月日はあっという間に5年が経ったのです。龍潭池からまだ火の粉が上がっているお城を見上げました。驚嘆と失望、悲嘆から復興に向けたこの間の時間の流れは緩やかに、議論を伴いながら流れているようです。 悲劇作品には常に覚醒と光が差し込んでくることが頭を過ります。 破壊から復興、再生へ、ダイナミックに動く社会の唯物的進化は、唯心論と対をなして、人間の集合的無意識「うむい」に根差しつづけるのでしょうか。 さ . . . 本文を読む
(琉球新報10月31日) 詩集の題名に登場したゴーヤである。ゴーヤーは苦いと決め切っているような表象が気になった。 味の苦さにも確かにグレードがあるかもしれない。品種改良もなされている。しかし、ゴーヤーを特別苦いと感じないゆえに、と言うのも毎日でもゴーヤーチャンプルーは飽きない料理ゆえに、苦味の深淵さと人と人の違い、差異に比喩した詩篇に興味を持った。 読んでみたい詩集だが、ゴーヤに心が躓いてしま . . . 本文を読む