地元紙「山形新聞」のコラムに「気炎」というのがあります。先日の町田灯子さんの「山形語」はおもしろかった。佐藤誠二さんがタウン誌「やまがた街角」に連載した〈私的「山形語」考〉をまとめた本によりながら、方言のユーモラスな温かさについて紹介したものです。「つれんぽ(杖)」については、例えばこんなふうに:
という具合。
当ブログでも一度紹介(*1)しておりますが、町田さんのコラムは、いつもおもしろい。他県出身の人が山形をおもしろがっているのがよくわかります。最後の、「実家の両親よりも夫の親と話していた時間の方が長かったということなのだなあ。」というあたりに、「嫁の感慨」を感じます。
(*1):人の輪の中の弦楽四重奏~「電網郊外散歩道」2013年12月
「なんだ、お前、つれんぽなの使わんなぐなたのがはぁ」
(なんだ、お前、杖なんか使わなきゃいけなくなったのかい)
「こだな使わねくてもええんだげんとよ。んでも使てみっど、あんばぇええぞ」
(こんなの使わなくてもいいんだけれど、それでも使って見ると、塩梅がいいんだぞ」
「ほだえ やじゃがねぐ(役に立たなく)なったら、あらます(おおよそ)終わりっだなは」
(そんなに役に立たなくなったら、おおよそ終わりなんじゃないのかい)
……だが実際に使って見ると
「ほう、あんがえ ちょうすええな、こえづ」
(ほう、案外調子がいいなあ、これは)
という具合。
当ブログでも一度紹介(*1)しておりますが、町田さんのコラムは、いつもおもしろい。他県出身の人が山形をおもしろがっているのがよくわかります。最後の、「実家の両親よりも夫の親と話していた時間の方が長かったということなのだなあ。」というあたりに、「嫁の感慨」を感じます。
(*1):人の輪の中の弦楽四重奏~「電網郊外散歩道」2013年12月