理系で受験科目ではなかったために大きく欠落している近代以前の日本史の陥没を埋めようと読んでいる東北学院大『大学で学ぶ東北の歴史』ですが、基礎がないためにやはり中世はよく理解できません。
など、こうした問いは一応脇に置いて、本書を読み進めます。
南北朝時代、室町幕府およびその出先機関である鎌倉府との対立の中で、陸奥国の領主たちは互いに連携し横のネットワークを作って領主支配を進展させていきますが、ここでは伊達氏の伸長が目覚ましいとされています。このあたり、大崎の奥州管領斯波氏と、斯波氏が山形に移り羽州探題最上氏となった中で、後の戦国大名間の緊張関係につながるものだったのでしょう。一方で北東北では安藤氏が北海道にわたり、惣領下国家や有力一族である湊家と対立するとともに、和人とアイヌとの抗争をも引き起こしているようです。
15世紀、東国を支配していた鎌倉府の足利持氏が室町幕府に抵抗した永享の乱により、奥州探題大崎氏や羽州探題最上氏などを中心とする東北各地の領主がいったんは室町幕府側につきますが、15世紀後半になるとそれぞれが自発的に活動するようになる、すなわち勝手に争うようになる=戦国時代に突入する、ということのようです。要するに、
といったところでしょうか。
おそらくは、15世紀後半の気候不順や、偉い人が守ってくれるはずの私有地、荘園制度の行き詰まり等によって、自分たちの食い扶持は自分たちで守るしかないという状況に至った、ということでしょう。東北各地の戦国大名の割拠、盛衰はその結果であって、登場する人物は大河ドラマや小説等でおなじみの顔ぶれということなのでしょう。最上義光が天童氏、白鳥氏、大江氏、庄内の大宝寺・武藤氏などを破り山形県域を統一することにより伊達・上杉を抑えて徳川の世をもたらす経緯は、先ごろ高橋義夫著『さむらい道』で読んだばかりですし、北東北では九戸政美が豊臣に反抗した事件もだいぶ前に高橋克彦著『天を衝く』で興味深く読みました。小説は史実とは異なるけれど、どういった人たちがどこの場所でどんなことをしたのか、という基本的史実はおさえられているだけに、日本史の常識のバックボーンを作っている面があるようです。
一方で、本書の「戦国時代の東北の地域社会」の節では、
としており、同時に出羽三山などの大寺院・霊場が宗教的ネットワークをつくり、その影響力の拡大を指摘しつつ、北奥羽とアイヌとの交流など「北方世界との濃密な関係」にもふれています。興味深いところです。
◯
気候不順による農作物への影響はローカルな範囲にはとどまらず、近畿でも東北でも同様で、むしろ東北により厳しく現れただろうと思われます。自治の惣村だったら収穫が保証されるわけではないでしょうし、大きな収穫減にどのように対処するかは村落の形態の違いを超え、武力交渉などかなり共通の姿で現れたのではなかろうか。それが、戦国時代という乱世を生み出した背景なのではなかろうか。
- 鎌倉幕府はなぜ滅んだのか
- 室町幕府はなぜ続いたのか
- 戦国時代はいつどうして始まったのか
など、こうした問いは一応脇に置いて、本書を読み進めます。
南北朝時代、室町幕府およびその出先機関である鎌倉府との対立の中で、陸奥国の領主たちは互いに連携し横のネットワークを作って領主支配を進展させていきますが、ここでは伊達氏の伸長が目覚ましいとされています。このあたり、大崎の奥州管領斯波氏と、斯波氏が山形に移り羽州探題最上氏となった中で、後の戦国大名間の緊張関係につながるものだったのでしょう。一方で北東北では安藤氏が北海道にわたり、惣領下国家や有力一族である湊家と対立するとともに、和人とアイヌとの抗争をも引き起こしているようです。
15世紀、東国を支配していた鎌倉府の足利持氏が室町幕府に抵抗した永享の乱により、奥州探題大崎氏や羽州探題最上氏などを中心とする東北各地の領主がいったんは室町幕府側につきますが、15世紀後半になるとそれぞれが自発的に活動するようになる、すなわち勝手に争うようになる=戦国時代に突入する、ということのようです。要するに、
東日本支社の下に置かれていた各支店長たちが、本社と東日本支社の争いでいったん本社側についたけれど、どっちも自分たちを守れる=支配する力はないとふんで、各支店が勝手に縄張りを広げはじめた事態
といったところでしょうか。
おそらくは、15世紀後半の気候不順や、偉い人が守ってくれるはずの私有地、荘園制度の行き詰まり等によって、自分たちの食い扶持は自分たちで守るしかないという状況に至った、ということでしょう。東北各地の戦国大名の割拠、盛衰はその結果であって、登場する人物は大河ドラマや小説等でおなじみの顔ぶれということなのでしょう。最上義光が天童氏、白鳥氏、大江氏、庄内の大宝寺・武藤氏などを破り山形県域を統一することにより伊達・上杉を抑えて徳川の世をもたらす経緯は、先ごろ高橋義夫著『さむらい道』で読んだばかりですし、北東北では九戸政美が豊臣に反抗した事件もだいぶ前に高橋克彦著『天を衝く』で興味深く読みました。小説は史実とは異なるけれど、どういった人たちがどこの場所でどんなことをしたのか、という基本的史実はおさえられているだけに、日本史の常識のバックボーンを作っている面があるようです。
一方で、本書の「戦国時代の東北の地域社会」の節では、
東北地方は在地領主の影響力が強く、村や町は未熟で後進的であったというイメージがいまだ根強い。しかし、近畿地方のような典型的な惣村や町ではないにせよ、武力を保持して隣村や領主と戦い交渉する村の姿や、町衆を組織して遠隔地と活発に交易を繰り広げた町の姿は東北各地にもみられる。(p.94)
としており、同時に出羽三山などの大寺院・霊場が宗教的ネットワークをつくり、その影響力の拡大を指摘しつつ、北奥羽とアイヌとの交流など「北方世界との濃密な関係」にもふれています。興味深いところです。
◯
気候不順による農作物への影響はローカルな範囲にはとどまらず、近畿でも東北でも同様で、むしろ東北により厳しく現れただろうと思われます。自治の惣村だったら収穫が保証されるわけではないでしょうし、大きな収穫減にどのように対処するかは村落の形態の違いを超え、武力交渉などかなり共通の姿で現れたのではなかろうか。それが、戦国時代という乱世を生み出した背景なのではなかろうか。
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