電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ショスタコーヴィチ「交響曲第8番」を聴く

2011年02月17日 06時03分21秒 | -オーケストラ
このところ、通勤の音楽として、ショスタコーヴィチの交響曲第8番を聴いておりました。当方、プロコフィエフについては、オーケストラ作品もピアノ曲や室内楽等も好んで聴いておりますが、ショスタコーヴィチの作品を積極的に聴こうという気になるのは珍しいことです。しかも、何を好きこのんで第8番(^o^;)>poripori

そういえば、当ブログでショスタコーヴィチのCDを取り上げた記事は、今のところ交響曲第4番(*)だけです。第7番「レニングラード」とか、第5番「革命」とか、もうちっと聴きやすい曲目を選べばよさそうなものですが、急いで出かけなければいけないときにたまたま手にしたのがこのCDだったという、ただそれだけの理由です(^o^;)>poripori

演奏は、エリアフ・インバル指揮ウィーン交響楽団。DENON COCO-70655、クレスト1000シリーズの中の一枚です。
実は、この曲の記事を書く予定はぜんぜんありませんでした。ところが、先日、雪の月山道を越えて鶴岡日帰りを敢行した際の帰路、すれ違う車もない夜の山道で、この曲を聴きながらドライブしたのです。いや~、不気味で恐かった!運転も、音楽も(^o^)/
当方、素人音楽愛好家らしく、そのことを書こう、と思った次第(^o^)/

第1楽章:アダージョ~アレグロ・ノン・トロッポ~アレグロ~アダージョ。全体で30分近い、この楽章だけで交響曲一曲分はあるのに、全体が悲痛かつ悲劇的、実に恐~い音楽です。冬の山道に向かいながら、この始まりを聴いただけで、しまった、高速道を使えば良かった、と後悔してしまいました。何を今さら、もう遅い(^o^)/
第2楽章:スケルツォ、アレグレット。リズミカルな行進曲風の音楽の上を、ピッコロが無責任に(^o^)飛び回ります。やがて力のこもったボクサーのフットワークのような音楽に。
第3楽章:アレグロ・ノン・トロッポ。ヴィオラが無窮動的なリズムを反復する中で、拷問に悲鳴をあげるような、そしてそれを重々しく遮るような、非情で脅迫的なフレーズが繰り返されます。その中から立ち上がるトランペットと小太鼓の進軍。緊迫感が盛り上がるスケルツォです。
第4楽章:ラルゴ、パッサカリア。盛り上がったままアタッカでいつの間にか次の楽章へ入ったと思ったら、やけに静かな、むしろ荒涼とした音楽に。でも、幸か不幸か冬タイヤのロードノイズにまぎれてしまいます。ここは、やっぱり自宅のスピーカでじっくり耳を傾け、見事な変奏に感心するべきところでしょう。
第5楽章:アレグレット~アダージョ~アレグレット。ここもアタッカで。ただし、曲の印象はがらりと変わります。盛り上がって終わるという意味でのクライマックスを構成しない終楽章です。プロコフィエフの第7番も、当初は静かに終わる終結を作曲しましたが、盛大な盛り上がりバージョンを余儀なくされました。ショスタコーヴィチもまた、「苦悩から歓喜へ」という形は、きっととりたくなかったのでしょう。不思議な合致です。

1991年1月21~23日、ウィーンのコンツェルトハウスで収録されたデジタル録音で、細かくインデックスがうたれています。プロデューサーは川口義晴さん、制作担当がホルガー・ウァバッハさん、録音・技術が高橋幸夫さん。
考えてみれば、ウィーン交響楽団の演奏した録音は、あまりたくさんは持っていないような気がします。今すぐにぱっと思いつく限りでは、ベーム指揮のモーツァルトの「レクイエム」旧録音あたりでしょうか。あれも、すごい演奏でした。インバルとのショスタコーヴィチは、積極的に集めようとしたわけではありませんが、なんとなく気になる録音ではあります。

(*):ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を聴く~「電網郊外散歩道」2010年7月
コメント (2)