの中で演奏できてそれを本当に楽しめるなんて! と思ったものです。"

ここには、コンクールを経て有名になり、ソリストとして活躍するのではない、師匠ローズと同様にオーケストラの一員として働きながら経験を積み、音楽を円熟させて行く生き方が示されているように思います。そして、このCDでは、数多のコンクールを勝ち抜いた強者が演奏するのではない、シューベルトの柔軟で優しい音楽を、繊細で透明なチェロの音色で聞くことができます。

ジョージ・セルの没後、翌1971年に彼はクリーヴランドを離れ、ニューヨークでリサイタルを開きますが、お客の入りはさっぱりで、しばらくは鳴かず飛ばずの状態でした。この時に手を差し延べたのが、クリーヴランド管で同僚だった指揮者レヴァインです。ドヴォルザークの協奏曲も立派な演奏であり、このCDは若い彼らの友情の産物でもありましょう。私のお気に入りのCDの一つです。

■リン・ハレル(Vc)、ジェームズ・レヴァイン(Pf)
I=11'06" II=5'14" III=8'28" total=24'48"

(*1):「ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団が好きだ」~孫弟子さんのHP
(*2):リン・ハレルとの対話
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